12.くさい台詞:前編「生きる力」
引きこもり生活五日目。
朝九時頃か、リコが突然訪ねてきて「気分転換に外行こーよ!」と、無理やり自室から引っこ抜かれた。
面会謝絶のお触れを出していた筈だが、平気で破られていることに叱ったりツッコんだりする気力は既に残っていなかった。
ゆりの木の館の入口を出たところで、リコから一枚のタンクトップと運動靴を押しつけられ、背筋を伸ばして話を聞くように促される。
「ほんじつ! ご主人様にはわたしとジョギングをしてもらいます!」
これまた突然だな。
そこは、街でお買い物とか、あまあまなおデートとかが相場だろ。
他にもいろいろとツッコミどころはあると思うが、俺は鬱になっていたので(大袈裟)もう頭がまわっていなかった。
お腹と太腿を出した典型的な陸上用のスポーツウェア(ピッチピチ)に着替えて準備万端なリコに、泣き言を言ってみる。
「おじさんにゃ若いコのペースについていけないよ」
「なに言ってんの! ご主人はまだもうろくするような齢じゃないでしょ! 大丈夫だって、ペースは合わせてあげるから、走ってみると意外とたのしーよ!」
「翌日の筋肉痛が思いやられる」
「それは回復魔法で治してあげる。ラクタと精神性エネルギーの鍛錬してたんでしょ? やっぱり体力性エネルギーも鍛えておいた方がいいよ!」
そういえば、魔法の勉強もしばらくしてないな。
ラクタと毎日顔を合わせなければモチベーションを保てなかったんだな俺って。
「でも思ったんだ。俺には魔法の才能がないのに、努力したってたかが知れてる。魔動機を使うのにもラクタの魔力に依存してて、それでもなんとなく生活できていれば何の問題もないんじゃないか?」
それは、この世界で嫌というほど無力感を味合わされた大人の情けない弱音であり、またどこの世界でも通ずる人生の”問い”でもあった。
作者や世界に対する愚痴を、善意で励まそうとしてくれている少女に投げかけるのは、我ながら大人げないどころではなく、人としてどうかしていると思った。
しかし、リコの答えは単純明快であった。
「それでも運動不足は健康に悪いんだよ!」
確かに、と俺は納得した。そこで変に理屈をこねくり回されたら余計苛立ちが加速していたろうに、かえってバッサリいかれた方が好印象に感じた。
それに、後日筋肉痛を引きずらないのなら、実質ノーリスクで今をしのげばそれで終わる話である。
「じゃあ行きますよ。いや、今日はリコにお供させていただきます」
「そう! じゃあ早速渡した服に着替えてきてね!」
ちゃちゃっと着替えて、二人は館の玄関先からジョギングを始める。
「行き先とかルートは?」
「この団地を五周したらお昼! 女子寮の食堂で一緒に食べよう!」
「そう」
「いつも一人で走っていると退屈だから、一緒に走ってくれる人がいると楽しいんだよね!」
「それはよかった」
リコは楽しいお喋りを期待している様だが、運動不足のおじさんに走りながらの雑談を要求するのは少々酷というか、ご期待に応えることは難しそうだ。ペース配分もヘタクソで、スタートから三百メートルほどで呼吸に意識が奪われ、一生懸命足を踏み出しているつもりでも、多分一歩につきヤ〇ルト一本分ぐらいしか進んでいない気がする。
ハッハッと苦しそうに息をする俺を見かねたのか、リコは俺の背中に腕を伸ばして、優しくさすってくる。
まったく情けない。
しかし、その気遣いが温かく感じて、少しだけ気分がよくなり、いや明らかに呼吸が楽になって走りやすくなった気がした。
「なんか、呼吸が楽になった気がする」と言うと、リコは嬉しそうに歯を見せて「気づいた?」と笑いかけてくる。
「ちょっとズルなんだけど、酸素を取り込む効率を上げる魔法をかけたんだ。お喋りしながら走りたいのに、これじゃ本末転倒だからね!」
「そうなんだ、ありがとう」
俺は左隣で走るリコに向かって、苦しい呼吸の中で必死に笑顔を作ってみせる。
今のやりとりでほんの少しだけ心の余裕ができ、こちらから何か話題を投げかけてみようかという気になった。
「リコは運動好きなの?」
「好き! 難しいこと考えずに、身体動かすのって楽しいもん!」
「一緒に運動する友達とかっているの?」
「それがいないんだよね。女の子って、肉体性エネルギーの適性がなかったり、激しい運動に向いてないから、特に召使いにとって運動は贅沢なんだ〜」
「そういえば、リコは今日お勤めお休みなの?」
「わたしは運動するのが仕事なの! みんながご奉公してる間に運動させてもらえるのって、実はわたし特別扱いされてるんだよ!」
「そりゃあすごいな」
「じゃあ、俺たちと一緒に暮らしていた時はどうしてたの?」
「ご主人がまだ寝ている時間に走ってたよー」
