棟上げの宴から外された葺き手令嬢、三十七枚の作業順札が私の席と帰る家を連れてきました
「椅子は十九脚、働いた者は二十人。ええ、計算は合っています。私を数えなければ」
エグレは冬刈りの葦束を壁へ立てかけた。
黄色というより、薄い蜂蜜を日に透かした色だ。穂先は銀白、切り口は硬く締まり、持ち上げれば乾いた音がする。昨日まで雨を落としていた小屋の屋根は、その葦を軒から三層に重ねたおかげで、夕映えをまとった大きな鳥の翼のようになっていた。
「親族の差配がよかったおかげですな」
棟上げ膳の前で、ボリスラフが礼を受けている。
「家のために当然のことをしたまでだ」
当然のことをした手は白い。葺き槌を一度も握らなかった手は、驚くほど白い。
エグレの手は葦の切り口で赤くなっていた。たいへん不公平である。せめて働かなかった者ほど日に焼ける仕組みなら、世の中はもう少し計算しやすい。
「エグレ様、私の椅子を」
「駄目です。あなたは棟を押さえたでしょう」
若い職人が腰を浮かせるのを止め、エグレは十九脚をもう一度見た。
一脚には赤い花布。一脚には青い花布。残りは磨かれた木肌。どれにも皿が置かれ、焼いた蕪と腸詰め、黒パンが配られている。
ないものは一つだけ。自分の席だ。
ボリスラフが職人たちへ顎を上げた。
「明朝までに残りの束を倉へ入れろ。寝床と給金が惜しくなければ、手を止めるな」
領主親族には、祝われながら働けと命じる便利な口が付いているらしい。
エグレは葺き槌を帯へ差した。
「席がないなら、屋根へ上がります」
十九人が皿から顔を上げた時には、彼女はもう梯子へ手を掛けていた。
* * *
二度目は礼拝堂だった。
「一列十二束です。十一でも十三でもありません。十二」
「十二ですね。十四じゃなく」
「今、増やしましたね、ジフコ」
「減らすより景気がよいかと」
「屋根に景気は要りません。雨を落とす角度が要ります」
ジフコは首をすくめ、エグレから作業順札を受け取った。北の粉挽き小屋、その次は足の悪い夫婦の家、子どもが五人いる家。雨漏りの場所、家人の人数、古い棟縄の傷みまで、三十七枚に書き分けてある。
札はバイバが各戸へ届けることになっていた。
「なくさないでください。家の順番ですから」
「鍋より丁寧に運びますよ。鍋はへこんでも煮えますからね」
ところが翌日、ボリスラフが用意させた正式な札からは、書き手の名だけが削られていた。
ジフコが爪で跡をなぞる。
「ここ、エグレ様と書いてありました」
「女の覚え書きを、私が仕事に使える形へ直したのだ」
ボリスラフの声は領主家の者へ向ける時より二割ほど太い。給金を受け取る職人の前では、さらに一割増し。数字にすると、ずいぶん勇ましい叔父である。
棟上げ膳には花布を掛けた椅子があった。白地に青い矢車菊、赤い撫子、金糸の小さな穂。エグレの好きなものを寄せ集めたような一脚だったが、ボリスラフの帽子が置かれている。
「それはエグレ様の——」
バイバが口を開く。
「濡れ束が七です」
エグレは先に数えた。
「夕方までに分けます。バイバ、札はそのまま各家へ。書き直された方ではなく、最初の方を」
「料理は冷めても温められます。濡れた寝床は温められませんからね」
バイバは三十七枚を前掛けの内へ収めた。
エグレは花布を一度だけ見返し、濡れ束を抱えて礼拝堂を出た。
* * *
三度目は、領主館の大屋根と三十七世帯をまとめて葺き替える仕事になった。
冬に刈った葦は、背丈より長いもの、肩までのもの、細くしなうもの、太く硬いものに分ける。褐色の斑点がある束は外す。青みの残る束も外す。よく乾いた葦だけを一晩立て、夜気を抜き、朝の光に切り口をさらす。
並んだ束は黄金の壁だった。
