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第二話 ②

耳をつんざくその声に、寒暖を感じなかったこの体で初めて激しい寒気を覚えた。

なんだこれ、震えが止まらない。


「ヒスイ、大丈夫?」


リンネは心配そうにこちらを見る。

大丈夫。

そう言いたいが、声が出ない。

まるで、自分から出るもの全てが押さえつけられているようなそんな感覚。


「あ……う……」


「……今のヒスイには怖いよね。バスケットの中にいて。すぐに街まで駆け降りるから」


「……無茶、だ」


「やってみなきゃわからないよ! ほら!」


違う、聞いてくれ!

それすら言わせず、リンネは俺を乱暴にバスケットにぶち込んだ。

シートすら回収せずに躊躇いなくそのまま走り出す。

そのままリンネは急な下り坂を走り抜けた。


「落ちないように捕まってて!」


「リンネ、ちょ……」


「急ぐよ!」


バスケットの振動で振り落とされそうになる。

俺は必死に網目を掴む。

どれくらいかわからないが、俺にとっては長い時間経過した末ようやっと声が出た。


「リンネ! アイツは……こちらに近づいている!」


「えっ!?」


「だから、こっちに行ったら鉢合わせになる!」


そこでリンネは急ブレーキをかけた。


「ズルバッカー!!!」


あの声が聞こえてくると同時にぐらりと傾いて体が浮いた。

バランスを崩すリンネ。

ふわりと幻想的な広がり方を見せる若草色のスカートの裾。

その手から離れるバスケット。

宙を舞うバスケットにかけられた布。

全てがスローモーションで流れ──


「うわああああ!!!!!」

「ヒスイ!」


俺だけ急坂をそのまま転がり落ちた。



「ヒスイ! ヒスイ、ヒスイ、ヒスイ!!!」


目を開けると、そこには泣き顔のリンネがいた。

どうやら転がり落ちた際に意識を失ってしまったらしい。

しかし体は痛まない。

問題はリンネの方だ。

リンネのワンピースは泥だらけだし、顔や足に小さな傷がたくさんできている。

どうやら俺は転がり落ちた際に藪の方向に突っ込んで行ったようだ。

リンネはそれを追いかけて来たのだろう。

動きにくいであろう服をボロボロにして涙を浮かべるリンネを見て、胸の奥がチクリと痛んだ。


「うぅ……リンネ、ごめん」

「どうして謝るの!?」

「俺が、止めてなければ……」


「ぎゃーっはっはっは! 見つけたぞ!」


上空から男の声がする。

なんというか、けたたましい。


「誰!?」「誰だ!?」


俺とリンネは一緒にその声のした方を見上げた。


「インフィナイトの力の源、討ち取ったりィィィーーーっ!!!!」


ぎゅうん、と音を立ててその男は垂直降下してくる。


「危ないっ!」


リンネは俺を庇うように覆い被さる。

それと同時に俺を飛ばそうとせんばかりの風圧が襲いかかって来た。

リンネの腕のわずかな隙間から泥がかかる。


「いきなり危ないでしょう!」


もっと泥を被っているはずのリンネは怯みもせずにその男を睨みつけた。

体格が良く、黒基調でレザー生地のトゲ付きベストを裸の上に着ている。

薄青の髪をツーブロにしているなかなか陽キャっぽい見た目はしているが……

悪役としか言えない風体だ。


「ガッハッハ! 悪いなァ、そこのぬいぐるみをぶっ壊せという命令を受けたもんだからなァ」


男は両手を腰にやって大口を開けて笑っていた。


「はあ!? ……ヒスイ、何か思いあたりは?」

「ねーよ! バチバチの初対面だって」

「ああん? ぬいぐるみが喋ってるぅ?」


状況が状況なもので普通に喋っていたが、これはまずいのではないだろうか。

しかし男は眉を顰めて勝手にぷりぷりと怒り始めた。


「ただの"アイテム"と聞いたが……全然違うじゃないか! 全く、ヴリイソンめ! 適当なこと抜かしやがって、そんなだから……」


ぶつぶつと何か呟いている。

俺は男のそんな様子を見てリンネと顔を見合わせた。

俺とリンネは同時に地面を蹴り、その場から走り去る。


「あっコラ! 待てい!」


男の静止も聞かず、とにかく森の方に向かって走り出した。



「ヒスイ! こっちで大丈夫!?」


「ああ! 少なくとも怪物はこっちにいない!」


俺たちは出せるだけのスピードで山の中を駆け抜ける。

整備されたハイキングコースから完全に逸れた場所で、空を浮いている俺はともかくリンネは走りにくいはずだ。

それにもかかわらず、リンネはドレスの裾を木の枝で裂きながら俺の飛行と大して変わらないスピードで駆け抜けている。

元から運動神経いいけど、ここまでとは思わなかった。


「行かせねーよ! やっちまえ! ズルバッカー!」

「ズールバッカー!!!」


先ほどの男の声だ!

