03 言葉の蝶
「父上!」
金髪の少年が、はっと目を覚まして勢いよく起き上がった。だが、そこは血で汚れた船長室ではなかった。血染めの父もいない。しかし、どこかの船の船長室であることに間違いは無いようだ。ベッドに寝かされている。窓から明るい光が差し込んでいる。静けさが、異世界から流れ込んでくる。
「……え?」
何が起きたのか、一瞬で理解できない。
「お加減はいかがですか」
聞きなれた声のした方を振り向いた。部屋の戸口に、船長室にいた黒髪の少年が立っている。汚れた服を着替え、所々、手当てをした痕があった。
「ウィル……」
思わず涙がこぼれた。
「私の服ではやはり、少し大きかったですね」
ウィルと呼ばれた少年が、アートの方へ歩み寄って来た。己の袖を見ると、たしかにぶかぶかだ。自分のものではない。
「ここは……?」
「私の船です」
落ち着いた口調で返ってくる。だが、感情が読み取れない。
「ヴィクトリア号は?父上の船は?」
矢継ぎ早な質問に、黒髪の少年が目を閉じた。小さくため息が聞こえた。
「海賊の襲撃に遭って……乗組員はほとんど死にました。あの船にいて生き残ったのは、あなたと私と、他に数人の将校だけです。……申し訳ありません、父君のお身体を回収する余裕はありませんでした。ヴィクトリア号は、あのあと沈められてしまって……」
言葉が信じられず、アートは青い目を見開く。
「どうして……」
力ない呟きがこぼれる。アートは動揺を隠せなかった。あの時の光景が蘇る。うつむいたまま、ぼそぼそと喋った。
「父上は……?ウィリアムが殺したの?」
黒髪の少年の動きが一瞬止まった。しかし、何事もなかったかのように答えた。
「私ではありません。海賊です。ジョアン=リーガという名の……恐ろしい海賊です。残虐で情けの心など持ち合わせない……ご存知でしょう、懸賞首のあいつです。私が部屋に駆けつけた時、伯爵はすでに亡くなっておられた。まあ、あなたのご覧になった状況を考えると、そう思わずにはいられないでしょうが。シアーズ伯爵は、海賊から非常に恨みを買っておられた。その分、我々にとっては英雄であったのですが。特にリーガとレイモンドの一団とは何年も戦ってきたようですし」
アートは、ただただ泣いていた。ウィリアムはアートの頭を、なだめるように撫でた。
「もう少しおやすみなさい、落ちつきますよ」
ウィリアムは、アートを愛しそうに見つめた。アートが、それを見つめ返した。随分と怯えた表情。ウィリアムは彼の目を見つめ返した。
「これからは……俺が守るから」
噛みしめるように言った。アートはそのまま目を閉じ、疲れたのか、すぐに寝入ってしまった。
なんということか。人をこんなにもたやすく信じる心の純粋さ。子どもとは、こんなものなのか?俺はこんなふうではなかった。いや、なれなかった。他人なんて全て敵。容赦なく蔑まれ、油断していれば堕とされる。だから絶対に信用などしたくない。――だからなのか?誰からも憎まれ、疎まれてきたのは。ふっと襲い来る、影のような感情を振り払った。
ウィリアムは足音を立てないように部屋を出て行った。だが、扉の前でアートが静かに眠っているのを確認するように立ち止まり振り返った口元には、冷酷な微笑があった。
少年時代はここまでです。