朝日を受ける穂先は白く、縄は亜麻色、職人たちの上着は焦げ茶、葡萄色、灰青。そこへエグレの赤い髪をまとめた銅の簪が混じる。きれいだ。とてもきれいだ。
だからこそ、雨に腐らせる者は許さない。
「ジフコ、長い束は?」
「百八十です!」
「百六十二」
「心の中では百八十ありました」
「心の葦で屋根を葺いたら、心の雨漏りで済むでしょうか」
「済まないと思います!」
「たいへんよろしい。十人一組。二組は領主館の東面、二組は西面。残る組は各戸へ束を運んでください。束は寝かせない。葺き台は軒に平行。針を渡す時は尖った方を自分へ。手を一枚でも屋根の材料にした者は、今日の膳から外します」
「それ、休めるんですか」
「治療係の隣で豆粥です」
「絶対に手を守ります!」
職人たちの返事が重なり、葺き台が上がった。
最初の一層は軒へ厚く置く。二層目は根元を揃え、三層目で雨の返りを止める。葺き針へ縄を通し、内側の職人が受け、梁へ回して返す。外側では葺き槌の溝で葦の切り口を叩き上げる。
とん、ととん、とん。
ばらついていた黄金色の線が、槌の音ごとに揃っていく。
「一列十二束!」
「十二!」
「軒先は三層!」
「三層!」
「棟は?」
「二重!」
「返事だけなら立派です。西面七列目、一本ずれています!」
職人たちが笑い、一本分だけ葦の波が動いた。
午前中に領主館の東面が終わり、午後には西面へ回る。古い葦を下ろした場所から、バイバが籠を持って走ってきた。
「粉挽き小屋からです。北壁まで濡れ始めました」
「八番札ですね。領主館の三組目を回します」
「十三番です」
ボリスラフが高窓の下から口を挟んだ。毛皮襟の外套に長靴。屋根仕事を見物するための服としては、泥を拒絶しすぎている。
「八番は領主家の親族が使う狩猟小屋だ。先にそちらを仕上げろ」
「狩猟小屋に寝る者はいません」
「領主家の客人が使う」
「雨は三日後です。客人は来月。粉挽き小屋には今夜も七人が眠ります」
「正式な作業順札を見ろ。差配は私だ」
彼が掲げた札では、八番と十三番が入れ替わっている。
エグレは腰袋から同じ番号の小札を出した。バイバが各戸へ配ったものと同じ、最初の順札だ。
「私は見ました。ですから粉挽き小屋へ行かせます」
「命令に逆らえば、職人の給金を止めるぞ」
ボリスラフの後ろで親族二人が目を合わせ、口元をゆるめた。面白い冗談だったらしい。職人の子どもが今月食べるパンを取り上げる話が。
エグレは葺き台の端から身を乗り出した。
「聞きましたね、皆さん。給金を止めるそうです」
槌音が止まる。
「では一人ずつ覚えてください。今日ここで、誰が、どの家を後回しにし、何を盾にしたか。十人一組が五組。聞いた耳は五十。数が多くて助かります」
ボリスラフの親族二人から笑みが消えた。
「脅しているのか」
「記録しています。叔父様のお好きな正式な形へ直すために」
地上でバイバが腹を抱えた。笑い声は出さない。そこは料理番の品格である。
「エグレ様、三組目は粉挽き小屋でよろしいですね!」
ジフコが大声で訊く。
「ええ。四組目は足の悪い夫婦の家。五組目は子どもが五人いる家へ。古い屋根を全部剥がさず、乾いた範囲を残して半面ずつ。日暮れまで寝床を裸にしないこと」
「狩猟小屋は?」
「鹿に相談してください!」
槌音が一斉に戻った。
とん、ととん、とん。
午後の光が傾くにつれ、濡れた灰色の古屋根が、明るい蜂蜜色へ変わっていく。
エグレは葺き台を東から西へ送り、束の根元へ掌を当て、浮いた列を槌で締めた。内側へ針を渡す。縄が梁を回る。引く。返す。結ぶ。一本ずつなら葦だ。束ねれば雨を止める。人も同じ、などと美しくまとめる暇はない。次の束!
