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第二話 ①

朝になった。

本来はリンネは家の手伝いをしないといけないが、もうすぐ王立学園に行くからという理由で今日は丸一日自由時間とのことだ。

俺とリンネは街中に向かっている。

俺はリンネの持っている少し大きめのバスケット状に入れられて、上から布を被せられている。

図書館とかがあればそこでこのあたりのことを調べられると思ったが、この伯爵領にそういった施設はないらしい。


「まあ図書館って現代でも維持が大変そうだもんな」


俺はなるべく小声でリンネと会話していた。


「学問は一部の貴族が極められればいい。そういう世界だからね。平民は学校に通わせてもらえない。この国の王様とか領主様は幸いにもいい人みたいだけど、その人が変な命令を出したらそれに疑問を持たずに従う。……学がないって、怖いことだよね」


「お前変なところで何というかリアリストだよな」


「そうかな」


道ゆく人々は不幸な生活をしているようには見えない。

でも、彼らに貴族の命令に疑問を持つことができなければ……

確かに、考えただけで怖い。


「理髪店だってそう。うちは領主さんが民を守る人だから良いけど、場所によっては『刃物扱えるから』って理由で医師の指示の下で手術の代行させられて、それで失敗したら責任押し付けられるってことあるんだって」


「マジかよ」


「そう。だから、戻ったら勉強、頑張ろうね!」


そうこう話しているうちに商店街のグロッシュラー通りに到着した。


「ここで情報集められると良いんだけど」

「どうやって?」

「そりゃこうよ。……すみませーん!」


リンネは俺をバスケットの中に押し込み、噴水広場にいる二人の婦人たちに話しかけに行った。

バスケットは少し目が粗いため、中から外の様子が見える。


「おや、リンネちゃん」

「最近の王都に関する噂、何か存じ上げませんか?」


ダイレクトに訊く。

実にリンネらしいやり方だ。

これは周囲との繋がりを大切にし、周りから可愛がられているリンネだからこそできるやり方だ。

この世界の元のリンネも街中の人に可愛がられていたため、夫人たちは快く答えてくれた。


「ああ、リンネちゃん王立学園行くからね。知っときたいよねえ」


……。

あまり、大した話は聞けなかった。

学園に在籍しているドラ=グランジェニ第一王子であるノア王子は同学年の公爵令嬢セラフィーナと婚約を解消しただとか、

夜会クラッシャーと呼ばれている伯爵令嬢に騎士団長子息のイレネーが酷い目に遭っただとか、

宰相子息は実は養子で、宰相実子と後継争いをしているとか……

こう、いかにも"スキャンダル"といった感じの話しか聞けなかった。

しかも気がついたら老若男女沢山の人が集まってきて、さらに別に気にならない情報を提供していく。


リンネは頬を手で掻いていた。

「あー……」

集まった人同士で会話を始め、リンネは置いてけぼり状態だ。

煤色のマントを羽織った旅人がイケメンだったとか、各自自由に話を始めてしまった。

そんな中、ある会話が聞こえた。


「うちのお父さんが森でとても大きなバケモノを見たって」


バケモノ。

昨日間違いなくリンネはこの世界にそんなものは存在しないと言っていた。

リンネにその話を聞くように促そうかと思ったが、リンネの方が先に動いていた。


「マルティナさん、その話聞かせてください!」



***


「……はあ、リンネちゃんいいなあ」


自分が聞いた話をリンネに伝えた彼女、マルティナは一人になり、ため息をついていた。


「私も学校に行きたい……」


本は高い。

学びたいことはたくさんあるものの、平民街であるこの領地で本を手に入れる手段は少なく、時折行商が持ってくる本は全て一ヶ月分の食費と同じくらいの値段となっている。

父は木材加工を、母と彼女は針子の仕事をしているものの、家族が食べて時々ちょっとした贅沢する生活で一杯一杯だ。


「でもリンネちゃんは本当にいい子だし、快く送らなくちゃ」


そう呟き、買い物を終えて自宅に戻ろうとするマルティナを上空から何者かが見つめていた。


「くくく……いいモノ、持ってるじゃねえか」


その男は天に向かって手を挙げる。


「目覚めろヘビーハート! 落ちてしまえ心の果実! さあ、いでよ! ズルバッカー!」


その下で煤色のマントが翻ったことに、上空の男は気が付かなかった。


***


街の東。

昨日丁度俺が来た方向だ。

俺とリンネは裏手に出て小高い丘を登った。


「この『リンネ』の記憶にあるけど、昔よくピクニックで登ってたみたい」