それだけでない。

あの怪物の声まで聞こえてくる。

まさか、アイツがあの怪物を操っているというのか!?

しかもバキバキと聞こえてくる。

どうやら木々を薙ぎ倒しているようだ。

その音はどんどんと近づいてきていた。


ザッという音と共に空が一瞬で暗くなる。

一瞬止まったうちに、ズドオン!と轟音をあげて、目の前にそれは落下して来た。

先ほどの男の襲撃とは比にならない勢い。


「うわーっ!」


視界がぐるりと反転したかと思ったら背中に強い衝撃が走る。

今度こそ俺は吹き飛ばされてしまったようだ。


「ヒスイっ! きゃああ!」


ドスンドスンとそいつは地面を鳴らして激しく地響きを起こす。

小さい俺どころかリンネすら足を広げて立っているのが精一杯の状態だ。


「ズルバッカー!!!」


「何あれ、もしかして……」

「本……?」


空気を揺るがすほどの雄叫びを上げたそいつは木々とそう変わらない大きさの……デカすぎる本だった。

見開いた本のような体につり眉と三白眼がついていて、黒い手足が生えている。

中心に蛇の目のような、宝石がついている。


それをじっと見ていると、蹲るような影が見えた。

いや、あの人、見覚えが……

あっ、まさか……


「さっきのお姉さん!」


「え?」


「さっき、森のバケモノについて教えてくれたお姉さんがあの中にいる!」


「ええ!? ま、マルティナさん!?」


どういうことかさっぱり読めない。

すると先ほどの男が「ガーッハッハッハ!」と笑いながら現れた。


「マルティナさんに何をしたの!?」


「おっ、知り合いかあ? コイツ、すっごくいい"妬み"、持っていたぜェ?」


男は本の怪物に手を翳した。

胸元の宝石の中がまるで煙のように揺らめいたかと思うと、うっすらと光り出した。


──リンネちゃんが羨ましい


「えっ」


脳内に直接響くような声が鳴った。

なんだこれ、気持ち悪い!


──私だって学校に行きたい! 勉強をしたい! 本を読みたい!


「……これが、マルティナさんの本音?」


「そうだ。リンネってやつに嫉妬してるようだな。……にしてもなんで勉強なんてしたいんだ。あんなモン何も楽しくないというのに」


「マルティナさん……」


リンネはか細い声を漏らし、胸にギュッと手を当てた。


「これで分かっただろう! 妬みは力! 我々はこの力で望みを叶える! 貴様らは、そのための犠牲になってもらう!」


いや、貴様"ら"って、まさか……


「おい待てよ!」


とっさになって俺はリンネの前に躍り出た。

手足を必死に伸ばしてリンネを庇う立ち方をするが、地面に映った影が嫌でも長さが足りていないことを自覚させる。


「よく分かんねえけど……目的は俺なんだろう!? コイツは巻き込むな!」


「我々の行動を見られた以上、生かしておけぬ! やれ! ズルバッカー!」


「ズールバッカー!!!」


本の怪物は拳を放ってくる。

その衝撃に構えるためにギュッと目を瞑ろうとした。


が、その時、後ろから旋風のように何かがやってくる。

茶色い厚手のブーツが目に入ったと思うと、煤色の布がまるでカーテンのようにバッと降りて来た。

誰だ!?

俺と怪物の間に立ったその人物はあの巨体から繰り出されるパンチを受けたのにも関わらず何事もなかったかのように立っていた。


「……て、テメェは」


「馬では追うことが出来ず、遅くなってしまった。怪我はないかい? お嬢さん」


煤色のフード付きのマントを羽織りっている。

タイトなズボンを着用していて、ブーツは厚手。

フードを着用しているため、後ろ姿からは髪などの情報はわからない。

あ、あと身長はかなり高めと思われる。


「やはり、君たちは感心出来ないな。そして……」


謎の男性はくるりと振り返る。

マントのフードを目深に被っているが、その口元はかなり端正なものに見えた。


「やはり、君は特別なぬいぐるみだったんだね」


男性はなんの躊躇いもなく、俺の両脇を優しく持って抱き上げた。

フードの隙間からちらりと桃色の瞳が見える。

いや、アンタ誰なんだよ……

その疑問も口にさせず、男性は再び怪物の方に向いた。


「さあ行くよ。私の民を守る力、この目に焼き付けるがいい!」


「!?」


男性は俺を天高く掲げる。

その場にいた全員が目を見張っていた。


「インフィニティプレシャス! リ・バース!」

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