「九列目、受けて!」
「受けました!」
「根元を二指上へ!」
「一指では?」
「二指。あなたの一指は妙に希望が大きい!」
日暮れ前、粉挽き小屋の家族が乾いた毛布を窓から振った。足の悪い夫婦は戸口へ黄色い小花を一束置いた。五人の子どもは、下ろされた古葦から穂を拾って冠を作り、職人全員を王様にした。王様が五十人。領地運営は少々混雑しそうだ。
各戸の戸口には、バイバが配った順札が残っていた。
十七番の家では鍋敷きの下。二十二番では祈りの本の間。三十一番では青い糸で壁に結ばれている。どの札にもエグレの筆跡で、屋根の傷みと家人の事情が書かれていた。
「これを持っていてください」
エグレは家々で頼んだ。
「屋根が直った後も?」
「後ほど、誰がどの順番を決めたのか、分からなくなる方が出そうですから」
「ああ」
住民たちは一様に領主館の方角を見た。
皆まで言わなくてよろしい。遠くからでもよく見える毛皮襟がある。
三日目、領主館の棟へ上げる最後の束を選んだところで、都からの封書が届いた。
厚い象牙色の紙。群青の封蝋。中身は都の工房長への招待状だった。エグレの葺き方と配置を見た職人が推薦したらしい。
「工房長ですよ!」
ジフコが封書を日の光へ掲げる。
「屋根より高い地位です!」
「屋根の上で読むと、だいたいの地位は低く見えます」
「都ならボリスラフ様はいません!」
「それはかなり高い地位ですね」
エグレは招待状を折らずに腰袋へ収めた。
行けば、自分の名で働ける。祝いの席も用意されるかもしれない。椅子どころか、背もたれに彫刻があるかもしれない。
ただし今は三十七軒。雨雲は待ってくれないし、彫刻の椅子は屋根へ上がらない。
四日目の朝、ボリスラフは祝宴を日没に開くと宣言した。
「領主館の棟が上がれば十分だ。職人は昼までに戻せ」
「ダツェの家が残っています」
「外れの小家だ。雨が過ぎてからでよい」
「古い棟縄が切れかけています」
「老女一人の家のために、領主家の宴を遅らせるな」
相手がエグレと職人だけなので、彼の声は今日いちばんよく響いた。
そこへヴラディミルが中庭へ入った。
「何の話だ」
「家のため、職人を祝宴へ戻す話です」
ボリスラフの声は、見事に半分まで痩せた。
エグレは屋根から降り、ヴラディミルへ作業順札を見せようとした。
だが彼は札ではなく、棟の東端、西端、残る葦束を見た。
「領主館は今日中に終わるか」
「終わらせます。その後、十人をダツェ宅へ」
「そうか」
それだけだった。
呼び止めてもくれないのね、とは思わない。思っている暇に棟が濡れる。
ただ、ヴラディミルが自分の名ではなく領主館の出来を確かめたことは、胸のどこかへ細い葺き針のように入った。抜くのは後。仕事中に触ると痛いものは、だいたい後回しである。
「棟縄を!」
エグレは梁をまたいだ。
二本の縄を交差させ、束の首を締める。一方を梁へ回し、もう一方を返す。東端から中央へ、西端から中央へ。最後の結び目は二重。
「引いて!」
五十人の腕が動いた。
領主館の棟へ黄金色の稜線が通った時、五つ鐘が鳴った。
湯気の上がる棟上げ膳が中庭へ並べられていた。焼いた鶏、蕪と豆の煮込み、蜂蜜を塗った黒パン、赤い木の実を浮かべた酒。花布を掛けた椅子が輪になり、その中央近くに白布を掛けた一脚だけが空いている。
泥の付いた裾で、エグレは立ち止まった。
ダツェ宅へ葦束を運び、崩れかけた軒を支えたせいだ。灰色の泥、金色の切粉、棟縄の屑。祝宴向きではない。屋根にはたいへん好かれる格好だが、椅子には嫌われるらしい。
ヴラディミルがこちらを見た。
目はエグレの顔から、泥の付いた裾へ落ちた。
「その席は空けておけ」
彼はバイバへ命じた。
エグレの名を呼ばず、そのまま横を通り過ぎる。
広間の扉が閉じた。
白布の一脚は、誰も座らないまま残った。
なるほど。一度目は椅子がなく、二度目は帽子が座り、三度目は空けておけ、ときた。排除にも成長がある。次は椅子だけ宴へ招かれるかもしれない。
エグレは乾いた場所へ一本だけ葺き槌を置いた。
