20 退路前進
暫く後。再びあの場所に、二隻の船がいた。晴れていて、水平線と空の境界がくっきりと分かれている。雲は白く眩しい。
「風上はとった……あとは向こうが動くのを待つ」
ローランド卿が悲しげな表情で、しかし力強く通る声で呟いた。
「閣下、いつでも発砲できます」
「命令を待て」
自分で命令を口にする――後悔もしないし懺悔もしない。ただ、一つの物語を終わらせようとするだけのことだ。
一方、シアーズの方も緊張していた。
「キャプテン……!」
クルーが力強い声で呼びかけた。船同士の距離はまだ十分ある。それを確認し、シアーズはそのクルーに向かって頷いてみせた。
「よーし、お前ら……」
シアーズがにやっと笑った。
「全力で反転――!!」
クルー達が雄たけびのような歓声をあげた。その声は離れた場所にいたローランド卿にも届いていた。
「動いたか!」
ローランド卿は右手の肘を直角に曲げた状態で上に挙げ、即座に命令を出した。
「総員に告ぐ!発砲用意!」
部下が、わあっと声を上げ、火種を持つ。そのまま静かに時が経つ。気味が悪い。心臓が破れそうなほどの苦しい鼓動。
そしてローランド卿は、シアーズの乗る船が方向を変えるのを見た。
「船首を南東へ向けろ!これより追走、及び接近し、予定どおり単縦陣戦法をとる!」
部下が動く。二隻の船は距離をおいて並走し始めた。
「合図を待て!」
ローランド卿は叫んだ。できれば戦いたくない。決着をつけると言った時点で望みの無いことだが、部下を私情に巻き込みたくない。いや、それよりも俺は――。
シアーズの船がだんだんと向きを変え、遂に背を向けた。
「え……?」
エンプレス号の乗組員は、全員固まった。ローランド卿に至っては右手を挙げたまま口が開きっぱなしになっていたが、すぐに思い直したように怒鳴った。
「何やってる!追え!あの下衆野郎が!」
ついでに攻撃しろと叫ぶと、エンプレス号から少し古い型のカノン砲が勢いよく火を噴いた。
ファントム=レディ号が帆を潮風でいっぱいにして軍船から逃げる。
「あーくそっ、しつこい奴だなー、だから女にモテねーんだよ」
その船の上でシアーズは自ら舵を取り、苦笑いしながら呟いた。隣で手すりが音を立てて粉砕した。船体がぐらぐらと揺れている。上から、粉々になった木の破片が降ってきた。帽子を被っておいて良かった。
「キャプテン、追いつかれます!」
エンプレス号ってこんなに速かったか?疑問に思いつつ、もっと帆をはれ、と指示した。積み荷も捨てた方がいいかもしれない。
いろいろ考えているうちに、船が並んだ。ローランド卿がシアーズに向かって叫んだ。
「シアーズ、貴様!戦え!約束はどうしたんだ!」
まずい、完全に怒っている。まるで、恥をかかされた子どものようにムキになっている。とりあえず目は合わせないようにしよう、と思った。
「今日終わらせるんじゃなかったのか、コラ聞け!」
シアーズは帽子を取って振り返った。思わず見た方も微笑んでしまうような笑顔をつくった。
「悪いな!俺はまだ死にたくないんでね!」
我ながらとんでもない言い訳だ、と思う。ローランド卿は怒りが頂点に近づいているようだ。
「今更何を……この卑怯者が!」
しかし、ローランド卿は視界の端に、ある島が映ったのを確認すると、一気に冷静になった。
「船を止めろ!」
部下が戸惑いながらも速度を落とした。
「残念だったな、ウィル」
シアーズは安心したように笑うと、誰にも届かない声で呟いた。




