表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十字架を架ける 【蒼碧の鎖-2-】  作者: 沖津 奏
第4章 薔薇の嘲笑
17/23

17 海の悪魔

 満面の笑みでシアーズが顔を上げた。

「逃げる!」

「うおおおおおおお!キャプテン!さすが海賊!やることがせこい!」

 クルーは戦わなくていいことにほっとしたようだ。重々しい空気が充満していた船室が、一気に酒場のような雰囲気に変わった。

「あっ、でも、約束は?」

 一人のクルーが思いだしたように言った。シアーズとクルーはたちまちしゅんとなった。約束とはつまり、『全て終わらせる』と言ったことだ。

「そうなんだよなー、あいつ約束破ったとなると、きっとすっげー怒るからなー。だから、いったん約束した場所へ行く。で、戦うと見せかけて逃げる!」

 シアーズは仇を討たいとも思っていたが、クルーを無理に巻き込んではいけないと思っていた。こいつらには私情なんて関係ない。……でも、すっごく卑怯だ。卑怯すぎて笑える。これではもう戦法というより、言葉のあやだ。

「よし、ひとまず、スペインから足の速い船をかっぱらってきて、馴らしておくぞ」

「えっ、じゃあ、レディを捨てるのか?」

 シアーズは笑った。レディを捨てるなど、シアーズが農夫になるというのと同じくらいありえない話だ。

「いや、レディはどこか島にでも隠しておく。俺の大切なお姫様に傷なんかつけられたら困る、戦いに行くわけでもないのに。万が一、戦うようなことがあっても、エンプレス号より足が速ければ逃げられるからな」

 なぜスペインの船を選んだかというと、単なるローランド卿への嫌がらせだ。


 イギリスに帰ってから、士官は報告書をまとめて、ローランド卿の司令官室へ行った。先日、搭載する艦砲はカルバリン砲よりカノン砲が良いと言われ、流行のものを外し、数をやっと揃えることが出来た。本当にローランド卿は用心深い。確実に狙うつもりだ。ついでに『詳しいこと』の概要だけでも聞いておこうと思った。

 ノックをしたが、いつものような返事が無かった。いないのなら報告書だけを置いて行こうと思って、扉を開けた。だがローランド卿はいた。椅子に深く腰掛け、左腕を肘掛の向こうへすっかり投げ出している。そして、その手に体重をかけるようにして、肩が凝りそうな体勢で眠っている。

 まだ昼過ぎだ。午後の柔らかな日差しが部屋に差し込んでいる。士官は机へ静かに歩み寄った。右手には、昨日渡した報告書が握られていた。ローランド卿は士官のいるのに気付く様子もない。この方は、一体どんな夢を見ておられるのか。夢の中ですら安らげないのか、安らげるような夢を見ているからこそなのか。頬に涙の痕がある。長く、綺麗なまつ毛が濡れている。これで髪をほどいていたら、十人中十人が、彼のことを女性だと思うだろう。

「ローランド卿……?」

 呼びかけてみたが、全く反応が無い。士官は報告書を机の上に置いた。上官はそれでも微動だにしない。まるで人形のようだ。

 士官はそれきり何も言わず、黙って一礼すると部屋を出ていった。その時も細心の注意を払って、音を立てないようにした。扉を閉めた時、カチャリと音がして、士官はガラスの向こうから室内を確認した。何も変わっていない。

 上官は、よく泣く。声を立てずに、涙だけ静かに流す。だから、顔を見ないと泣いていることは分からない。泣くと言っても、決して自分のためには泣かない。たいてい、戦いで部下が死んだとかだ。他の将校ではしないことだろう。弱いからではない。強いからこそ、泣くのだ。だがせめて、夢の中では自分のために泣いてほしいと願った。

 海軍司令部本塔の庭先には、ローランド卿が自分の邸宅から分けて植えた薔薇が、血のような斑を持った花を咲かせていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