第四話 ⑤
訓練所を出たところ、訪問者に出会した。
それはノア王子で、その横には壮年の男性が立っている。
知らない人物がいたので俺は咄嗟にリンネの背後に隠れ、その男を観察した。
服装は目立たない黒に統一されていて、モノクルを着けている。
ノアのお付きの人だろう。
「ごきげんよう、リンネ・クロム嬢。貴女を探していましたよ」
「あ、殿下──」
「初めまして。私はノアール・グランジェニ。ドラ=グランジェニ第一王子です」
ノアは全然初対面でも何でもないのにそう言って微笑み、チラリと視線だけアーロンの方に向けた。
ああなるほど、リンネとノアが初対面でない理由をアーロンに知られたら不都合だからか。
リンネもそれを理解したのか、
「お初にお目にかかります、ノア王子殿下。リンネ・クロムと申しますわ」
と、ガラでもない口調でカーテシーをして見せた。
「おお、ノア! わざわざ聖女候補サマに会いにきたのか!」
「アーロン様、殿下とお知り合いなのですか?」
「おう、幼い頃は俺を兄君だと慕ってくれたのだがな! 今はこの通り、すました奴に」
「アーロン。……あまり、大声を出さないでくれますか? 貴方の声は無駄に響くので」
王子の声が少し低い。
王子ってこういう態度で威圧するところもあるんだな。
「……して、リンネ嬢はなぜこのようなところに?」
王子はいつもの声色に戻ってリンネの方を見たが、リンネが口を開く前にアーロンが割って入った。
「このようなとは何だ! まあ、実はせいれ……げふんげふん、彼女の落とし物を俺が拾ってな! それで会話していたら、平民の料理について今度教えてもらえることとなったのだ! ハッハッハ!」
まあ嘘はついてない。
アーロンは見た目とは裏腹に料理が得意だそうで、先ほどリンネと料理を教わる約束を交わしたのだ。
リンネも俺を拾ってくれた礼として快く引き受けた。
アーロンは「楽しみだぞー!」と豪快に笑っているが、王子は顔を曇らせている。
「リンネ嬢、アーロンの言うとおりですか?」
「え、ええ、はい。恐れ多くも今度アーロン様にあたしの知る料理を」
「いえ、その件ではなく、落とし物の件です」
すると、リンネが何か返事をする前にアーロンが沈んだ声色で、
「その件だがな……どうやらリンネ嬢の持ち物を勝手に隠した犯人がいるそうだ」
と、言ってしまった。
おいおい、本人いる前でそう言う話するかね?
リンネも「あ、え、ちょっと」と慌てるがお構いなしだ。
「リンネ嬢、それは本当ですか?」
「あ、その、すみません……」
真剣な顔で尋ねてくる王子にリンネは申し訳なさそうに目を逸らす。
そういえばバスケットは王子からの貰い物だ。
それを紛失したことに対して後ろめたさを感じたのだろうか。
「リンネ嬢が謝ることではないだろう。君は被害者なのだからもっと堂々としていればいいじゃないか」
アーロンはそう言うが、そういう話じゃないんだよな。
王子はこめかみに手を当て、「やはり、そういう事態になったか……」と呟いた。
このゲームのリンネは生まれ持った素質だけで貴族学校に入学した平民だ。
幼い頃から厳しい教育を受けてこの場に立つ貴族の子女からよくない感情を抱かれるのは、一般家庭育ちの俺でも想像できる。
そしてそれが陰湿な嫌がらせに発展することも。
「教員に相談します。たとえ家格不問のルールがあるとは言え、品行が良くないのは貴族として在るべき姿ではありませんから」
「わざわざ殿下にそんなことしていただくなんて、畏れ多いです!」
「いいんだよリンネ嬢、頼りな。こいつ、そういうこと一番許せないタチだから」
アーロンは王子を指差しながら笑ってるが、大事にして目をつけられたらインフィナイトとしての行動にも制限が出かねない。
王子には後ででいいからそういう話をしておきたいな。
リンネが「そんな……」と言うと、気まずい沈黙が辺りを流れた。
「……殿下。ご要件を」
その沈黙を破ったのは、王子のそばにいた執事らしき男性だった。
そう言われて王子も「ああ」と気がついたようだ。
「少々込み入った話でして。すみませんが、我々だけの内容なのでアーロンは……」
「おう、退散しますよ。王子サマ命令だもんなー」
「校内で家格は問わないという校則です」
「ヘイヘイ」
王子ってどこか浮世離れしてるけど、ちゃんと友達いるんだなあと思ってた時だった。
ゾワリ。
全身を支配する寒気が走った。
……すでに3回目だ。
俺はそれが何か一瞬で把握した。
ズルバッカーが近くに現れた!
それを伝えるために叫ぼうとするが、この場には一般人が2人もいる。
アーロンと別れたら?
いやでも執事がいる……
これをどう王子に伝えるべきか。
『王子! ズルバッカーが出た! 頼む、気がついてくれ!』
そんな風に祈っていたら、何故か王子が辺りを見回した。
──ヒスイ殿の声……ですか?
もしかして、聞こえている!?
王子の声が脳に直接聞こえてくるが、王子の口は動いていない。
インフィナイトとならテレパシーで会話できる……のか!?
『そうだ! 今王子の後ろにある森の方! ズルバッカーが出た!』
王子は振り返って訓練所とは逆方向にある森を見る。
──大丈夫です、すぐに異空間に移動できれば校舎にいる生徒には見えないはず……
「殿下、どうかされましたか?」
王子の横にいるリンネがそう言ってこちらを見てきた。
どうやらこのテレパシーはリンネや周りの人間には聞こえていないようだ。
「リンネ嬢、デマント。どうやらズルバッカーが……」
王子は躊躇いもせず、執事さんがいる目の前でリンネに伝えようとした。
執事さんに言うのはまずいだろと伝えようとした瞬間だった。
ドゴオオオオン!!