そんな具合で、質問を考えては小出しに尋ねていくやりとりが数回続いた。俺が喋れなくなると、リコはまた背中をさすって呼吸が楽になる魔法をかけてくれた。
ジョギングにも慣れてくると、新鮮な血流が身体を巡るようになって、脳みそも刺激されて思索が回るようになった気がした。
さっき、酸素の吸収効率を上げる魔法とか言ってたな。わざわざ科学的な理屈を付けているのがなんとも……。
大人になってから、とくに目的地もなく、身体を動かすこと自体を目的に、運動したことはなかったな。
いつも、「それで筋肉がつく」とか「ダイエットをする」という結果・成果を望んで、そういう努力を試したことはあった。
しかし、往々にして数字には出づらく、見た目にも出づらいため、モチベーションが保てずに辞めてしまう。そんな日常を思い出した。
この世界の女の子、特にリコたちのような召使いには運動が贅沢とされる理由に、運動よりも優先な仕事があること、適性の無いものに対する軽視が存在している。
その中で、リコは自分の好きな運動が許されている。恵まれた立場だからこそ、運動の楽しさと価値を実感しているのだろう。
適性が無いからといって不貞腐れていた俺は、リコや色んな人の地雷を踏んでしまっていたかもしれない。
「魔法のお勉強で、何か面白いことあった? ラクタに教えてもらってどう?」
「面白いね。基本的には覚えることが多いんだけど、昔から暗記は得意だったから」
「そうなんだ。じゃあ、ご主人は"暗記"が楽しい人なんだね」
「そうかもね」
「うらやましいなー。わたし暗記苦手なんだよね」
暗記は昔から苦ではなかった。受験勉強なんて暗記できることが基本だと思っていた。
その基本すらも出来ない人の気持ちがわからない時期もあって、大学時代に塾講師のバイトをやっていた時は、語呂合わせや暗記する時の頭の使い方を研究したこともあった。
単純な興味である。
性別や魔法の"適性"によって、仕事や趣味の価値観が決められていながら、努力や成長の余地も十分に重きを置かれている世界で、彼らは努力をどのように捉えているのだろうか。
しかし、そんな哲学を投げかけるにはこの場は不適切だと思った。
「リコにとって、魔法ってなんだと思う?」
つい、そんな言葉が口を出た。
すると、リコは突然スピードを緩め、ゆっくりと歩き始めた。
「魔法か……わたしは、肉体性エネルギーの魔法しか使えなくて、難しい理屈もよくわかんないんだけどね」
「うん」
「よく言われているのが、肉体性エネルギーの源は"生きたいと望む力"なんだって」
「生きたいと望む力というと?」
「これも難しいんだけど、『とんでもなく疲れたー』とか、『もう病気で死にそうだー』ってなった時に、肉体性エネルギーが弱まっちゃうんだって。そこで『明日からがんばろー!』とか『もう少しだけ長生きしたい!』と思うだけで、肉体性エネルギーが大きくなるんだって」
「運動したり、身体を鍛えると強くなるという話じゃなかったっけ?」
「それもあるけど、やっぱり運動したり、鍛えたりするのも『生きたい』という強い意思がなくちゃ出来ないことだし、『死にたい』と思いながら筋トレしてムキムキな人って見たことないでしょ? そりゃ誰だって死にたくはないけど、漠然と死にたくないと思いながら何もしない人と、生きるために必死に頑張ってる人でエネルギーが違うのは当たり前だよね」
「確かに、それもそうだ」
「だから、本には色んな難しい表現で定義されてるけど、わたしは"生きたいと願う力"っていう言い方が好きだな。願いと力を両方並べてるのがいいよね! 思いだけじゃなくて、実際にやらないといけないよってニュアンスがしっくりくる!」
「確かに、今日ちょっと走っただけでも、生きる力が湧いてきた気がする。生きたいと思ってきた」
「そうでしょー! それでね!」
リコはひょこひょこと俺にくっつくように近寄ると、俺の背中に腕を回して優しくさすってくる。
「ああ、例の魔法……」
「これね、魔法というのはウソ。ただ、背中をさすってるだけだよ」
「え」
俺は驚きというより、がっかりしたような声が出てしまった。
酸素を取り込むとか、科学と魔法が融合したこの世界らしい設定だなと思っていたが、見事に騙されていたみたいだった。
「わたしの"ご主人にがんばってほしい"という願いが、ご主人の力になって、身体が楽になったように感じたんだよ。肉体性エネルギーの回復魔法は、この考え方が元になってるって言うし、案外魔法って曖昧なのかもね!」
リコは照れ臭そうに笑うと「じゃあまたがんばろ!」と叫んで、先ほどよりも少し早いペースで走り始めた。
確かに、今日の話は「くさい台詞」がたくさんあったが、語彙力の乏しいリコと不器用な作者が伝えようとしたことは、なんとなく感じられた気がした。




