第一話 ③
彼女の名前はリンネ・クロム(デフォルトネーム)。
とある伯爵領の下町で理髪店を営む平民、クロム夫妻の一人娘だ。
人格者の夫婦に育てられた彼女は、性格は幼い頃から活発で心優しく、家族揃って町の人気者だ。
そんなリンネに転機が訪れたのは半年前。
ある日、夢で街中に放火しようとした人物の姿を見た。
その夢で見た場所に向かうと、夢の中の人物がそこにいて、今まさに放火をしようとしていた。
リンネはその人物を捕え、放火は未然に防がれる。
その夢で見たということを話したところ、何と領主の伯爵家を通して王家に伝わった。
そして、その後クロム家に王家の遣いが通知を送る。
『聖女の資質を持ちしリンネ・クロムの王立学園への入学を命ずる。
入学金、学費等は全て王国が負担する。』
──
「そして来週から平民が貴族学校に入学する夢の学園生活がスタートするってわけ」
「……はあ、つーことは」
「そう、ここは『リンマス』の世界」
リンカーネーション・マスカレード。
乙女ゲームには興味ないけど、SNSで見たことがある。
確か1年前辺りに出たゲームだ。
実は乙女ゲームでそんなものは存在していなかったということが知られ始めた"悪役令嬢"がマジで出てくるゲームということで話題になっていたっけ。
「色んなミニゲームがあって面白いし、何よりもやっぱ声優! 川藤って本当に王子様の役のために生まれてきた存在だし、ヨコカツのオタク役ってあまりにも"ガチ"で」
「あーあれね。モリケータのセリフめっちゃネットでいじられたやつ」
「はーーー! アレは状況シリアスなんだよ! でもまあモリケータの演技迫真すぎたのは認めるけど……」
……っと、今はこんなことを話している場合ではない。
「コホン。つまり、この世界に訪れる危機はリンマスをプレイしたリンネなら分かっているってこと?」
「そう、そこなんだよね」
リンネは顎に手をやり怪訝な顔をする。
リンマスの世界ってそんな滅ぶような危険は無い。
魔法も存在しないし魔獣みたいなクリーチャーもいない。
ドラ=グランジェニ王国に敵対国家や民族はいるかもしれないけど、それらが襲ってくる描写は作中には無い。
「ただ、ね。このゲーム……」
「リンネー、ご飯できたわよ!」
リンネが何か言おうとしたところで部屋の外から声をかけられた。
クロム夫人……この世界のリンネのお母さんだ。
クロム夫妻は現実世界のリンネのおじさんおばさんより少し若いが、暖かな雰囲気はあの二人と変わらない。
「はーい、ママ、今行く! ……またあとでね、ヒスイ!」
そう言ってリンネはダイニングの方に行ってしまった。
俺はリンネの部屋に一人放って置かれる。
現実のリンネの部屋より少し狭いだろうか。
ベッド脇の壁フックにワンピース型のフリルのついた制服がかかっている。
いかにも乙女ゲームの制服って感じだ。
あと物も少ないからかとっ散らかっていない。
随分前だけど、リンネの部屋を最後に見た時は随分散らかっていたものだ。
ふと、部屋の中に置かれている鏡台に目をやる。
森の水たまりで見た時自分の姿はぼんやりとしか確認できなかったので、今初めて自分の姿をじっくりと観察できた。
名前通りの翡翠色のぬいぐるみのような毛並みで、腹部だけ白い。
裏側が白い緑色のふさふさとしたしっぽ。
大きな瞳。
コッカースパニエルのような大きな耳。
直立できる体は2.5等身程で身長は脇に置いてある何かの瓶と同じくらい……大体20cmくらいだろうか。
何よりも胸元にチャームのような物が気になる。
∞マークのようなものが描かれていて、金色で縁取られている。
これだけ明らかに人工物だ。
「やっぱり。これじゃあまるで……」
「お待たせ妖精さーん」
「うおっ! 早っ」
20分程度で部屋に戻ってきた寝巻き姿のリンネ。
そういえばこいつ食べるのも風呂も早かったな……。