「へえ……体力あるんだな」


今の俺は宙を浮けるし疲れを感じないから良いが、人間の姿でいたら翌日全身筋肉痛になるほどの勾配だ。

リンネはあまり動きやすいとは思えないスカートと靴でひょいひょい登っていく。

そんなリンネに感心していたら目的地に到着した。

この丘の頂上だ。

見晴らしがよく、昨日までいた森が地平線まで広がっている。


「あっちは王都の方向。森は確かに獣がいるけど、人里から遠く離れていない場所で出てくるとは思えないけどなあ」


熊や狼は獰猛な印象とは裏腹に人里には滅多に近づかない生き物だ。

それにあのお姉さんが話していたこと……


──先週、森に伐採に向かった父が、木とそこまで変わらない大きさのバケモノを見たと話しているの

──バケモノは父に目もくれず狼のような速さでどこかに向かって行ってしまったそうですが……


とても熊や狼とは思えない。

お姉さんのお父さんの見間違いの可能性があるが、どうしても心がざわつく。

何か……俺ではない者の頭の片隅に置かれたものが引っかかる。


「双眼鏡でも借りてくればよかった」


リンネは目の上に手をやって遠くを眺めている。


「双眼鏡なんてあってもこう、棒の先についたメガネみたいなもんで大した倍率じゃないだろ」


リンネは「それもそうかも」と言いながら街中で俺を隠していたバスケットから何かを取り出した。

シートと、袋に入れたパンだ。

シートを地面の上に敷いてそこに座り、リンネはパンを食べ始めた。


「ヒスイの分もあるよ」


お腹は減らないものの、そういえばこちらにきてから水も食料も口にしていない。

ありがとう、とだけ言ってパンをひとかけら食べる。

元の世界のものとは違う、なんというか「麦」という感じの食感だった。

「お隣パン屋さんだからよくいただいてるんだ」とリンネは笑っている。


「んー、良い景色。学園行ったらこんな伸び伸びとパン食べられないんだろうなあ」


「リンネ、ピクニック好きだもんな」


小学生の頃はよく家族ぐるみでピクニックに行っていたものだ。

妹はリンネにとても懐いていた。


「うん。そういえば、サンゴちゃん元気?」


珊瑚(サンゴ)は妹のことだ。

今年から中学に入って吹奏楽部に入部したが、想像以上に肉体労働で毎日疲れ果てている。

それでも楽しそうに学校生活を送っている。


「そっか、なら良かった。……あ、そうだ。学園なんだけどね。ヒスイ、一緒にきてよ」


「え!? 全寮制って話じゃなかったっけ。同室とかいるだろ!?」


「そう、だからヒスイはお守りのぬいぐるみとして学園に持ち込む。同室の子がいる時はなるべくぬいぐるみのフリをする」


「バレたら?」


「んー、ジュノーちゃんならわかってくれると思うんだけどな」


「ジュノー?」


「そう。ジュノーちゃん! 原作ではリンネの同室の子!」


リンネはジュノーとやらについて熱く語る。

ジュノーは主人公にアドバイスをくれる子爵令嬢で、彼女との交流を通じて唯一無二の親友となるらしい。

時々毒舌なところもあるが、とても義理堅くかなり人気のキャラだとか。

PC版では攻略可能MODがあるらしい。

リンネ曰く、ジュノーであれば少し仲良くなれば自立式歩行ぬいぐるみのことを黙ってくれるだろうとのこと。


「王立学園にいくメリットはヒスイにも大きいはずだよ」


王立学園は大きな図書室があるらしい。

そこでなら欲しい情報が集まるかもしれないとの算段だ。


「それに、何か発生するならやっぱ学園の中でだと思う。リンマスの生活を送ったら何か起きるかも」


「確かに……」


一理ある。

ゲームであろうとアニメであろうとドラマであろうと、見ている人物に見せられる映像は一つだ。

そしてこの世界のメインカメラはリンネを映し続けている。

ここが創作世界である以上、メインカメラの外で何かが起こる可能性は極めて低い。


「分かった、リンネ。一緒に行こう」


「そう来なくっちゃ! それじゃ、一緒に頑張ってここから出よう! よろしくね!」


リンネは俺に拳を向ける。

俺は小さな手で拳を作り、


「ああ、よろしく」


と、そこにグータッチを────


鳥が一斉に飛び立ち、青空の一部が黒く塗りつぶされる。

直後、


ドゴォォォン!!!!!


爆音が轟いた。


「何!?」


「森の方だ!」


奥の方の木の隙間から煙が上がっている。

先程までほとんど風がなかったのに、木々がざわめいていた。

その中で雄叫びが聞こえてくる。


「ズルバッカー!!!」

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