狼の肛門 錬金術師 2
砦の上階の窓から、ふたつの影が、大広場の騒ぎを覗き見ていた。
「おい、なんだか、すごいことになっているぞ」
いつもの関所の取り調べ。
暇を持て余した代官の、悪趣味で、気まぐれな遊び。
そこでの力関係は常に決まっていた。支配する側と支配される側。辱める側と辱めを受ける側。搾取する側と絞り取られる側。その関係は絶対であり、決して覆ることはない。通行人は代官や兵士達のためのオモチャであり、性奴であり……なにをされても文句の言えぬ生贄の山羊だった。頭を下げ、従順を示し、媚びへつらい、賄賂を支払って、なんとか見逃して貰う。そういう弱く、みじめな平民たち。それが、いまや逆転していた。
無力な通行人のはずの緑の肌の巨漢は、屈強な鎧の兵士たちの頭をいきなり棍棒で叩き潰し、兵達相手に戦いを始めた。すぐに鎮圧されるものかと思いきや、この巨漢の男、槍を避け、兵士達を弾き飛ばし、ついには兵士達の中でも一際強かろうはずの兵長グロッケン・バウアーを一撃で叩き殺し、その武器を奪ってしまった。砦最強のはずの兵長をあっさり失い、兵士達は完全に冷静さを欠き、阿鼻叫喚、蜘蛛の子を散らすように逃げ回っている。
緑の肌の巨漢はそれを追い回し、手にした新しいオモチャを試すように、金棒で逃げる兵士を楽しそうに叩いて回っている。城壁で哨戒していた弓兵達も事態に気付いて援護射的をするが、面白いぐらい弓が当たらない。それどころか、怒った緑人に死んだ兵士の生首を投げつけられて、何人かは城壁から落下した。
「どういうカラクリなんだ、あれは。弓が全く当たらないぞ」
「たいしたトロルだ。すさまじく耳と感覚が良いんだろう。音と気配……殺気を事前察知して避けている。だが、天然物ではない。ひどく不自然で、ガワと内蔵物にだいぶ齟齬がある」
「……魔縁の者だ。なぜこんな辺境に?」
「さてな。竜信仰者か、魔女之忌子か、はたまたどこぞの貴族の落胤か……封ぜられているのか知らんが、たいして魔力は感じられん。本来、表に出られぬ隠者の分際で、関所を通って一体どこへ行こうというのかな」
「どうする? ヴォルフガングの男色野郎、あんたをどやしつけに、もうじきここに駆け上がってくるぜ。俺たちだって、ここに遊びでいるわけじゃない……仕事はちゃんとこなさいとまずいぞ」
「そんなことはわかっている」
「妖人傀儡を使うか?」
「馬鹿を言え。あの程度のトロル、ここに仕掛けたパペット騎兵だけで充分だ」
「ほら、言ってる側から、やっこさん、必死でこっちにやってきた……」
「錬金術師殿ッ! パスカル・フラーデ上級錬金術師殿ッ!」
ヴォルフガングは愛玩少年達を突き飛ばし、砦の中を死に物狂いで走り回りながら、彼の者の名を呼ぶ。
いつものような、人を見下しきった強者の余裕はどこにもない。いまにもあの、狂った緑の化け物が、後ろから階段を駆け上がってきて、自分の頭部を粉砕するかもしれぬ……そんな恐怖に駆られ、完全に泡を食っていた。
代官であるヴォルフガングも一応は貴族ではある。だが、それはただの地位としての貴族、この国を治める名目上の貴族であって……本物ではない。貴族ではないのだ。多少剣技武芸を嗜んでいようと、本物相手には太刀打ちできない。だから不測の事態に備え、中央から上級錬金術師が派遣されて、この砦にも常駐しているのだ。
「ここに。ヴォルフガング・ギラー殿」
窓際に、長身の男が立っていた。
背が高く、体格も悪くはない。
にもかかわらず、なぜか存在感の薄い、曇りの日の影の如き男だった。声を発しなければ、ヴォルフガングは気付かず目の前を通り過ぎていたかも知れぬ。
