18.一人称では見えぬもの
「ラーゲン様……ですね?」
テンガロンハットを目深く被り、カウンターに肘をついて呑んだくれていたラーゲンは、自分の名を呼ぶ女の声を無視した。
彼が警戒したのは、刺客など様々なものが考えられた。依頼は然るべき手順を踏ませて請け負うようにしているから、少なくとも仕事や儲け話ではない。
となると、残るは厄介事ぐらいしか思い浮かばなかったため、取り合おうとしなかった。
まず彼女の声色から、アングラな雰囲気を肴に酒を呑むような物好きの集まる場末のバーには、到底似合わない育ちの良さが匂う。
大方、何か訳アリであろうと、仕事人の勘がそう告げていた。
「この度の出征隊に参加されるヒビヤ様の下女をしています。リコといいます」
ラーゲンは、この女が国家機密である隣国への応援出征を知っていることに、さらに身構えた。
「少しだけ、お話しする時間をいただけますか?」
警戒を表に出さないようにゆっくりと振り向き、じっと声の主の容姿を眼球だけでねめまわした。
声の主は、山吹色のマントで身を包み、フードで顔を覆い隠していたが、その声質は確かに"少女"のものであった。
「ヒビヤという奴のことは知らんが、おれぁ女の子にはやさしい男でな。そこに座れ。何か奢ってやる。マスター、ジンジャーエールでも出してやれ」
いいんですかと、カウンターの向こう側にいた店主が目で確認してきたが、ラーゲンは顎でかまわないといった仕草をした。
「ありがとうございます」
リコはそう感謝を述べてからラーゲンの隣の席に座り、フードを脱いで顔を露わにした。
「何の用だ。手短に」
「わたしをラーゲン様の従者として、お供させていただきたいのです」
「なに」
ラーゲンは、その鋭い眼付きで彼女の眼を確認した。
(なるほど、それなりの覚悟をしてきたつもりといった面だな)
「あんたの主人に頼め……ということを、おれに言ってくるということは、付いてくるなとでも言われたか」
「左様でございます」
「して、そう命ぜられても、危険な戦場に行きたがる理由は?」
リコは少しの間を取って「個人的な理由でございます」と答えた。
それは手短に表現しながら、取るに足らないものとも、深刻なものとも取れる絶妙な回答であった。
「どこの馬の骨かも知れんやつを連れていくと思うか? そのうえ、あんたの主人が連れて行かないやつを、おれが拾ってやる道理もない」
「不束ながら、わたくしも武術を心得ております。足手まといにはなりませんし、身の回りのお世話だけでもお供しとうございます」
「戦力も自分の世話も間に合っている。そもそも、ヒビヤとかいうポッと出の輩と、ラクトスの娘が出張ってくることもなかったんだ。この出征隊は少数精鋭で済ませるように組まれた部隊。タチバナは身内に手柄を立てさせたいのか知らんが、まったく未だにこちらの都合というものを考えてくれない。いや、側近たちにうまいように言いくるめられているのか」
このタイミングで、マスターはリコの前にジンジャーエールを差し出す。
「それを飲んだら家に帰れ。せいぜい、出征前に主人に尽くしてやるのが下女の務めだろうよ」
ラーゲンはそう言って、ロックグラスについた結露を親指の腹で拭い、ウイスキーを口に運ぶ。
それで、リコに対する興味は完全に失ったはずだった。
「わたしは、特防一級予備役です」
「なに」
ラーゲンは聞き捨てならないと、改めて少女の体躯と魔力分布から実力を測ろうとした。
しかし、マントで身体のシルエットは覆い隠され、魔力量やその分布も偽装が施されている様で、正確なものは分からなかった。
「所属は」
「一次緩衝部隊です」
(一次緩衝部隊といえば、外敵の攻撃を真っ先に受け止める最前線を受け持つ部隊じゃないか。特防は防衛主体の編隊とはいえ、なるほどそれなら腕に自信があるとも言う訳だ)
「齢は」
「十八です」
「魔素戦争の時のアミラと同じか……それでも、おれぁ女子供を戦場に連れていく主義はない」
「どうにか、補充要員としてでも連れていってもらえませんか」
「くどいな。その齢だと実戦の経験もないだろう。それに、実力を認められていながら、召集のお呼びがかからなかったことを考えてみろ。今回の出征に、あんたは必要ないと判断されたんだよ。それが、良い意味でも、悪い意味でもな」
「そんな……」
「おれがいじめているみたいな顔をするなよ……それよりもな」
ラーゲンはそう言葉を区切ると、左手の親指で一枚の金貨をピンと弾き出してカウンターの上で躍らせた。
「補充要員とか、軽々しく戦力の不足を心配してくれちゃってな。おれの実力も見くびられたものだな」
「い、いえ……そういうつもりじゃ……」
リコは席を立って後ずさりながら、きょろきょろと周りを見渡して怯えた表情をしていた。
「おれぁ表向きは傭兵稼業と言いながら、裏では暗殺もやっているんだ。ここに、人にナメなれるのが大嫌いな男がいてな。たったいま、そいつから金貨一枚で依頼を請け負ったんだ。そのコインが寝る前にここを出て行った方が身の為だぜ」
すると、店の客がざわざわと浮足立って、そそくさと勝手口から逃げ出す者も出始めた。
「い、いえ……申し訳ございませんでした」
逃げ出す客に向けた意識は一瞬で、ラーゲンはリコに一層強い殺気を浴びせて、その心を試した。
「失礼致しました……どうか、この件はご内密に……本日はありがとうございました。それと、ご馳走様でした」
