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「水晶の魔女」の魔法塾

修辞の魔女アヤと3人の弟子と

作者: 蒼久斎

「水晶の魔女」シリーズ第4弾。原点回帰で、アヤ先生と弟子トリオ。四人の本名判明です。そしてアヤ先生の旦那さん登場。魔女と魔術師の「根本的な違い」を、魔術師の視点から解説してくれます。

WW2ドイツに関する、わりとポピュラーなオカルティック解釈を突っ込んであるという、少々きな臭い話を含みます。

その他、2000年というわりと最近の事件の話も入ってますが、まぁ、教科書的な内容にとどまっているので、規約内だと思います。はい。

 

 7月である。約一週間にわたる期末考査が始まりを告げる月だ。

 某ミッション系高校で世界史と現代社会を担当する、仲間なかまあやは、この期末考査のために、念入りに計算をする。すなわち、日々の小テストから平均点を予測し、赤点を取る者が出ないように配慮しつつ、しかしだからって満点なぞ取らせぬわ! という意気込みを込めて作問する。ちなみに、彼女はこの学校でずっと「非常勤」講師を続けている。

 自称平均偏差値64という、進学校と名乗るにはいささかおこがましい、実に、実にビミョーなこの学校のレベルなぞ、全くこれっぽっちも意に介さない、旧帝大クラスの論述問題に、採用初年1学期中間考査後の生徒たちからは、盛大な悲鳴が上がったものだ。

 が、今では「仲間先生だもんなー」の一言で、全てが通じている。

 大学院卒云々で、新任ピカピカとは言い難い先生だった。だが、それでもベテラン教師から見れば、若造のはずであるのだが、仲間先生は恐ろしく物怖じしなかった。

「今からハイレベルな問題に触れさせておくことは、学力の向上に繋がります。また、なまじ良い点数を取れば、人間はそこである程度満足し、努力を怠るようになります。一筋縄ではいかないこの論述問題を加えることによって、彼らは己の力量をしっかりと知り、慢心することなく謙虚に学ぶことでしょう」

 堂々と、教科主任に向かってそう言い切ったのだ。

 さらにまた、仲間先生はこう言った。

「それに何より、難しいことを考えさせるというのは、彼ら自身がこの先の人生で、やがて向き合うことです。高校一年生のうちから、思考の柔軟化の訓練に取り組むことは、彼ら自身にとっても良い経験になるはずです。彼らが生きていくのは国際化社会。価値観と価値観がぶつかり合う時に、どのようにすればより良い状況が導き出せるか……この論述問題は、そのチカラを身につける訓練です」

 そして彼女は、キラリと眼鏡を光らせた。

「『我々』の教授する『社会科』が、いかに『実用的』で『必要不可欠な学問』であるか、この問題を通じて、生徒たちも保護者の皆様も、そして『他教科の先生方』も、納得されるかと思います。また、思考訓練は、小論文や面接の対策としても必須のものです。進学実績の向上にも役立つと思います。そうすれば受験者も増えて、学校の名声もより高まると思うのです」

 ニッコリと、謎の威圧感をまとった笑顔で、アヤ先生はそう言い切った。

 ほんの少しの逡巡の後、わかった、と教科主任は頷いた。

 特に世界史や政治経済系の「社会科」教師にとって、「暗記教科」「文系救済のための添え物科目」扱いというのは、実に、実に、腹立たしいものなのである。



 国語・英語・数学・理科・社会。

 これを教育業界の用語で「主要五教科」とよぶ。

 このうち、特に、国語・英語・数学を「主要三教科」とよぶ。

 そして、昨今は「理数系」なるものが、もてはやされている傾向にある。

 要約しよう。

 つまり「主要五教科」の中で、「社会科」は、もっとも日陰者扱いの教科なのだ。

 これは、ほぼ全ての社会科教師の、魂の叫びであろう。

「暗記ではなーーーい!! 暗記の上に思考を組み立て、理論から実践に至る、総合教科の極致!!! それこそが! 社会科の真髄であーーーる!!!」

 だが、暗記の段階でズッコケる生徒にとって、そんな真髄は先すぎて見えない。

 ところが「仲間彩」は、そのレベルまで生徒を指導する気でいる。

 切ろうと思えば、いつでも契約を切れる非常勤講師である。

 その時、教科主任は、当たったら儲け者……ぐらいに思ったのだろう。

 むしろ実際には、何とかして社会科の割り当て時間を削ろうとしてくる、国語科や英語科の攻撃を、跳ね返すぐらいの効力を発揮した。

 非常勤講師というのは、学校の具体的な運営に携わることはできない。給与も出勤日の分しか支払われないし、警報などによる休校に対応しての振り替え授業や、試験とその採点期間、成績入力期間などは、交通費が自腹になることすらある。情熱がなければ続かない。

 そのような多種多様の不利益を持つ反面、非常に身軽に動き回れる。状況によっては正規採用の教員よりも、立ち回りに融通が利く面もある。

 仲間彩には、夫の経営する喫茶店その他の収入がある。辞めても生活に困りはしない。ということは、生活費を稼ぐために・辞めさせられないために……とビクビクする必要がない、ということだ。その恐いモノ知らずの精神で、彼女はアクセル全開でぶっ飛ばした。

 仲間彩・採用初年の1学期、「ぜってー受かるワケねーよww」と職員間で扱われていた生徒が4名、自己推薦入試とAO入試を突破した。すべてそれなりの名門私立だった。受験結果を受け取った、3年生の学年主任が、ぷるぷると震えながら「合格通知」を確認していた。

 そして確認した結果、この4人が全員とも、仲間先生に2週間みっちり、小論文の特別指導を受けていたことが判明したのである。

「非常勤の分際で、勝手な真似を!!」

 国語科の一部教員は激怒したが、仲間先生はニッコリと、例の威圧的な笑みを見せて切り返した。

「何か学校にとって損になりました? 名門校の合格者が増えたんですよ?」

 その瞬間、常日頃から国語科・英語科の圧迫を受けまくり、苦々しく思いつつも耐えているだけだった社会科教員たちは、机の下でガッツポーズをかました。

 通常、小論文の指導は、国語科教員の仕事とされている。何故か? そりゃ、日本語で文章を書くのだから、国語科の仕事だろう、というわけだ。しかし、推薦やAOの小論文となると、志望学科によっては、広範な社会科の知識が必要とされる。だが、そんな専門分野志望者の小論文指導さえ、何故か国語科の教員が請け負うものだ、という意識が、ここの職員室にはあったのだ。

「オレら社会科の方が、専門なんだよ! オレらにやらせろよ!!」

 そんな心の声を代弁し、体現するかのごとく、仲間彩が指導した4人の合格者は、保育や福祉など、まさに社会科系分野の志望者だった。

 保身も大事な正規採用の教員たちにとって、「何一つ恐くない」状態の「非常勤講師」である「仲間彩」とは、素晴らしき捨て駒であった。食いつなぐために必死という存在ではないから、最悪、見捨てても罪悪感がわかない。手柄を挙げてくれれば、それが「社会科」の地位を高め、ただの「暗記教科」扱いから「必要不可欠実用教科」扱いへと、その認識を改められるかもしれない。



 よし、仲間彩は、あのまま暴走させておこう。

 4人の合格通知が届いたその日、正規採用の「社会科」教員たちはそう決めた。

 「仲間先生」のような真似は、他の誰にも出来ない。

 まず、履歴書に記された学歴の段階で、たいていの教員は沈黙する。その後、彼女のげに恐ろしきエピソードの数々を聞いて、「なん、だと……?!」となる。

 偏差値80近い大学に「1週間の受験勉強で合格しましたけど?」・「ちなみに大学院入試の勉強は3日でした☆」・「高3の時にノー勉ぶっつけ本番で受けた全国模試で早稲田A判定」「むしろ早稲田なぞ滑り止め」などなど。

 自慢しやがって……という声に対しては、にっこり笑って答えられた。

「実力考査はノー勉で受けてこそ『実力』ですよね? 試験が終わったら忘れる下駄はいた成績の何が嬉しいんです? くだらないじゃないですか。貴重な青春の時間費やされて、なのに結局頭には何も残らないなんて、詐欺だと思うんです」

 ぐい、と、発言者に顔を近づけながら、仲間先生は語る。

「見たモノは記憶できるし、聞いたモノは記憶できる。書いたら尚更記憶できる。授業をまじめに聞きながら、ノートをまとめつつ過去のおさらいをし、あとは今後の授業展開を適当に流し読みすれば、予習も復習も不要です。まぁ数学とか、訓練の必要な教科もありますけど、国語は予習で十分でしょ? それにさらに復習まで課すなんて、生徒には地獄じゃないですか?」

