通り魔
夏の暑さが一息ついたかと思えば実りの秋が駆け抜け、外出する時にはコートを羽織るようになった時期。夕方だと思っていた時間が夜の範疇に含まれる頃に男が自分の家に帰るべく広い公園沿いの小さな道を急ぎ足で歩いていた。
近くに大通りもあるのだが、わずかに家の方角とズレている為にいつもこの道を利用していた。短縮できる時間なんて1分も無いだろうが疲れ果てているとほんの1秒でも早く休みたいと思うのは誰もが同じだろう。
おそらく前を歩いている女性も似たような事を考えているのだろう。カツ、カツとヒールの音を響かせながら足早に歩いていた。男は意識したわけではないがなんとなくリズムを合わせて歩く。歩幅もたいして変わらないようで一定の距離をあけて知らない二人が歩き続ける時間が続いた。
男が不意につぶやく。
「それにしても…。」
後から吹いてきた風が言葉を続ける。
「こんな所を女性が一人で歩くなんて危ないよねー。」
男はその異常性に気が付かない。
「ああ、本当だよ。」
風はなおも言葉を続ける。
「たった1分2分の時間が短縮されるだけの事に、彼女は自分の命を賭けているって事をちゃんと認識しているのかね?」
男はさも当然のように返事をかえす。
「まさか。そこまで考えて行動するやつなんていないよ。」
まるでその言葉を待っていたかのように風が語りだす。
「なら、誰かが教えてあげなきゃ。もしかしたら誰かに咽をかき切られその血を地面に撒き散らすかもしれない事を、誰かに胸を貫かれその身を赤く染め上げてしまうかもしれない事を。」
そう、誰かが。
男の足が今までよりほんの少し速くなる。
誰かが彼女に暗い道を歩く事が危険だという事を、ほんの1分2分の為に命を賭けている事を教えてやらねば。
徐々に男と女の距離が縮む。
その白い咽をかき切って血を地面に撒き散らすかもしれない事を、胸を貫いてその身を赤く染め上げてしまうかもしれない事を、誰かが誰かが。
もう少しで女性に手が届く、後少し、後もうほんの少し。
肩に男の手がかかる寸前。どこかの家から響く犬の声。
不意に我に返った男はあまりの息苦しさに肩で呼吸をはじめる。まるで今まで息を止めていたのではないかと思うぐらい息苦しい。それと同時に全身から大量の汗が噴出す。
ここにいちゃいけない。
怖くなった男は振り返ると一目散に逃げ出した。
もはや何も聞こえない。ただ、まとわりつく闇を振り払うかのように全力で今来た道を走り続けた。
前を歩いていた女が静かに振り返る。
「残念、今日の獲物は美味しそうだったのに。」
それだけ言うと女は完全に闇と混ざり合いどこかに消えてしまった。
後には、今までと変わりない小さな道が残るだけだった。
怪奇シリーズ2作目
怪奇物の本番といえば夏だけど、夜の時間が長くなり闇と接する時間の長くなる冬こそ怪奇物語は面白い。
そうは思いませんか?