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十字架を架ける 【蒼碧の鎖-2-】  作者: 沖津 奏
第4章 薔薇の嘲笑
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22 羨望と欲望

「ウィル!」

 ローランド卿が屋敷に戻ると、女がいた。自分でも思わず眉を寄せたのが分かった。

「心配したのよ。あんな汚い海賊なんか追いかけて、もうずっと……」

「ジゼル……もう来るなと言ったはずだ」

 意図したわけではないが、なんとも不快さを滲ませた声になってしまった。だが女は何とも思っていないようだ。そのせいでローランド卿はますます不愉快に思った。

 『汚い海賊』?お前のような無知な女に一体あいつの何が分かる。手塩にかけて育てあげた弟のような存在を悲しませ、迷わせ、結局俺があいつに出来たことと言ったら裏切ることくらいだ。それでもあいつを追いかける意味が自分でも分からない。それなのに、そんな簡単に一言で済ませるな。世界はきらきらしていて、自分の思い通りになるなんて夢のようなことばかり喋り、鏡も視ようともしないお前が。何も知らないくせに――。だが、口に出して言ったって無駄だ。分かっているから耐えるしかなかった。

 ブロンドの髪をレースのリボンで結んだ女は、瞳を潤ませた。何で貴族の女って、こうも化粧が濃いのだろう、と冷静に不思議に思った。

「ウィル!どうしてそんなことを……私は心からあなたを愛しているのに!」

 よくもそんな嘘を堂々と言えるものだ。愛しているだと?ローランド卿は怒りを通り越して、可笑しくなった。思わず吹き出しそうになる。それを堪え、肩を震わせて彼は笑った。ジゼルは一瞬驚いた顔をし、すぐに気味悪そうな顔をして恋人を見た。

 笑いが収まったところで、彼は自嘲気味に笑うと明るい声で言った。

「あなたが恋している相手は、私の権力と財産だ。それに、若い娘は皆、最近昇進したヘンリー卿に夢中だと聞いた」

 ローランド卿はジゼルの顔を真っすぐ見つめた。その彼の表情には、さきほどのふざけた雰囲気は感じられない。紡がれる言葉には、若干の怒気が見える。

「あなたもだとね……。幸い私はあなたとそんなに会ったこともない。せいぜいヘンリー卿と楽しめばよかろう」

 ジゼルは一瞬顔をこわばらせたが、意地悪く笑った。そして、さっきとは全然違う声で答えた。

「あら、ご存知でしたの。……いいわ、あなたにはもう会わない。その代わり、一つ、教えてあげる」

 部屋の扉の前まで足音を立てながら歩くと、ジゼルは振り返った。しかめっ面のローランド卿と目が合う。

「あなたが貴族でなくて、しかもローランド卿なんかに育てられたせいで、ちょっと優しくしてあげると、すぐにおちるっていう噂は有名よ!……せいぜい孤独を楽しむことね」

 ローランド卿が彼女を睨む。

「消えろ。義父上を侮辱するな」

 ローランド卿が言い終えないうちに、ジゼルは姿を消した。ふと部屋の中を見回して、ローランド卿は机の上に手紙があるのに気付いた。

 ジェームズ……義従弟か。

 手紙には相変らず嫌がらせしか書かれていない。どうでもいいことばかりだ。何度同じ内容を聞き、読まされたことか。

 そんなに俺が憎いか……。

 ローランド卿は蝋燭の火で、それを最後まで読まずに燃やした。最後に何か大事なことが書いてあったって知るか。そう思った。

 多くを望んできたわけではない。エドモンド=ローランド卿が自分の命を救ったのは、単に復讐の道具としてだけだった。そういう事実を知ってからも、命を救ってもらったことに対しての感謝と義父を尊敬する気持ちに変わりはなかった。子どもの時から他の貴族や、親族にまでも憎まれ、いじめられる毎日にももう慣れた。あの頃は隠れて泣くことしかできなかったが、今は何と言われようと涙もでない。それがまた可愛くないと言われる。それなのに、自分が権力を持つと、とたんにすり寄って来る者は山ほどいる。


 マダム=ホプキンスに会いたい。ポーツマスに戻りたい。もう会うことは叶わないのだけれど、――士官学校時代が懐かしい。彼女は、今の俺を見て何て言うだろう。また甘い紅茶でもいれて、薔薇に囲まれた庭で慰めてくれるんだろうか。

 ローランド卿は目を静かに閉じた。疲れた、と思った。ろくに寝ていないし、体が受け付けなかったせいで食事もまともにとっていない。

 ふっと笑いがこぼれた。無意識のうちに、額の古傷をなぞった。同時に左目に、あの頃の感覚が蘇る。



 居場所がほしいなんて……俺には過ぎた望みか……。





最終話です。ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。

次からのご案内を、あとがきの方にしてあります。宜しければ、そちらもお読み下さい。

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