「復習が必要な生徒だって、いるんだ!」

「強要しなくても復習したくならずにはいられない授業が出来ないから、宿題出すんでしょ? 私も小テスト出しますけど、生徒の理解度判定のためで、浅漬けの記憶ぶっ飛ばす世界中の話をしてからですから、もう皆あきらめて詰め込みなんかしませんよ。その上、それらの情報は雑談に見えて、実は授業内容と結合する。これによって、好奇心を刺激する」

 ぷるぷる拳を震わせはじめた国語教師に対し、アヤ先生は、社会科教師全員の思いの丈を、思いっ切りぶちまけた。

「社会科という教科が、文字記録の上に成り立っているのは事実ですから、語学という学問には敬意を払ってますよ。ですけどね、語学と中等教育の数学なんて、基礎っ中の基礎でしょうが。社会科なんて激ハードな応用教科で、現代社会なんて、毎日毎日情報が更新されてるんですよ?! 新聞は、最低でも日本の新聞3紙に英字紙1紙、海外ニュースは6局以上見て情報の分析と授業進行の組み直しを毎日毎日やってるのに、なんで誤字や慣用表現の訂正なんて、手段教科の仕事までやらされてるんです?」

 とりあえず社会科組は「手段教科」の発言に歓喜した。語学と数学は、基本理解のための「手段教科(=第一段階)」で、社会と理科は実践体験のための「目的教科(=第二段階)」というのは、社会科教師のプライドである。

「私、そんな作文程度は『進学校』を名乗る限り、皆出来て当然だと思ってましたよ? 教育ってのは、課題や試験を採点して、誤答にペケつけて正解教えて、ハイ終わり、じゃないでしょう? 何故間違ったのかを考えたくなるように、たとえば同じ問題を間違えた仲間でグループ学習させて、班の中で一番先に正解への道を思いつくかを競争させるとか、いくらでも方法ありますよね?」

 でもそうすると進行が試験が、という呟きに、仲間先生は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「その4枚の合格通知は、あの子たちの協力と努力の成果ですよ?」



 2週間の小論文指導の詳細を知って、さしもの国語科の教員たちも「さすがにそれは自分たちには無理だ」と納得した。正規採用の教員たちには、忙しすぎてまず無理な方法だったのである。

 志望校の過去問を分析し、ニュースなどから出題される可能性の高いトピックをとりあげ、それについて小論文を書かせる。

 これだけなら、まぁ、普通に国語科の教員でも可能なレベルである。

 さらに、全員に一日一問、土日は二問の小論文を、それぞれの規定の字数に合わせて課し、提出された小論文にこまごまと、大きな点では全体の論理構成、小さな点では誤字脱字、その他にも矛盾点の指摘や、はさむべき具体例などを書き込んで、返却した。

 ここまでも、まぁ、情熱に満ちた先生なら、可能だろう。

 だが、仲間彩の恐るべき点は、この4人の毎日提出してくる小論文に、自分もまた同時に取り組んでいたという点である。しかも、彼女は「2種類」を書き続けた。つまり「合格ラインを少し上回るレベル」の小論文と、「合格しないわけがないレベル」の小論文、だ。

 一週間で4人が提出するのは、それぞれ平日5本に休日4本の、合わせて9本。それが4人分で36本だ。つまり仲間彩は、通常授業などの他に、二週間で合わせて144本の、分野違いの小論文を、各個人の志望レベルを考慮しつつ、書いていたのである。

 この一件以後、仲間彩には「小論の超人」という二つ名がついた。が、その後も次々に教材を開発したり、あれこれやらかした結果、現在のあだ名は「超人」である。


 彼女の学校授業開始における宣言は、例年、次の通りである。

「いい? 授業はエンターテイメント! 試験はただのアトラクション! 楽しみなさい! 悩みなさい! 戸惑いなさい! 悔しがりなさい! そして、成長しなさい!!」


 テストの点数だけで、自分や他人の価値を決めんじゃないわよ!

 あと、私のテストは「一夜漬け」厳禁! むしろノー勉でかかってきなさい!





《1年A組 上代かみしろ麻衣まい 1学期末考査》

  現代文 : 92点

  古文  : 41点 (※50点満点)

  漢文  : 44点 (※50点満点)

  英語R : 77点

  英語G : 82点

  英会話 : 46点 (※50点満点)

  数学Ⅰ : 67点

  数学A : 72点

  生物基礎: 88点

  化学基礎: 83点

  物理基礎: 51点

  世界史A: 89点

  日本史A: 95点

  情報  : 89点

  家庭科 : 76点

  保健体育: 91点

  聖書  : 75点


《1年A組 坂之上さかのうえもも 1学期末考査》

  現代文 : 93点

  古文  : 48点 (※50点満点)

  漢文  : 50点 (※50点満点)

  英語R : 89点

  英語G : 80点

  英会話 : 48点 (※50点満点)

  数学Ⅰ : 73点

  数学A : 70点

  生物基礎: 90点

  化学基礎: 78点

  物理基礎: 51点

  世界史A: 74点

  日本史A: 97点

  情報  : 82点

  家庭科 : 96点

  保健体育: 89点

  聖書  : 62点



 しかし、先生がどんなご高説を掲げようと、テストが返ってきたら、友人同士で点数を比較し合ってしまうのは、悲しき人の性である。全てのテストが返却された放課後の教室で、上代麻衣と坂之上桃は、せーのっ、とお互いの解答用紙を見せ合った。

「「ぶ・つ・り・き・そ! ごじゅういってん!」」

 麻衣と桃は、軒並み高得点が並ぶようになった成績表にご満悦であったが、全く同じ点数で成績が悪かった教科を見つけて、思わず一緒に笑い出していた。

「物理マジでヤバかったねぇ。追試ライン45点以下だって。ギリギリ!」

 ひとしきり笑った後、桃は、最近お気に入りのピーチティーの小さなペットボトルの蓋を、ギリッ、と回し開けた。別に名前にちなんだつもりはないが、ハマッたのだ。

「うっわ、9.8gとか書いてる……ないわー。我ながらないわー」

 麻衣が、己の解答用紙を見て、しみじみと呟く。g=9.8なのに、何故それを並べたのか。今なら明らかに間違いだと分かるのに。まったく、試験には魔物が潜む。

「っていうか、私ら、やっぱ文系だよね?」

 お互い、国・英・社のスコアに比べ、数・理のスコアの方が低い。

 麻衣のその言葉に、ピーチティーを飲んでいた桃が、少し首を傾げた。

「でも、これで国語が50点とか40点とかだったら、理系って思うんじゃない?」

 その指摘に、あっ、と麻衣は声を挙げた。

「そうかも……つまり、文系とか理系なんてのは、所詮は相対的な目安ってことか」

「両方出来なきゃダメって、ア……仲間先生も言ってたしねぇ」

 二人は、仲間彩ことアヤ先生の「魔法塾」に通っているが、学校では「仲間先生」と呼ぶように言われている。アヤ先生、と呼ぶのは「魔法塾」の時だけだ。いわく「魔女モードと一般人モードとのスイッチの切り換え」ができるようになるため、らしい。

 まぁ、なかなか取っつきがたくも見える個性人なので、1年生の1学期から「アヤ先生」などと呼んでいたら、そりゃまぁ、目立ってしまうだろう。うん。

「それにしても、桃ちゃんよ……英語の成績は良いのに、なんだって世界史がこの点数なのさ? あと、聖書の成績低すぎないか?」

「あ、うん。聖書の授業中に、英語の内職してたから」

 ミッションスクールとはいえ、通う人間全員がキリスト教徒というわけではない。そして、絶対に受験教科にならない聖書の授業時間は、格好の内職時間なのである。

 わー、聖書のセンセが聞いたら怒り狂うか、さめざめ泣くか、どっちだろー。

 そんなことを思いながら、麻衣は桃のテスト結果をじっと眺めた。

「……ひょっとして、カタカナ苦手?」

「でーす」


 テヘッ、と桃は舌を出す。どうりで、と麻衣は納得した。

「漢文満点、古文は倍算96点、日本史は97点……漢字強い型かぁ」

「麻衣ちゃんは逆だね。カタカナ強い系か」

「漢字覚えなくっていいんだよ? 楽過ぎじゃん! 中国史泣くけど! 殷とか!」

「1学期は中国史のはずだったんだけどなぁ……」

 事実上世界史Bレベルの内容を学習しているのだが、時間割の名目上では世界史Aなので、世界史Aの教科書に従って、中国史からスタートしている。なお、世界史Bの教科書は、人類の起源の後は、オリエント史に飛ぶのが基本スタイルである。