ヴラディミルの手が必要になった時、使えるように。
どうしてそんなことをしたのかは数えない。数えると、仕事より厄介な答えが出そうだった。
「エグレ様、お膳は」
バイバが追ってくる。
「ダツェの枕が先です」
「では鍋ごと後で運びます!」
「席がないなら、屋根へ上がります」
エグレは残った十人と、黄金色の束を荷車へ載せた。
夕映えの中、ダツェの小家だけが古い灰色の屋根を伏せている。
「三十七軒、あと一軒です」
* * *
五つ鐘が鳴った。
ヴラディミルの前には湯気の上がる棟上げ膳が並び、花布の椅子の間に、白布を掛けた一脚が置かれていた。
エグレのための席だった。
彼女は泥の付いた裾で中庭へ戻ってきた。灰色の泥に混じる金色の切粉は、領主館のものより細い。ヴラディミルは昼、ダツェ宅へ送るために分けられていた短い束を見ている。
彼女は領主館の祝宴より先に、残された小家の軒を支えに行ったのだ。
「その席は空けておけ」
ヴラディミルはバイバへ命じた。
ボリスラフが白布の椅子へ近づいていたからだ。
「功績を奪った者を座らせるな」という言葉まで続けるべきだった。だがエグレの泥の裾を見た瞬間、彼女を仮婚約者として家へ置き、働きだけ受け取ってきた自分の鈍さが、喉を塞いだ。
ヴラディミルはエグレの横を通った。振り返った時、乾いた場所には葺き槌が一本残されていた。
呼ばなければならなかった。
だが、呼んであの席へ座らせるだけでは、また「家の役に立つ女」として囲い込むことになる。
ヴラディミルは広間へ入った。
先に切るものがあった。
「宴を始めましょう」
ボリスラフが白布の一脚へ手を伸ばす。
「その前です、領主様」
バイバが食卓へ札を並べた。
一枚。二枚。十枚。二十枚。三十枚。
三十七枚。
煮込みの湯気の向こうへ、家々で保管されていた作業順札が広がる。油染みのある札、青糸の付いた札、幼い手で花を描かれた札。すべてに同じ筆跡で家人の数と屋根の傷みが記され、下端には「エグレ」の名が残っている。その脇へジフコが運んだ正式札を重ねると、同じ位置だけが刃で削られていた。
「女の覚え書きだ」
ボリスラフは笑った。
「正式な差配は私が——」
「この順番を決めたのはエグレ様です」
ジフコが削られた名を指でなぞった。
「僕は最初の札も、ボリスラフ様が書き換えた札も運びました。八と十三を入れ替えたのは、あなたです」
「若造が領主家の者を偽り呼ばわりするか。給金を——」
「止めるのですか」
ヴラディミルが訊くと、ボリスラフの口が閉じた。
続いて、粉挽き小屋の主人が札を掲げる。
「順番を聞きに来たのはエグレ様です」
「雨の夜、屋根裏へ上がったのも彼女です」
「うちの子の寝床を、先に乾かしたのも」
「棟縄の傷みを見つけたのも」
三十六世帯の声が重なった。
「エグレ様です」
白布の一脚の周囲から、ボリスラフの親族が一歩ずつ離れた。先ほどまで彼と目配せしていた二人は、花布の模様を熱心に観察している。共犯者は不都合になると、急に刺繍を愛する。
ヴラディミルはボリスラフの腰から家政の鍵束を外した。
金属音が一度、食卓へ落ちた。
「本日をもって、家政を預かる権限を解く。領主家に与えていた部屋も返してもらう。家同士が定めたエグレとの仮婚約も、ここで解く。彼女を家の都合から自由にする」
「私を追い出せば、この家は回らんぞ。あの女こそ、親族の功績を盗み、自分の名を——」
ヴラディミルは三十七枚の札を指した。
「叔父上は、自分が行った名義の書き換えを、同じ罪名でエグレへ渡すのか」
広間の戸口にいた住民たちが、札を一斉に掲げた。
ボリスラフは何も言わなかった。
「職人へ止めた給金は、あなたの財産から返す。今夜から領主家の厨房、金庫、馬車は使わせない」
護衛がボリスラフの部屋の鍵を束から抜き、本人の掌へ一つだけ置いた。私物をまとめるための鍵だ。夜明けには、それも返す。
「家族だぞ、ヴラディミル」
「だから長く間違えた」
ヴラディミルは白布の椅子を持ち上げた。