「この世界シャワーあるんだね。すっごく便利。……ところでさ、ヒスイ。あんたの姿だけど」
リンネは俺の横に置いてあった小瓶の中身を手に振り、髪の毛につけながら言ってきた。
「あ、ああ……」
「なんか、アレだよね。インフィナイトの妖精」
「やっぱそう見えるか……」
魔法戦士インフィナイツシリーズ。
日曜の朝にやっている女児向けのアニメだ。
中学生の女の子たちが変身して怪物と肉弾戦で戦うアニメで、今年で20作目の長寿シリーズだ。
この作品は危機に晒されている異世界から妖精がやってきて、その妖精の力で女の子が変身するという流れが定番だ。
今俺は、そのシリーズに出てきてもおかしくない妖精の姿をしている。
「リンマス原作にこんな妖精って」
「いないよ」
聖女が交信できるという精霊は姿が見えないもの。
そしてこの世界には「魔法が存在しない」。
やはり予想通り俺と同種の生き物は一般には認知されていないらしく、動いている様子を見られることは不都合が生じる可能性が高い。
「まーよかったじゃん。あんた、インフィナイツ好きでしょ」
「好きだけどさあ!」
少し前なら隠していたが、高校のアニ研に行くと同い年の男子でも結構見ている人は多く、隠すことに躊躇いがなくなった。
俺は、インフィナイツの10年来のファンだ。
3つ離れた妹がインフィナイツを見始め、一緒に見ていたらいつの間にかハマってしまった。
高校になって自由にサブスクを見れるようになってから、休みの日は見ていなかったシリーズも視聴したほどだ。
それはそうとして。
「別に妖精に転生しても嬉しくないだろ!」
「インフィナイトになりたかった?」
「最近は男子インフィもいるけどさ! そもそもインフィナイツ関連の人物に転生したくないよ!」
インフィナイツの世界はしょっちゅう怪物に襲われる。
シリーズによってはこれ死人出てるよね? という規模の襲撃も発生している。
俺がインフィナイツの世界の人間だったら真っ先にそんな街引っ越してるといつも思っている。
「それに、インフィナイツの妖精とは限らないだろ」
そもそも乙女ゲームの舞台なのは確定しているわけだし、リンマスの主人公が変身するシナリオは無い。
「じゃあなんだろうねー」
「俺はそれについて調べる。……無飲無食不眠不休でも大丈夫な体質になったし」
現代みたいに蛍光灯やLEDの無いこの世界では陽が落ちたら間も無く就寝するのが普通だ。
だから、リンネはもう間も無く眠らないといけない。
「いや。一緒にいてよ」
「……えっ」
リンネは少し俯き気味にそう言ってきた。
「三日だけだけどね、すごく心細かった。転生モノの主人公ってすごいよね。知り合いのいない世界で一人でやっていくなんて、あたしだったらムリだよ。……だから、ヒスイ。今日の夜は一緒にいて」
リンネは来週……というか、馬車移動の時間を考慮して明後日には王立学園に出発しなければならない。
だからリンネと自由に会える今の時間は1秒ですら惜しい。
でも、そんな風に言われて断れるわけがないだろう。
「……分かったよ」
「よかった。じゃ、寝よ」
「寝るって、お前の横に!?」
「そうだよ。……あ、専用のベッド作った方がいいね。今日は我慢して。ほら」
リンネは問答無用で俺を抱き上げて自分の枕の横に寝かせる。
そして自身もそこに横たわった。
「はあ。片っ端からヒスイですかって聞く生活も終わりかあ〜」
「えっ、お前そんなことしてたの」
「うん。だってこうなった以上、あたしに関わる人誰かがヒスイって可能性高いでしょ? だからパパママにも街の人にもお客さんにもみんな聞いてみた」
「恥ずかしくなかったの?」
「めっちゃ恥ずかった。ていうか、あのマントの男の人とか絶対ヒスイだと思ったんだけどなあ」
「食い下がったの?」
「うん。ま、全然知らない旅人さんだったけど。……でもこうしてヒスイと再会できて本当によかった。じゃ、おやすみ」