「けど、マルクス=アウレリウス=アントニヌスとか、あるし」

「うっ……中間でヒトが落としたところを」

 設問は「『大秦国王安敦』とみなされているローマ皇帝を答えよ」だった。どうあがいても、カタカナ解答である。桃は即座に正解を諦めた。

 というか、今回も中国史にしては、かなりカタカナ率が高かった、気がする。

「ソグド人までは分かるけど! モンゴル帝国とか! カタカナ過ぎる!」

「チンギス=ハンことテムジンに、オゴタイ=ハーン、グユクすっ飛ばして、モンケ=ハーン、そしてフビライ=ハーン。潰した国はホラズムにアッバース朝……」

「中東史とヨーロッパ史には、もう、恐怖しかわかない……」

 桃はガタガタと震える。麻衣は逆にニンマリ笑う。

「仲間先生、世界は平等に学べ、って言ってたから、多分南北アメリカ史もオセアニア史もアフリカ史もやると思うし、東南アジアなんかやる気満々だよ? スリジャヤワルダナプラコッテ!」

「それは、スリランカの首都で、南アジアじゃん!」

「あ。桃にも分かるカタカナ地理が……じゃ、クアラ・ルンプールで」

「マレーシアの首都」

「なんで分かんの? カタカナなのに」

「いや、小学校の時に、男子が『オレ賢いアピール合戦』で叫びまくってたから」

「……バカ対決の間違いじゃないの?」

 かもね、と桃は頷いた。

「けど、桃、カタカナ苦手って言うけど、音だとちゃんと記憶できてるよね? 勉強する時に、勉強内容を声に出しながら読んでみたら? 黙読じゃなくてさ」

「ええっ?」

 目を丸くする桃の背後から、「塾」でも聞き慣れた先輩の声がした。

「それは良いね。五感を複合的に用いるのは、効率的な記憶法の基本だよ」

「え? アキさん、なんで?」



 現れた先輩は、こーらっ、と軽く桃にデコピンする真似をした。

「学校では、山瀬先輩、だろ?」

「あ、すいません!」

 二人、向かい合って広げた解答用紙を一別し、ふふ、と「山瀬先輩」は笑った。

 ちなみに三人とも、学校と「塾」で口調を変えている。これも「魔女モードと一般人モードのスイッチの切り換え」のためだ。師たる「アヤ先生」と「仲間先生」も同じである。

「来年の世界史・日本史選択について、迷っているだろう可愛い後輩二人に、ヒントを持ってきてあげたの。ちなみに私は世界史選択だ」

 そう言うと、まず先輩は、自分の今回の期末考査の解答を見せた。


《2年A組 山瀬やませ秋津あきつ 1学期末考査》

  現代文 : 98点

  古典  : 91点

  英語R : 87点

  英語G : 90点

  英会話 : 46点 (※50点満点)

  数学Ⅱ : 86点

  数学B : 83点

  化学Ⅰ : 94点

  世界史B: 79点

  情報  : 100点

  家庭科 : 98点

  保健体育: 95点

  聖書  : 90点


「ハイスコア過ぎる……」

 90点台がずらりと並ぶ成績表を見て、ぽかーん、と口を開ける桃と麻衣。

「情報とか満点だし……現文と家庭科もほぼ満点だし……」

 桃の呟きに、はた、と気づいたように麻衣は秋津に顔を向けた。

「っていうか、2年のA組って文系ですよね? 何ですか、この理系教科の点数!」

「文系向けにマイルドになったんじゃない? それか『塾』のおかげ」

 すっとぼけるが、しかし、たまに顔を出すアヤ先生の旦那さんは、たしか理系だ。

「でも……」

「その『塾講師』が作成したんですよね、この世界史Bって?」

 桃の困惑と、麻衣の問いに「そのとーりっ!」と答え、秋津は件の人物が作った問題を、どどん、と机の上に叩きつけた。ついでに、世界史Bの解答用紙も、点数以外の部分も見えるように引っ張り出す。

 秋津の予想通り、後輩たちの顔は真っ青である。

「仲間先生の『世界史B』は、大問総数6! そのうち5つは最終問題が論述で、大問6に至っては、小論文という極悪構成! 論述以外を迅速に潰し、その後は解ける論述から潰す! だが、大問6は出来るだけ解く! なぜならこの第6問は、一問配点15点だ!」

 一問15点! 数学の証明問題でも、そうそう目にしない高配点だ。

「ちょ、それ、6問目白紙にした段階で、一気に85点ってことじゃないですか!」

 うんそう、と秋津は頷く。そして、さらに恐ろしいことを教えてくれた。

「ちなみに他の論述も配点5点だから、論述を全部捨てると、残り全問正解しても60点。赤点避けるには、最低論述2つは何か書かないとアウトだね、基本」

「極悪すぎる……」

 世界史に傾きつつあった麻衣の心が、ぐらっ、と揺れた。

「ちなみに6問目は、旧帝大の過去問を、ややマイルドにアレンジしている」

「凶悪至極じゃないですか!」

 麻衣の叫びに、うんうん、と桃も頷く。

「仲間先生にとっては『こぉんなに簡単にしてあげたのに、無理なのぉ?』らしい」

 秋津は、「仲間先生」の口調を真似ながら「暴言」を暴露する。

「高3の全国模試をノー勉で受けて、早稲田A判定出した天才に言われても」

 麻衣が、うえぇ、と舌を出しながらボヤく。

「ついでに言うと、高校で世界史を選択した理由は、日本史無敵すぎて飽きたから」

「無敵?」

 桃が首を傾げる。うん、と秋津は答えた。

「仲間先生の母校はウチより進学校だけどさ、1年の定期考査で日本史は全部満点で」

 あ、そりゃ無敵だわ。



「こんな退屈な復習なんか真っ平だ、って世界史に」

「あー、まぁ、小学校でも中学でも、一応『歴史』やりますもんね」

 桃の言葉に、うんにゃ、と否定的ニュアンスで応対する秋津。

「あの先生、中学ですでに好奇心から、古事記日本書紀を読破。六国史から専門書まで読み漁って、高校日本史Bレベルとか余裕すぎたらしい」

「っていうか、それ、もはや大学レベルなんじゃ?」

 麻衣の言葉に、そうだね、と何てことなく秋津は頷く。

「だから高校の日本史なんて、解けて当然。むしろ高1時点でのセンセの目で見たら、暗記ばっかで幼稚な時代遅れ教科で。そんなら世界史の方が広い分楽しいと判断したらしい」

「最新研究まで読んでたら、まぁ、そうかもですね……」

 桃も深く納得した。日本史選択の理由に、カタカナ嫌いともう一つ出来たのだ。つまり、世界史を選択したら、カタカナ混じりの極悪問題が待ちかまえている!

 ああ、と手を打ち、そうそう、と秋津はまた話を始めた。

「これ、センセが暴露してくれた話なんだけど、日本の教科書編纂って、文部省の検定を通過する必要がある分、すっごい時間かかるんだよね。新しい教科書が作られて1年後には、次の検定を通過するための原稿執筆が始まる。検定はその3年後……つまり、教科書に認められた時点で、すでにその原稿の中に詰め込んだ『最新研究』は、3年前のになってるわけ。富本銭とか例外はあるけど」

「和同開珎より古い国産貨幣ですよね!」

 桃が、知ってる! とばかりに挙手しながら答える。

「うん。でも、そういう『我が国バンザーイ』以外は、基本すっごい研究成果の反映が遅いんだ。センセが知ってる、最大タイムラグ、何年だと思う?」

「えー……10年?」

 首を傾げつつ、とりあえず答えてみた桃に対し、いいや、と秋津は首を振る。

「悪いが、10年20年は基本だ」

「マジですか?!」

 自分の使っている教科書の中身が、そんなカビの生えた学説だったなんて!