「だが、もうエグレの居場所へ戻しはしない」
ボリスラフが護衛に挟まれて退く。親族二人も続いた。救いを求める視線を向けられたバイバは、冷えかけた煮込み鍋へ蓋をした。
「料理は冷めても温められます。濡れた寝床は温められません」
そしてヴラディミルは、空席を自分で担いだ。
行き先は、領地の外れに残る最後の一軒だった。
* * *
「棟縄、右をもう少し引いてください」
エグレはダツェ宅の屋根で、結びかけの縄を歯から外した。
古い軒は外し終えた。新しい葦は三層。短い束を根元まで揃え、棟は二重。あとは最後の縄を結べば、今夜の雨は入らない。
「エグレ様」
ダツェが乾いた枕を胸に抱え、戸口を見ていた。
ヴラディミルが白布の椅子を担いで来る。
その後ろには三十六世帯の住民。椅子、鍋、花布、乾いた葦束、磨いた葺き槌を持っている。ジフコは束を抱えすぎて前が見えていない。バイバは煮込み鍋を一つ、焼いた鶏を二羽、黒パンを三つ。数えなくても重い。
「領主様、宴は」
「終えた。ボリスラフの家政権と居住権も、家同士が決めた仮婚約も」
縄を握ったエグレの手が止まる。
「仮婚約も、ですか」
「私たちが選んでいない約束だからだ」
ヴラディミルは白布の椅子を地面へ置いた。
「私は君を祝宴から外したのではない。『家の役に立つ女』としか呼ばない席から、連れ出しに来た」
彼は屋根を見上げた。
「泥の付いた裾を見て、君が私の祝宴ではなくダツェの寝床を選んだと知った。三十七枚の札を見て、それが一度ではないとも知った。私は君の仕事を理解しているつもりで、君がどの家へ帰るのかを一度も訊かなかった」
いつも短い声が、そこで途切れなかった。
「領主家のために働く妻になってほしいとは言わない。雨漏りする家を一緒に数え、最後の一軒まで直し、仕事が終われば同じ食卓へ帰る伴侶になってほしい。あなたの席を、私の帰る家に作らせてほしい」
住民たちは声を立てなかった。
エグレは腰袋から都の招待状を出した。象牙色の紙を開き、群青の封蝋を指でなぞり、もう一度閉じる。
「条件が三つあります」
「聞こう」
「三十七世帯の修繕は、私の名で続けます。順番は家柄ではなく、濡れる寝床の数で決めます。それから私の寝室には、内側から掛けられる鍵を」
「三つ目は?」
「まだ二つでしたね」
ああもう、求婚の最中くらい数え間違えてもよいではないか。ジフコは一日に五回やる。
けれどエグレは笑わなかった。
「三つ目は、この椅子が仕事をした日の報酬ではなく、何もしない夜にも私の席であることです」
ダツェが自宅の椅子を外へ運び出した。
粉挽き小屋の主人も一脚。足の悪い夫婦は二人で一脚。子どもたちは花布を抱え、ジフコはようやく葦束の後ろから顔を出した。
三十七世帯が、エグレの背後に椅子を並べる。
「三十七軒、あと一軒です」
今度は住民たちが、完全に同じ言葉を返した。
指された先には、領主館ではない、小さな家の骨組みがあった。
保管済みの冬刈り葦が運ばれる。蜂蜜色、淡い金色、穂先だけが銀白。十人一組で束を渡し、軒先を三層、棟を二重。エグレが一本目の棟縄を回し、ヴラディミルが二本目を受ける。
「そこを引いてください、ヴラディミル様」
呼び名が変わった。
彼の手が縄を引く。エグレが返し、二人で中央の結び目を締めた。
小家の戸口へ、三十七枚の札を削った刃では傷つけられないよう、深く彫ったエグレの名が掛けられた。
「お受けします」
その夜、持ち寄られた三十八脚の椅子が食卓を囲んだ。
白布の一脚は中央にあり、赤い撫子、青い矢車菊、金糸の穂が重ねて飾られている。鍋から湯気が上がり、皿が回り、五人の子どもが磨いた葺き槌を勲章のように掲げた。
雨が降り出した。
新しい葦屋根を叩く音はしたが、雫は一つも落ちなかった。
「この部屋、内側から鍵を掛けてもよいのですか」
「掛けてくれ。屋根より先に、私の常識を直す必要がありそうだ」
エグレは扉を閉めた。
鍵が、内側で一度鳴った。
雨音を数える前に、彼女は朝まで眠った。