リコは急いでマントとフードを纏いなおして、丁寧にお辞儀してから逃げるように店を出て行ってしまった。
それと、回っていたコインが卓の上で裏を見せたのはほとんど同時であった。
「……ラーゲンのだんな、本気でやしたね」
ラーゲンが凄み出してからカウンターの陰にかがんで身をひそめていたマスターが、額の汗を袖で拭いながら声をかけてくる。
「そう見えたか? どうだ、おれの役者もうまいもんだろう」
「それはもう、おかげで客も逃げちまいましたよ」
「悪い悪い、そいつで逃げた分の勘定も払ってやらあ。誰かに盗られる前に一緒にしまっちまいな」
ラーゲンは、空になったジンジャーエールのグラスの側に落ち着いた金貨を指差し、席から立ちあがった。
「それはありがたいことで、逆に儲けが出ますよ」
「おれぁマスターの正直なところ好きだよ」
「へへ、どうも」
マスターはほくほく顔で白い布で金貨を摘まんで大切そうに胸元へ収め、続いてラーゲンとリコが飲み干したグラスを片付けた。
「それにしても、だんなはよくよく戦好きの女に絡まれますな。にしても、今回はやりすぎじゃありませんかね」
「どんな理由があっても、まだ見ぬ幸せがあるかもしれないのに、途中で人生を終わらせちまうような勿体ないことはさせたくないんだよ。それはあいつの為ではない。あいつの未来の旦那の為でもあるし、おれが止めなければ申し訳なくていけねえ」
「そうですねえ……」
マスターも、厳しいことを言うラーゲンの人の心をよく理解しているようで、感心するような、同調するような溜息をついた。
「しかし、人の幸せというのは人によってわからんものですが、若くして命を終えてしまう選択が何よりの幸せということもあるんですかねえ。あたしは血気盛んな女子にそう言えるだけの甲斐性がないもんで、ハッカ姐みたいなのに迫られたら、ついその幸せを認めてあげたくなっちまいますね」
「その話はするな。店の酒瓶全部カチ割るぞ」
「それはご勘弁……金貨一枚でも大損こいちまう……」
マスターは一転してしょぼしょぼ顔になりながら、グラスを拭っている。
「そう、正直なのはいいが、余計なことを喋っちゃあいかん。面白いことだけ吹いていればいい」
ラーゲンは身支度を終えると、マスターに出征前の最後の言伝を残そうと顔を見上げた時、ふとあることに気づいた。
「待て、リコとか言ったやつ。いつのまにジンジャーエールを飲んだ」
「はい? いえ……あたしはだんなのような観察眼は無いもので、覚えておりません。だんなは人のそういうところ、よく見ますもんね」
(油断が全く無かったかといえば嘘になるが……この気持ち悪さはなんだ)
完璧主義の彼にとって、解せないことや不安要素の答え合わせが出来ないまま日々を過ごすのは、大きな苦痛であった。
(ヒビヤというやつに、釘を刺しておく必要があるかもしれないな……)
ラーゲンは生意気な小娘にまんまと弄ばれたように感じて、言葉無く静かな苛立ちを噛み殺した。
~
「リコ!」
天井に張り巡らされたステンドグラスを突き破って、砲撃が着弾するように式典に乱入してきたのは、革の武具に身を包んだ一人の少女であった。
今日は、俺たち出征隊一行を送り出すための出陣式の日であった。
「リコ! どうしてここに……」
ラクタがそう叫んで、リコのもとに駆け寄ろうとしたが、アミラが「待って」と左腕で制止した。
確かに、なんだか様子がおかしい。
いつもの聞きわけが良くにこやかなリコとは違って、言語化が難しいが、なんだかとても"やる気"に見える。
それも、極めて暴力的な手段に訴えるような、全身から闘志のようなモノがゆらいで見えるようである。
「お手合わせ願います!」
突如としてそう叫んだリコは、地面をたった一蹴りしただけで、ものすごい勢いで俺たち出征隊一行に向かって突っ込んでくる。
「ッ!」
マルトスは橘氏の前に立ちはだかって青い半透明のバリアを球状に展開し、ラクタは俺の前で同じように黄緑色のバリアを張った。二つのバリアは一行を包み込むように二重に拡大し、フルクスとラーゲンは最前線で受けの構えを取り、アミラは俺の顔を胸に抱きかかえるように引き込んで地面に伏せさせた。
こういう時にサービスはいいから! 突然始まったバトル展開を見させてくれ! それで多分俺はこのバトルを実況する使命がある!
アミラと一緒に倒れ込みながら、必死に顔を持ち上げて戦いの様子を見てみると、リコが手甲をはめた拳をラーゲンの持つ十手のような武器に突きたて、二重のバリアの中で鍔迫り合いをしていた。
「魔力障壁を突き破った!」
マルトスが驚いたような声をあげると、リコの後ろにあるバリアの割れた痕が塞がっていく。
「やはり人の察しに期待するのはいかんな! マスターのように正直でないと!」
「わたしがあなたをナメているワケじゃないって、わからせてあげる!」
その時、ラーゲンの隣にいたフルクスが鞘のついたままの剣をリコに向かって大振りに振り下ろした。
「待て! 彼女は!」
敵じゃない。俺の大切な仲間だと、叫ぶ間もなく両手剣がリコの頭上に行った、次の瞬間にはその剣が粉々に砕け散っていた。
「!」
「フルクス下がれ! コイツはおれが相手する!」
「しかし!」
「援護は不要! おれたちを結界の中に閉じ込めて、おまえたちは引っ込んでろ!」
ラーゲンは声をそう荒らげて、俺たちは急いで結界の外に避難し、アミラ・ラクタ・マルトスが張った三重の結界の外から二人の決闘を見守ることになった。