 ショックに震える桃に、うん、と容赦なく肯定する秋津。

「もし大学で日本史専攻に入ったら、高校時代学んだこととか無意味に近いってさ。まぁ世界史は地理と大まかな流れの理解ぐらいは使えるみたいだけど……で、クイズの答えは?」

「倍の40年で!」

 麻衣の解答に、はっはっは、と、まるで「思うつぼ」とばかりに秋津は笑った。

「答えは60年だ!」

「還暦?!」

 桃の叫びに、「そのとーおり!」と返し、秋津は衝撃の事実を暴露した。

「ちなみに、前方後円墳と同型墳の分布と、畿内ヤマト政権との関連性についてだ。答えられるかな、坂之上ちゃん」



 桃は、頑張って日本史の記憶を引っ張り出す。

「ええっと、方墳や円墳とは違い、前方後円墳には、特に細密な設計図が必要です。前方部と後円部の大きさのバランスや、墳丘の高さのバランスなど……で、特に巨大な古墳が集中するのが、大阪の堺市を中心とした百舌鳥古墳群で……ところが、そこの巨大古墳と地方の前方後円墳を比較してみると、縮尺を変えただけの、つまり同じ設計図を元にしたミニチュア古墳が、大量にあることが判明。それも、各地域の大型古墳ほどその傾向が強い……このことから、高い技術力を必要とする前方後円墳を造る際には、畿内ヤマト政権から設計図や技師などを提供してもらい、その元の古墳のミニチュア版を造ることによって、ヤマト政権との関連の強さを示し、権威に箔をつけていた可能性が高い、と……」

「ま、概ねそんな理屈だね」

 秋津は、手近の椅子を引いてまたがり、背もたれの上に腕組みをして載せる。

「1946年だかの、東大の『史學研究』って雑誌に、これに関する考察が載って、それが日本史最強最大手の山川出版社の教科書に載ったのが2006年だ」

「みごとに還暦……」

「全然最新じゃないですか……」

 おおぅ、と口を開く麻衣に、ガックリとうなだれる桃。

「ま、1946年の時点では、新しい『仮説』の一つで、そこから現地調査で、なるべく正確な裏付けを取っていたんだ。まぁ、さすがに60年は長いけど、それだけちゃんと調べた結果、ってことでもあるよ……特に古墳時代ってのは、埼玉の稲荷山古墳の鉄剣みたいな、一部の文字記録以外には、本気で古墳以外にろくすっぽ記録が残ってない時代だから、綿密な調査は必要よ」

 時代が「古墳時代」だから、古墳のことを教わるのだと思っていた桃は、目を見開く。

「え? 当時の民衆の生活集落の遺跡とかもないんですか?」

「不思議なことに、ほっとんどないんだって。だから海外からの客に、古墳時代の人々の生活を尋ねられたら、仲間先生は『よりスタイリッシュな墓造りを競っていました』って答えてるらしい」

「ちょっ、スタイリッシュな墓って……」

 麻衣がヒィヒィと笑い出す。

「ちなみに、貴重な文字記録である鉄剣が出た、埼玉稲荷山古墳は、宮内庁いわく『仁徳天皇陵』こと、大仙陵古墳の縮小コピー版と見なされてる。鉄剣の銘のいわゆる『ワカタケル』大王ってのは、今のとこ定説では雄略天皇だね。仁徳天皇の五代後になる」

「そんじゃ、どー考えても、大仙陵古墳は、仁徳天皇の墓ではありえない、と?」

 桃は唇を尖らせる。秋津ははっはっ、と笑う。

「考古学界では、そんなもの自明の話さ。けど宮内庁の指定って、確固たる証拠が出ない限り覆らないんだよねぇ……たとえば、天武天皇と持統天皇の墓みたいな」

「それ、どういう証拠で覆ったんです?」

 桃が身を乗り出した。気になる。気になる!



「平安時代の墓ドロボーの話が見つかってさ。持統天皇は日本で最初に火葬された天皇だ。彼女は夫だった天武天皇と一緒の墓に入ったが、彼女より先に死んだ天武天皇は、当然骨壺じゃなくて棺に入ってるわけ。で、墓ドロボーの言によれば、墓室には棺と骨壺が並んでたっていうから、こりゃどう考えてもこの二人の墓しかありえんわ、ってことで」

 実際には、もっと複雑な紆余曲折があるのだが、端折って説明する。

 桃は、平安時代? とは思ったが、とりあえず納得した。

「そこまで証拠出たら、さすがの宮内庁もぐうの音も出ませんね」

「うん。例のドロボーによれば、持統天皇の骨壺はお宝として盗み出し、中の遺骨や遺灰は野原にポイしたんだとさ。指定変更がされる前の『天武・持統陵』は、棺が二つあってな……いや、火葬された天皇に棺があるわけないでしょがー! って、学者も叫んでな」

「ですね」

 それにしても、末路は野原にポイとか、持統天皇があわれだ。いや、夫と一緒に自分の異母弟をぶっ殺し、自分の息子を皇位につけるべく、邪魔者な実の姉の息子つまり甥っ子を叩き潰した人物とも言われるから、ある意味因果応報なのかもしれないが。

「なお宮内庁は、指定天皇陵については発掘調査基本厳禁、見直しは1955年が最後」

「「頭かたっ!」」

 今度は桃に、麻衣の声も重なった。

「うん。そうだけど、でも天皇陵墓って指定された古墳は、原則宮内庁の許可なしでは入れないし、修復はともかく発掘とか『被葬者の眠りを妨げる暴挙』『死者への弔いは皇室の管轄』って、ろくな調査ができなくなるんだよね……」

「うわー、学問の発展の邪魔ー」

 桃の言葉に、何故か秋津はニヤリと笑った。

「それを逆手にとって、考古学者の中には、本命の天皇陵と思しきものについては、指定変更求めるよりも、まず存分に掘りまくってやろう、っていう人も結構いるらしい。牽牛子塚けんごしづか古墳なんか典型だな。本物の斉明天皇陵の有力候補なんだが、土木と石造建築の女帝らしく、巨石をふんだんに使ってる。が、宮内庁指定天皇陵ではないため、調査は比較的容易だ」

「うわー、嬉々として発掘に向かうタヌキジジイが目に浮かぶわ」

 麻衣の暴言に、ジジイかはともかく、タヌキなのは確かかな、と桃も思う。

 だが、どうしても気になることが出てきた。

「あの、先輩、世界史選択ですよね? 日本史に詳しいのは……」

 その桃の発言に、秋津は師匠「アヤ先生」譲りの、ニヤァという笑みを浮かべた。


「じゃあ聞くが、坂之上ちゃん。君、日本が世界から隔絶された高天原だとでも?」



 うっ、と桃は返答に詰まる。

 ニヤニヤ笑いながら、秋津の言葉は続く。

「仲間先生の『世界史B』じゃ、世界の一部として、日本の歴史も学ぶんだよ。ちなみにさっきのは、古代エジプト史の授業での、『古代権力者の大規模な墓について』ってお題での雑談が元ネタ。で、この後に君らもお馴染み、理解度確認小テストだ」

 あ、2年生もなのか、と思いつつ、麻衣が答える。

「あれって完全に、直前の詰め込みを叩き潰す目的ですよね?」

「お、上代ちゃんは気づいてたか。そう。テスト終わって忘れるものは、知恵どころか知識にもならん脳の無駄使いだってことを、体に叩き込むのが目的だとさ。ま、同時に、世界各地の共通点と相違点も学べるけど」

 麻衣の心はぐらぐら揺れ動く。

「うう……論述と小論が40点のテストは恐いけど、カタカナだし比較文化史……」

 恐ろしい。だが、なんだかものすごく面白そうだ。

「絶対日本史に行く……点数取れない……」

 対照的に、桃の決意は日本史方向でかたまっているようだ。

「点数なんか所詮ゲームスコアだって、『エリカ』さんも言ってたらしいよ?」

 秋津の出した名前に、桃はガタガタと首を振った。

「ううう……そんな天才並べられても困ります! 大師匠門下の双璧じゃないですか!」

「じゃ、ちんまくまとまれ」

 秋津の言葉に、コンチクショー、と思いつつ、桃は頷く。

「ええ……分相応に行きます! 一国史でもつきつめれば、きっと新発見がある!」

 ニヤッと笑って、秋津は新たな藁半紙を、机の上に置いた。

「そんな坂之上ちゃんのために、日本史選択組から問題借りてきた」

 ばさりと広げられた問題に目を通すうちに、桃の顔色が青ざめていく。

「こ、これ……ただの暗記じゃないですか! しかも、超マニアック事項!」

「大学受験対策の日本史ってなりゃ、比較文化史絶好調の世界史と違って、ディープでオタッキィになるのは、当然の帰結だよ。右翼左翼のバランス取りも、世界史以上に難しいから、論述問題も減らさざるを得ないし」

「泣きそうなんですけど……」

 あっはっは、と笑いながら、秋津は桃の背中を叩いた。

「『修辞の魔女』の弟子が、論文の一つも書けないとか、ないよね?」

「……その分は、自分の努力で補いますっ!」

 やや涙目になりつつ、ぐっと拳を握りしめて宣言する桃に、秋津は内心で、作戦成功! と叫んだ。二人同い年の弟子がいる時には、専攻をずらすことで、互いに視野を広げさせるのが、門下の流儀なのだと「アヤ先生」に言われたのだ。