傍らにはその従者たる、年若い小柄な娘が控えている。白衣を纏う、白磁の如き透き通る肌と、薄い胸。片目を隠す、まばゆい金色の髪。碧い瞳をした、人形のような娘だった。
ヴォルフガングは歓喜し、なんとか一息つくと、すかさず命じた。
「おお、おられたか! 大変なのだ! とんでもない化け物が暴れている! あなたさまの錬金術の秘技で、早くなんとかしてくれ! すぐに、今すぐにだ!」
「ええ。なにもかも、わかっておりますよ。ギラー殿。手は打ってございます。既に」
再び、言われて初めて、ヴォルフガングは気付いた。
従者の娘のしている奇妙な所作に。
腕まくり上げ、露わになったそのほっそりとした左腕には、五線譜にも似た……ただし、よく見ればそれよりはるかに複雑で難解な……紋様が、煌びやかな金色に輝きながら、浮かび上がっていた。
ヴォルフガングは感嘆の声を上げる。
「おお……! これが彼の有名な、子午線之弦か!」
錬金術における、錬金の秘術の大源たる金枝……それを長年かけて練り上げ組み上げ、構成し配置した、錬金術の精華、秘術の制御盤……子午線之弦。
左腕に燦然と輝くそれを、同じく輝く彼女の右手の指先が爪弾いている。制御盤とは言うが、パソコンのキーボードを叩くというよりは……どちらかというと弦楽器の、琴でも弾いているような、なめらかで典雅な指の動きであった。僅かに電子音を奏でながら、乙女の細腕の上を、指先が美しく踊る────
砦の中を、残りの兵士とヴォルフガングを探して歩き回っていたぼくは、とんでもないものを眼にした。砦の赤絨毯の大広間には、身の丈三メートルほどの鎧騎士の像が、左右にずらりと巨大斧を構えて並んでいた。
趣味悪っ!
まあ、日本でいうと風神雷神みたいなもんかな。そう考えるとすこしは見れるかも知れない。しかし数が多い。十二体もいる。海外の十二神将的なものだろうか? 十二というと……十二使徒? 聖闘士星矢的に十二星座か、リンかけ的にオリュンポスの十二神か。しかしこのファンタジー世界にもそれらに対応するものが存在するんだろうか? ……バキのシンクロニシティ的にあり得るかも知れない。
などと馬鹿なことを考えながら、彼らの間を歩いていると、
ヴ……ン……
「ん?」
………………
「いまなにか、電気音がしたような」
電動バイブかな?
でも、ファンタジー世界に電動バイブとかあるのだろうか?
……あるかもしれない。
何気なく上を見上げると、整列した十二の騎士像……
彼らの眼が、なぜだかみんな発光していた。
「え?」
目前の騎士像が、いきなり大斧を振り下ろしてくる!
ガシャーン!
ほとんど奇跡的な反射神経と運の良さで、ぼくはギリギリでそれを躱した!
「な!?」
飛びはね、慌てて走り出す。
ガシャーン! ガシャーン! ガシャーン! ガシャーン!
まるでゴギブリを発見した時のうちのおかんのように、騎士像は無茶苦茶に斧を振り回し、赤絨毯の床や石造りの壁を破壊しまくる!
「な、なんじゃそりゃああああああああああああああああ!」
しかも一体だけではなかった!
並んだ全ての騎士像……それも通常の騎士ではなく重装歩兵像だ!……が動きだし、みんなでぼくを追いかけ始める! ガシャンガシャンと、絶望的な重量を感じさせる音を引き連れて!
「冗談だろ!? GUNTZじゃねーんだぞ!」
長身の錬金術師は指一つ立てて笑みを浮かべ、ヴォルフガングをなだめてみせた。
「一分です。一分であの緑の無法者、首もぎとりて門前に晒してみせましょう」