 私グッジョブ! と思いながら、秋津は二人に声をかけた。

「先生は、今日は成績処理なんだってさ。だから今日の『塾』は、リョウ先生だ」

「リョウ先生?」

「マスター。アヤ先生の旦那さん。紅茶淹れてくれる人」

「ああ、あの……」

 お馴染み「紅茶表現」の用意をしてくれていたあの人は、リョウ先生というのか。

「っていうか、旦那さんも先生なんですね」

「うん。まぁ門下っつーか、流派違いの人ではあるんだけどね」

「流派?」

「うん……二人とも、耳貸して」

 言われるままに、先輩の口元に耳を近づける二人。

 その耳に、小さな声で秋津……アキは続ける。

「リョウ先生は『錬金の魔術師』なの」

「えっ?!」

 魔女と魔術師は、基本的に敵対関係にあるはずだ。全員の適合水晶判明後、第1回のいよいよ本格的な授業で、少なくとも1年生二人はそう教わった。なのに……と思った後輩二人に向けて、とにかく行ってみれば分かるから、とアキは促した。

 それぞれ、鞄にテスト問題を詰め込んで、あの「塾」こと「喫茶店」に向かう。

 その道すがら、ところで例の60年問題だけどさ、と秋津が話し出す。

「古墳の最新研究のアレですか?」

 桃の言葉に、うん、と秋津は頷く。

「そう。たしかに長いっちゃ長いんだけど、必要なことをしっかりやった上での記載、って思えば納得もできるんだよね。君らは覚えてないだろうけど、2000年に考古学界で大事件が起きてる」

 少し考え、あ! と桃は手を打ち合わせた。

「旧石器捏造事件!」

「え? 何ソレ?」

 麻衣の問いに、授業聞きなさいよ、と言いながら、桃は説明する。

「今の日本には『後期旧石器時代』からの遺跡しかない、ってことになってるんだけど、昔はもっと古い遺跡もあった、って言われてたの。つまり、中期や前期の旧石器、いわゆる『原人』の時代があった、ってね。ところが、それらの遺跡で発見された『旧石器』ってのは、実は発掘者によってあらかじめ埋められてた『ニセモノ』だったんだよ!」

「うわっ! 詐欺!」

「発掘者は『ゴッドハンド』の異名を取るほど、掘るトコ掘るトコから石器を見つけてたんだけど……そりゃ当たり前だよ。だって埋めたモノ掘り返してるだけなんだもん。おかげで学界は大混乱。彼の関わった『遺跡』の再調査に追われ、教科書は書き直さざるを得なくなり……と」

「何で誰もツッコまなかったの……」



 麻衣の呟きに、それが人間の業ってものだよ、と秋津が返した。

「一応、学界の中でも、ソイツの見つけてくる石器が、何故かどれも似たり寄ったりなのがアヤシイ、とか主張する人たちもいたんだけど、そういう人たちは少数派だった。だって、古いのは格好良いってのが、考古学の人たちの一部の心情だし。政府にとっても『我が国にはこんなに古い歴史があるのです』って、格好つける材料になる」

「そういや、富本銭の追加って、すごい早さだったとか」

 桃のことばに、そう、と秋津は頷く。

「人間ってのは、自分に都合の良いことは喜んで受け入れるけど、望まないことは拒絶する。見たくないモノは見ようとしない。そういう性質を持っている……アレはその典型的な事件だね。疑問を抱いた人が動くことはゼロじゃないし、実際にピルトダウン人みたいに、厳密な検証の結果、ニセモノと断定されたケースもあるけど」

「ピルトダウン人?」

 桃と麻衣の同時の問いに、うん、と頷いて、秋津は答えた。

「20世紀初頭のイカサマ事件。オランウータンの顎と、古墳時代程度の古い人間の頭蓋骨を、ご丁寧に整形してくっつけて、しかも古く見えるように薬品処理して、最古の人類でございます、ってね。しかもイギリスは、自国のプライドを守るべく、精密調査をなかなか許可しなかったもんだから、40年も人々はダマされ続け、約250本の関連研究論文がポシャッたそうだ」

「えっぐぅ……」

 麻衣と桃、二人同時の感想である。

「それが人間の業ってヤツね。ちなみに、ガチの理系のイカサマなら、ヘンドリック・シェーンかな。超伝導は知ってるよね?」

 はーい、と麻衣が手を挙げた。

「ある種の物質を冷やしまくったら、電気抵抗がゼロになるってやつですね!」

 化学は桃よりも得意なのだ。ふふん、と胸を張った麻衣に、うん、と秋津は頷く。

「ヘンドリック・シェーンは、比較的高温での超伝導記録をつくりまくって『魔法の手』って呼ばれたの。ところが、彼以外の誰が実験しても再現できない、貴重なはずのサンプルが破棄されてる、論文のグラフが使い回しだった、挙げ句の果てには実験ノートがない」

「うわぁ……」

 麻衣が額に手を当てる。あはは、と秋津は笑った。

「ノーベル賞受賞者を多数輩出した一流研究所所属の上、共同研究者も著名人でね。その名声でみんなダマされちゃったのよね。結局、不正が発覚して、学界追放されたけど」

「当然の処分!」

 麻衣の言葉に、しかし桃は、興味深そうに瞬きをした。

「なんか理系の人って『数字こそ真理!』ってイメージだったんですけど、ネームバリューとかにコロッと騙されたりするんですね。意外です」

「ま、それもあるだろうけど、これも例の旧石器と同じで、実現して欲しいと思っていたことだからこそ、最初は受け入れちゃった部分があるんじゃないかな」

「夢を見ちゃうのは、理系文系関係なく、ようするに人間の業ってワケですね」

 麻衣の結論に、桃もうんうん、と頷く。そして秋津が答えた。

「その部分に関する学習が、今日の特別授業だよ!」





 カランカラン、とベルを鳴らして、三人は「喫茶店」に入る。ちなみに表には「CLOSED」「本日臨時休業」と掛かっていたが、三人には知ったことではない。

 秋津が「アキ」になって、桃は「モモ」に、麻衣は「マイ」になる。

 ダンディなヒゲを生やした店主こと「リョウ先生」は、やあ、と軽く片手を上げた。

「全員の『適合水晶』も判明したし、今日は僕が特別講師をするよ」

 リョウ先生の言葉に、はいっ、と一番に答えたのは、先輩であるアキだった。

「よろしくお願いします!」

 礼儀正しく、頭も下げているので、マイとモモも倣って、頭を下げる。

「お願いします!」

「お願いします!」

 リョウ先生は楽しそうに笑って、じゃあ行こうか、と歩き出した。

「正式な顔合わせになるから、更衣室で『正装』に着替えて。僕も着替える」

 リョウ先生の指示に従って、三人は勉強部屋の隣、ロッカーの中に仕舞われた、黒いワンピースを身につける。ちなみに、マイとモモのドレスは半袖だが、アキのドレスには長袖もある。季節が変わったら、新しいのを作ってもらえるらしい。なお、同じ半袖でも、モモのドレスは大きめのパフスリーブで、マイのドレスは小さめのパフスリーブだ。アキも半袖の方のドレスを着たが、三者三様のデザインだ。

「前も思ったんですけど、なんで同じ『未来の魔女』なのに、違うんでしょう?」

 マイの問いに、先輩たるアキが答えてくれる。

「それは簡単。私たちは、一人一人が別々の、独立した存在だからよ。そして、それぞれ自分の道を切り開いていく。違う存在であるということを、それでも繋がっているということを、この『正装』自体が表現してる、っていうわけ」

 なんと。そんな哲学が込められていたとは。

「よーし……そんじゃ、行きますか」

 着替え終わったアキの姿を見て、マイとモモは首を傾げた。アキのドレスの胸元に、彼女の「適合水晶」である、黄水晶シトリンのブローチがついていたのだ。台座はどうも銀らしい。

「あ、このブローチのことは、リョウ先生から説明があるから」

 そう言われて、今はまだ質問すべき時ではないのだな、と二人は理解した。

 三人揃って、隣の「勉強部屋」に入る。

 そこには、黒いシャツに黒のスラックス、黒のベストと思われるモノの上に、さらに、白衣を羽織った「リョウ先生」がいた。白衣! 予想外の服装に、ぽかんと口を開ける後輩を置き去りにして、アキは慣れた様子で、自己紹介のためのステップを踏んだ。

「私はアキ。『歴史の魔女』マヤの弟子の、『詩歌の魔女』マリの弟子の、『修辞の魔女』アヤの弟子。黄水晶シトリンの『未来の魔女』です」

 先輩に続き、促されたモモから、正式の名乗りをする。

「私はモモ。『歴史の魔女』マヤの弟子の、『詩歌の魔女』マリの弟子の、『修辞の魔女』アヤの弟子。紅水晶ローズクォーツの『未来の魔女』です」

「私はマイ。『歴史の魔女』マヤの弟子の、『詩歌の魔女』マリの弟子の、『修辞の魔女』アヤの弟子。幽霊水晶ファントムクォーツの『未来の魔女』です」

 三人の名乗りに対し、リョウ先生は、少なくともマイとモモは見たこともないステップを踏んでから、優雅に一礼した。



「私はリョウ。ドイツにおいてはローゼンブルク一門、イギリスにおいてはゴールドスミス一門にて、錬金と色彩と医術を主に学んだ。魔術の第一師匠は『共鳴のグイ・シェン』。『白』の道を選び、『詩歌の魔女』マリに出会い、今は『修辞の魔女』アヤと共にある」

 聞いたことのないタイプの名乗りに面食らう二人に、リョウ先生は笑った。

「魔術師としての自己紹介は、去年、アキにして以来だが……」

 本当、中二病にも程がある名乗りだよ、と、本人自ら言って肩をすくめる。

「ご自分で言っちゃいます?」

 マイの言葉に、まぁ、それがゲルマン系魔術を学んだ者の流儀だからね、と、リョウ先生は苦笑した。ドイツがゲルマンなのは分かるが、イギリスがゲルマン? まぁ、それは今はいい。気になるのは「第一師匠」と「『白』の道」だ。

「さて、と……では三人とも着席して。アキは、後輩の理解の手助けを頼む」

「はい!」

 リョウ先生はチョークを取って、黒板に板書を開始した。

 本格的な講義になりそうで、すでにアキはルーズリーフを準備しはじめている。マイとモモも、急いでルーズリーフと筆記用具の準備をした。その間に、文字はもう並んでいた。

「さて、アキは僕を『錬金の魔術師』と紹介したと思う。それは君たち『未来の魔女』……ばっさり言えば半人前魔女向けの名乗りで、僕ら『魔術師』の世界では、専門は基本的に明かさない。下手を打つとこっちの命が危ないからね」

 異端審問とか魔女狩りとか、研究の横取りとか、カルト指定とか、ね。

「だから、ヨーロッパの魔術結社は、基本的には内向きなんだ。まぁ『黒』や『間』の連中は、そうとも限らないけれど。たとえばかつて存在した『薔薇十字団(ローゼンクロイツ)』という結社。あれは『間』かな。イギリスで、アレイスター・クロウリーが結成した『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』なんかは、基本的に『黒』だ。ネット通販なんかで売っている、自分の欲望を叶えるための『おまじない』ってやつは、僕らの世界では『黒』分類だね。それがたとえ、好きな人と両想いになる、という程度の望みでも、だ。特に、好きな人にすでに恋人がいるからといって、二人の仲を引き裂いた上で、相手の気持ちが自分に向くように……なんてのは、完全に『黒』」

 存外、魔術師の世界もハードなものらしい。というか、魔女よりヤバそうだ。

 黒板には、次のように書かれていた。



《 「魔術師」の大別 》


◎ 白魔術師 (=利他的魔術師)

 自分自身のためではなく、自分の愛する対象のために、魔術を用いる。

 医術系を得意とするケースが多いが、他の道での「献身」を行う者もいる。


◎ 黒魔術師 (=利己的魔術師)

 自分自身のため、その欲望・欲求のために、魔術を用いる。

 他者より己の欲求を優先する、という一点で共通し、職業での判別は不能。


◎ さかいの魔術師 (=進路未決定)

 何のために魔術を用いるのか、方向性を固めていない魔術師。

 いわゆる「白」と「黒」の両方を学んでいる途中の、未分化の魔術師を刺す。


◎ はざまの魔術師 (=利己利他折衷型)

 状況に応じて「白」と「黒」を使い分けることを選択した魔術師。

 いわゆる「最大多数の最大幸福」を目指す者が多い。行使した魔術が引き起こした事態の結果によって、他者により「白」もしくは「黒」と評価が分かれる。



「僕自身は『白』を選択したつもりだが、実態は『間』が近いかもしれない。基本的に魔術師は、この4タイプに分類されるが、完全な『白』は稀で、多くが『境』や『間』だ。『黒』の連中は、まぁ、一線踏み越えてることが確認されるまでは、基本的に『間』のふりをする……というわけで、いわゆる未熟者は『境』、他はよほど献身的な人以外は『間』と思った方が良い。ただ、まぁ、自分を良く見せようと聞こえるかも知れないが、アヤや君らのような『魔女』と友好関係にある者は、利他的傾向が強いから、『間』の中でも『白』寄りだね。僕らのような魔術師は、魔女との友好を望んでる」

 そう言うと、一息置いてから、リョウ先生は三人をみた。

「アキは知っているだろうが、君らの大師匠にあたる『詩歌の魔女』マリは、魔女の母と魔術師の父を持つ。その息子のアンリは、君らの師匠アヤの兄弟子だったが、妹弟子たちの才能に嫉妬するあまり、魔術師の、しかも『黒』に堕ちたんだ。それが相当ショックだったようで、アヤが僕と結婚すると言い出した時には、相当な反対を受けたよ。まぁ、マリさんのお父さんは、祖国フランスを守るために、ドイツとの戦いの最前線で、魔術を使って死んだ……フランスから見れば『白』で、ドイツから見れば『黒』の、まさに『間』の典型例だ。だから僕は、自分の力はアヤとその弟子たちを支えるため、第二次世界大戦で完全崩壊した、魔術師と魔女の関係を修復するためにしか使わない、って誓った」

 大師匠の経歴に、マイとモモは絶句する。

 そして、よもや我らが師匠が、才能故に、兄弟子を悪堕ちさせていたとは。

「……とまぁ、まずは魔術師の分類を説明したわけだが、次にそもそも『魔術』とは何か、を話そう。ここは板書しないから、しっかり聞いてくれ」

 そう言われ、三人はしっかりと耳を澄ませ、集中する。

「君たちの使う『魔法』は、『世界の声』を聞いて、その力を借りる。そして『不思議』を起こして、人々に貢献する……まぁ、魔女にも『黒』はいるけれど、君らは『白』の系譜だ。ちなみに黒魔女は、借りた世界の力を、自分の欲望のために使う……ここまで聞くと、黒魔女と黒魔術師の違いは、よく分からなくなってくるかもしれない。だが、魔女と魔術師には、決定的な差がある」

 一拍おいて、リョウ先生は三人をぐるりと見た。

「魔術の基本は、平たく言うなら『催眠術』だ……魔法の基本は『聞くこと』『世界の力を借りること』だが、魔術の基本は『囁くこと』『人々を操作すること』だ」

 マイはちょっと拍子抜けしそうになったが、リョウ先生の顔つきは真剣だった。

「つまり、魔術の基本というのは、相手の心を掌握し、相手を自分の思うがままに操ること、だ。対象は個人だったり、集団だったり……集団が『黒』に操られた場合は悲惨だよ。第二次世界大戦後の、ドイツの惨状を見てみろ」

 その言葉に、アキはもちろん、マイも、日本史志望のモモも固まった。

「えっ、と……ナチスって、魔術師の集団だったんですか?」

 マイの質問に、リョウ先生は少し眉間にしわを寄せた。

「60年以上前の話だ。確証は取れんが、残っている資料から推すに、ゲッベルスとヒトラーは『クロ』だな。僕ら魔術師は最低修士以上の学位が必要だが、ゲッベルスは哲学で博士号を取っている。囁くのに適した美しい声も持っていたが、身体障害者であることに強いコンプレックスを抱いていた。対してヒトラーは、十分な教養は持たなかったが、人心掌握術……特に、コンプレックスを抱える人間を操るのに長けていた。こうして、脚本・演出家ゲッベルス、役者ヒトラーという、最強にして最悪の『番の黒魔術師』が誕生した」

「番の魔術師……?」

 首を傾げたモモに、魔術師の世界では結構ある、とリョウ先生は答えた。

「ま、専門分野の近い二人以上での共同研究、みたいなものさ。僕は大学で心理学を専攻したが、ヒトラーの演説の映像記録を見た時には恐怖したね。声の使い方、間の取り方、身振り手振りのタイミング、全てが完璧だった。だが、彼個人の教養では、知識層までの洗脳は難しい。そこをゲッベルスが請け負ったのさ。こうしてドイツは『黒』に染まった……人を操った最悪の事例だ」



 固まった1年生二人に対し、警戒をほぐすように、リョウ先生は微笑んだ。

「だが、専門によっては、操作対象が非生物の場合もある……特に錬金術はそうだね。錬金術の基本は『鉛を金に変える』など、物質を思い通りに操作することだ。『黒』の錬金術は富や名声への欲望の要素が強い。対象物質の情報を分析する、ということは……つまり、君ら魔女の『世界の声を聞く』に近いことなんだ」

 なるほど、情報分析というのは、謙虚さを取り払った「聞くこと」なのか。

「それに、錬金術発達の背景には、君らの学ぶだろう薬草学と近い部分もある。いわゆる『エリクシール』……『万能薬』の開発を例に挙げると、『黒』の連中にとっては『不老不死』という欲望のための研究だが、『白』にとっては、治療法のない病を治すための薬探しだったんだ。ま、現在『エリクシール』というと、薬草をウォッカなんかに漬け込んだものを指すから、もう『魔女』の領域の産物になっちゃったけれどね」

 まだ薬草学やってませんが、という声を、マイとモモは呑み込んだ。4月にスカウトされて3ヶ月弱。その間は、ほとんど適合水晶探しと、「魔女と魔法について」の基本しかやってない。2年目のアキは違うのだろうけれども。

 そんな後輩二人の声を感じてか、アキがふふっと笑った。

「私も『エリクシール』はまだよ……っていうか、お酒を扱うから、二十歳過ぎないとダメなんだって。基本の薬草を、ようやく教わり始めた程度よ。しかもそれだって、先生の調合したハーブティーを、お客さんに提供する時のためで、自分で調合するのはまだダメ」

「道のりが長い……」

 モモがぼやく。そう、一発目で「番の石」に当たったマイと違い、モモはこの先、自分の「番の石」探しもしなければならないのだ。

「基礎工事で手抜きをすれば、どんなに立派に見える建物でも、すぐに壊れる。それにモモ、君はまだ、無色透明の水晶じゃなかっただけ、マシだよ。彼らは俗に『番なし』とも言って、ケタ違いに多い産出量から、『番の石』に出会う前に、出会うこと自体を諦める者も多いんだ。まぁ、普遍的なモノであることを逆に生かして、強力さを求めなければ、いつでもどこでも容易にパスを繋げるから、諦めるって手もアリと言えばアリだ。アヤも諦め型だしねぇ」

 リョウ先生の言葉に、うう、とモモは頭を抱える。今日は彼女には、実に悩みの多い日だ。まぁ、マイにもなかなか先の長さが感じられるし、衝撃だ。「番なし」だと?

「ま、気長にいきなさい。功を焦ると『黒』に呑まれるよ」

 そう言うと、リョウ先生は、ずらりと杖を並べた。

 一つは見覚えがある。アヤ先生の使う「レーザー水晶」の杖だ。

 他の杖は、先端の六角研磨石から押して、黄水晶シトリンがアキ、紅水晶ローズクォーツがモモ、うっすら「山入り」になっているのが、マイの水晶だろう。

 だが、残る二本が妙だった。

 まず、基本形状はアヤ先生の杖と変わらない、先端に研磨ポイントがついた杖。ちなみに黒水晶モリオンだ。ベースは黒みの強い木材で、しかも金色の象嵌っぽい細工がされている、結構派手なデザインだった。持ち手の部分の、ちょうど指先が当たるだろう位置には、あちこちに色々の水晶が散りばめられている。

 そして最後の一本は、持ち手の部分にライトグリーンの硝子らしきものがいくつか嵌め込まれ、そこから、これまたやはり金色の象嵌っぽい細工が、先端へ向けて伸びている。そして先端は、金属だ。



 リョウ先生は、その先端が金属の杖を、手に取った。

「これが僕ら魔術師の杖だ。君たちやアヤの杖は、万一の護身用に、『歴史の魔女』マヤ、『詩歌の魔女』マリが、先達であるマリの父の遺した資料から作ったもので、ルーツは魔術にある。ただ、いわゆる『世界の力』を借りやすいように、魔女仕様に改造されているがね」

 えっ? 魔女って言ったら杖じゃないの?

 そんなことを思ったマイとモモだったが、リョウ先生は知らん顔だ。

「魔術師の杖は魔女の杖とは違って、非常にギミックが多い。これは、長い歴史の中で、杖が次第に戦闘用の武器に進化していったからだ。ちなみに、僕の杖は、これでも魔女の仕様に近くカスタマイズしてある。『黒』の連中の杖なんか、先端が刃物になっていて、完全に凶器だよ」

 それはもはや、杖というより、槍か何かのような気がする。

 という二人の思いを、これまたスルーし、リョウ先生は明るい黄緑の「石」を指した。

「ただ、自己意志に基づく対象操作を基本とする『魔術』では、自然物を用いるケースは稀でね……僕の杖に嵌め込んでいるのは、ウランガラス。つまり、ウランで着色したガラスだよ」

 そういうと、リョウ先生は白衣のポケットからブラックライトを取り出して、その黄緑のガラスに紫外線を当てた。その瞬間、青紫の光の中で、ウランガラスは、文字通り蛍のような、鮮やかな、いっそ毒々しいほどの、やや緑を帯びた蛍光レモン色に輝いた。

「……放射能とか、大丈夫なんですか?」

 おそるおそる問うたマイに、問題ない、とリョウ先生は返す。

「着色は極微量で可能だ。通常の自然界の放射線と比べて、特に大した差はない。ま、ブラウン管テレビ程度の放射線量だな。長生きした人の総自然被曝量にも及ばないよ」

「じゃ、こっちの黒水晶モリオンの杖は?」

 モモの問いに、リョウ先生は少し困ったような顔をして、答えた。

「僕が『黒』の連中に狙われた時の戦闘用にと、アヤが頼んできたので作った、魔術師式のアヤの杖だ。自然水晶に放射線を当てて、人工着色処理。これで、魔女の使う『自然石』の要素と、魔術師の使う『人工物』の要素を融合。アヤ自身の共鳴能力と、膨大な量の知識を使って、各水晶ごとに攻撃や防御その他の術式を組み込んである。それを、僕の錬金による真鍮で伝達し、先端の『黒水晶モリオン』から放つ仕組みだ。僕のウランガラスからは、極微量だが放射線が出ていて、この水晶は放射線によって着色された。完全に、連携戦闘のための杖だね」

 なんということ、と言わんばかりのモモに対し、マイは明後日方向の反応を示した。

「あー、これ、真鍮だったんですか……」

 そうだよ、とリョウ先生は頷いた。




「真鍮の錬成は、近世以後の錬金術では基本だよ。真鍮……正式には黄銅、端的に言うと5円玉の材料で、銅と亜鉛の合金だ。よくパフォーマンスに使われた。これから実演しよう」

 そう言うと、このクラシカルな「勉強部屋」には不似合いな、なんだか理科室のような雰囲気の奥の壁面部分。そう、流し台つきの、実験器具の棚へと歩みを進めた。この棚は腰ぐらいまでしか高さがなく、実際に実験場所としても使われる。リョウ先生がそこに立つと、白衣がすごく馴染んだ。

 リョウ先生は、まず、謎の計測器を取り出した。それから何かをチェックして、いったん三人を部屋から出した。戻って良い、と言われて戻ると、換気扇が回り始めていた。

「この実験、水素が出るからね。下処理の作業は外でしていたから、この部屋での水素の発生量はすごく少ないはずなんだけど、大事な生徒の命がかかってるから、慎重に慎重を期したんだ」

 そう言いながら、手早くガスバーナーを取り出す。

 たしかに火を使うのに、部屋が水素まみれだなんて、シャレにならない。

 リョウ先生は慣れた手つきで、ガスバーナーに着火すると、化学の実験でお馴染みの、金網のついた三脚を取り出してセットすると、三人が部屋の外に出ていた時に取り出したらしい、謎の液体の入った耐熱ビーカーを、その金網に載せた。

 さらに、しっかりと手袋をして、慎重な手つきで、謎の液体の入ったシャーレを取り出した。その中に入っている銅板をピンセットでつまみ出すと、流しの水で洗い、水分をふき取る。そしてピンセットをかざして、三人に、その赤銅色の輝きを見せつけた。

「これは銅だね?」

「銅ですね」

 素直に頷く1年生に対し、2年生アキは「どうでしょう」などとふざけている。

 こら、とリョウ先生はたしなめるような声を出した。

「アキは知っているけど、このシャーレの中の液体、塩酸だからね?」

 その言葉に、ヒッ、と息を呑む1年生二人。

「ま、希塩酸だけど」

「薄くても濃くても恐いです!」

 モモの訴えに、でもなぁ、とリョウ先生は呟く。

「サンドペーパーで磨いてもいいんだけど、こっちのが確実だからなぁ」

 いや、確実性より安全性のが欲しかったです、と、マイとモモは共に思った。

 コポコポと、謎の液体が沸騰を開始する。リョウ先生はバーナーの火を小さくすると、銅板を沸騰する謎の液体の中に、ピンセットで放り込む。じわじわと、赤銅色が、白銀色に変わっていく。

「うわっ。亜鉛って知らなかったら、銅が銀に変わったみたいに見える!」

 マイの言葉に、そうだろ、とちょっと得意げに話しつつ、ピンセットで金属片をくるくる回す。十分に亜鉛めっきができたのだろう。三脚をバーナーからそっとずらすと、ピンセットで銀色になった金属片を取り出して、また流水で洗い、丁寧に水気をふき取る。

「さて、本番だ」

 バーナーの上で、ピンセットでつまんだ状態の金属片をひらひら動かし、リョウ先生はその、今は銀色の金属片を、青い高温の火に突っ込んだ。

 じわりじわりと、銀色だった金属片が、今度はきれいな金色に変わっていく。

 完全に金色に変化すると、バーナーの火を消して冷ます。その後水で洗って、新しいシャーレの中に入れ、テーブルに持ってきた。



「すごい! 金色になってますね!」

「なるほど……これが五円玉になるんだ……」

 マイははしゃぎ、モモはしみじみと、金色に変わってしまった銅を眺めた。

「君たちには予備知識を与えたが、何も知らない人間が今の実験を見たら、銅が水によって銀に変わり、それから炎によって金に変わったように思うだろう。昔の人なら尚更だ……このパフォーマンスを悪用して、錬金の経費と称して、王侯貴族から金をだまし取る輩が多かったんだ」

 リョウ先生の言葉に、ウワァとマイは顔をしかめる。

「最悪ですね。実験がステキなだけに、すっごく残念です」

 そうだな、と頷いたリョウ先生は、だが、と言葉を続けた。

「しかし、それ故に真鍮は、魔術においては、強力な概念武器になる。元は銅、液体すなわち水により銀、そして火によって金になる……そう認識することで……まぁ、僕ら作っている側にとっては、自己暗示になるわけだが……それによって、この真鍮は、銅と銀と金、土と水と火という、複雑なイメージ系魔術を行使する媒体になるんだよ」

 首を傾げる1年生二人に、さっきはふざけた先輩が、つまりね、と言った。

「『魔術』っていうのは、基本的には暗示をかけることなの。そして魔術師が、真鍮に『銅・銀・金』『土・水・火』というイメージをつけると、それぞれのイメージを組み合わせることによって、相手にかけられる暗示のバリエーションが増やせるわけ」

「うまくまとめたな、アキ」

 リョウ先生の言葉に、そりゃ私は2回目ですからね! とアキは胸を張った。

 うん、と頷き一つで返し、リョウ先生はマイとモモを見た。

「わざわざ予備知識を与えたのは、君らの対魔術耐性を上げるためだ。アヤは『魔女』の名乗りを続けているが、教壇に立って生徒に『囁いて』いる時点で、実態はかなり『魔術師』寄りになっている。元々、『修辞の魔女』は、言葉を操るという時点で、魔術師との親和性が高いんだよ。それに君ら、アヤの試験問題、見ただろう?」

 三人は、2年生世界史Bの試験問題を思い出した。

「論述と小論だけで40点なんて配当は、基本的に君らレベルの学校では容認されない。だが、アヤの試験は何故か認められている。それはな、アヤが『囁いた』からだ。学校でのアイツは、ほとんど魔術師だ。生徒自身に考えさせるための努力をして、何とか踏みとどまっているが、アイツの授業、するすると納得しちまうだろう?」

 三人は、寸分の迷いもなく、はい、と頷いた。

「納得させられている時点で、君らは半分操られているんだ。もっと極端に考えたり、真逆のケースを想定したりして、全力で抵抗を試しておけ。アヤ自身は善意で動いているが、あいつは『間の魔術師』でもある。もし暴走した場合、止められるのは魔術師の僕だけだ。僕らもまた『番の魔術師』なのさ」

 その言葉に、三人、特にマイとモモは、黙り込んでしまった。

 何せ「番の魔術師」による大災害を、さっき聞いたばかりなのだ。

 今日は本当に、驚きの連続の日だ。

「マリさんは、そこら辺の事情まで知って、それでようやく、僕らの結婚を許可したんだ。僕は魔術を、魔女の魔術耐性を底上げし、謙虚さを失わせないためだけに使う」



 なるほど、それならたしかに、これはリョウ先生にしかできない特別授業だ。

「だが、例外もある。魔女から魔術師の『黒』になったアンリ、魔術師ながら魔女の伴侶の道を選んだ僕……アンリの根本には嫉妬と復讐心がある。彼らとの戦闘発生の可能性は高い。だから、君たちは魔女には珍しい、自己願望投影系の『杖』を持っている。アヤが通常使うのが杖なのも、万一の場合に君らを守るためだ。基本的な『魔法』……世界の力を借りる、だけなら、装身具でも十分なんだ」

 そう言われ、マイとモモは、あのアキのブローチに目を向けた。

 アキもそれは予想していたようで、ふふ、と笑いながら、ブローチを示す。

「杖による戦闘術は、護身に必要なレベルは仕込む。だが、君らが謙虚な『魔女』であることを望むならば、装身具による『魔法』をおすすめする」

 そう言うと、リョウ先生は、テーブルにA4サイズの紙を敷き、その上に金属片のサンプルを並べた。さらに、その下にはそれらの名称を記していく。

 金・白金・銀・銅・鉛・錫・鉄・亜鉛・アルミ・黄銅・青銅・白銅・洋白

 ちなみに、アルミのサンプルは1円玉、黄銅は5円玉、白銅は100円玉、洋白は500円玉だった。存外身近なところに、そんな材質が転がっていたとは、気にも留めなかった。

「基本的に、合金は魔術との相性がよい。人間が自分たちのために加工したモノだからね。逆に自然に産出するケースの多い金・白金・銀・銅は、魔法との相性が高い」

「鉛からアルミまでは?」

 マイの質問に、基本は精錬の手間が面倒な順だ、とリョウ先生は答えた。

「特にアルミニウムは、電気分解での単体分離ができるまで、長い時間を要した『幻の金属』だ。ある意味では錬金術の産物でもあり、その過程で蓄積された膨大なイメージから、複雑な魔術を使うのにも適している。日本での魔術師の決闘は、アルミニウムの剣を使う場合もあるぐらいだよ。ま、半分は銃刀法違反に引っかからないため、だけど……達人クラスのアルミ剣使いは、電気分解のイメージを応用して、電流操作や相手の装備の分解すらやってのけるね」

 その説明に、マイの目はキラキラ輝く。その後輩を一別し、アキは言った。

「リョウ先生、魔術の勧誘になっちゃってますよ」

「あぁ、すまない……まぁ、そのぐらい強力な概念武器になるんだよ。だから、自然界から力を借りる魔法との相性は、あまり強くない。相当な上級者向けだ。マリさんの門下生で使えるのは、アヤとエリカさんぐらいだな」

「またしても双璧か……」

 モモががっくりとうなだれる。

「初心者でも簡単に扱えるのは、安定性の高い金とプラチナだ。けど、向上心があるなら、銀をおすすめする。安定性は高いが、黒ずみやすく、日々の手入れが欠かせない。その手入れを通じて、自然界との交流パスを強化していくんだ」

「というわけで、私のブローチは銀なのだ」

 アキが、ふふん、と笑って、胸を反らした。

「じゃ、私は銀で」

「私も銀で」

 マイ、そしてモモの順に、ベースの金属を決める。

形状タイプは? アキはブローチだが、ペンダントでもブレスレットでも指輪でもいいぞ? まぁ、マイの場合は指輪は難しいから、おすすめはペンダントになるな。モモは何でも選び放題だが」

「おのれ、ありふれ紅水晶ローズクォーツ……じゃ、ペンダントで!」

「『番の石』に一発目であたった人間が言うな! うーん、どうしようかなぁ」

 悩むモモに、それなら、とリョウ先生は提案した。

「アヤよりも装飾品作りに特化した『工芸の魔女』が、近々来る予定だ。その時に決めたらどうだろう。デザイン画もその場で起こしてもらえるし、満足のいく一品になるはずだ。マイもね」

 おお、とモモは目を輝かせた。

「それがいいです! それでお願いします!」

「よし、じゃあ、決まりだな」

 その日が楽しみだ、と思いながら、マイとモモは顔を見合わせて、笑った。





第2弾のミサの名乗りに、師匠のイジワルが入っていたことが判明。はい、正式には専門未定の魔女は「半人前」ではなく「未来の魔女」と名乗るのが作法、という設定です。

なお、アキの本名は「秋津」ですが、この三人の名前は、全員が「言葉の魔法」というか「言語系魔術」行使に向いた名前となってます。アヤ先生は、魔術も使える魔女として、三人を育てています。

というのも、アンリの復讐の刃に真っ先に引っかかりそうなのがアヤ先生なので。エリカさんは山奥で引きこもり生活してますが、アヤ先生は前線出まくりですからね。ちなみにアキは、すでに少しぐらいなら、護身系魔術も使えます。

詳細は、いつ出るか分からない続きで!(ひどい)


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