背後からものすごい轟音と突風。
しまった! 来てしまった!
「ズールバッカー!!」
既に一週間前、2度も聞いた叫び声が聞こえてきた。
そこから現れたのは……なんだあれ、一反木綿?
その説明が最もしっくりくるような、細長い布の先端に顔のついたズルバッカーだった。
「な、何者だ!?」
ズルバッカーに向かって叫ぶアーロンを牽制すべく、俺たちはすぐにアーロンの前に塞がった。
「探したぜ! インフィナイト!」
あまりにもよく通る声が辺りに響き渡る。
先週の昼間に襲ってきた男、アナンダだ!
学園に襲撃をかけることは予想できていたが、まさか入学初日にくるとは……
それよりもアーロンと執事さん!
この二人を逃さなければならない!
そう王子に伝えようとしたが、
「リンネ嬢! ノアと共に学内に退避し、学内護衛騎士団を! デマント殿! すまないが足止めを手伝ってくれ!」
守ろうとしたはずのアーロンはいつの間にか俺たちとズルバッカーの間に躍り出てそう叫んでいた。
「無茶だ! アーロン! 君こそ避難してくれ!」
「そういうわけには行かない! 俺は次期騎士団長だぞ! 王太子殿下を守るのも……うわあ!」
王子の制止も虚しく、アーロンはズルバッカーの長い体に巻き取られる。
その一反木綿のような見た目からは想像できないような素早さで、あっという間にアーロンの体は拘束されてしまった。
「おいふざけんな! 一般人相手にそりゃ卑怯だろ!」
流石に最早黙っていられず、俺はアナンダに怒鳴った。
ズルバッカーの横に浮くアナンダは腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。
「卑怯? 効率的と言って欲しいなぁ! これでインフィナイトもそう簡単に攻撃できないだろう!」
「くっ……ノア! リンネ嬢! 俺のことはいいから早く逃げろ!」
「そういうわけにはいきません! アーロン様! 今お助けしますから!」
そう伝えるリンネに、「俺のことはいいから逃げてくれえ!」とアーロンは叫び返した。
その横で王子は眉間にうっすらと皺を寄せる。
その目には確かな怒りが込められていた。
「殿下。これが、例の件ですか」
「ああそうだよ、デマント」
執事──デマントと呼ばれた男性は、顔色ひとつ変えずにそんな王子に話しかけていた。
王子もズルバッカーを見据えつつ、落ち着いているようでどこかピリピリとした声色で返事をしている。
「……打ち合わせ通りに頼む」
「承知いたしました。リンネ様、ヒスイ様」
「はい!?」「へいっ!?」
執事に急に名前を呼ばれ、リンネと揃って変な返事が出てしまった。
「ノア様を、どうかよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げられるが、なぜこの人が俺のことを知っているのか、なぜこの状況下で慌てないのか、なぜ、なぜと疑問が頭を覆い尽くしていた。
しかし執事は何ひとつ質問させず、
「それでは、失礼いたします!」
と、返事をして踵を返したかと思うと、多分40代ほどとは思えない勢いで校舎の方に走り去っていった。
「彼はデマント。私の従者で、事情を話してあります。彼には事前に頼んだ通り動いてもらっています!」
「えっ、言っちゃったの!?」
「詳しい説明は後ほど!」
王子は腕を振り上げて構える。
「チッ、逃すか!」
デマントさんを追おうとしたアナンダをみてすかさず王子は叫んだ。
「させません! インフィニティプレシャス! リ・バース!」
俺の胸のブローチから溢れた光が王子を包み、一瞬のうちにインフィガーネットが姿を現した。
「我が燃え盛る心は民への真実の愛! インフィガーネット、見参!」
ズルバッカーに地面一蹴りで追いつき、瞬時に取り出した槍で正面からブロックする。
「リンネ嬢! 例の空間をお願いできますか!?」
槍でズルバッカーを弾き返しながらガーネットは叫ぶ。
「オッケー! 展開して! 『ミラージュ・ダンスホール』!」
リンネは空に向かって指を鳴らした。
すると、リンネを中心に空がピンク色になり、辺り一面遮蔽物のないピンクと水色のタイルが張り巡らされた空間となる。
インフィ空間……だけど。
なんだよ、その覚えにくい名前。
後で聞いたところ、馬車の中で考えていた名前らしい。
それよりもだ。
「色々と起きたけど、まずは……アーロン様をどう助けるか、だよね」
「ああ。そうだな。リンネ、俺をアナンダのところに投げてくれ。俺がぶつかって緩んだ隙にガーネットになんとかしてもらう」
リンネは元々ソフトボールを少しやっていた。
結構投手として期待はされていたらしいし、それなりにコントロール力はあるはずだ。
「任せて! じゃあ投げるよっ!」
「おうっ」
リンネは躊躇いもせず俺の尻を掴む。
そういや忘れていたが、ソフトボールって投げる時って腕を回転させるんだっけ。
「うおらあっ!」
リンネの雄叫びと共に俺の体は大車輪を描く。
声も上げられず俺の小さな体は見事にアナンダの方目掛けて飛んでいったが……
「ふん、対策済みだぁっ!」
「おわっ!?」
アナンダの横顔が目と鼻の距離となった瞬間、俺は何かに弾き返された。
そのまま横に吹っ飛び、拘束されているアーロンの肩に着地する。
アナンダはフフンと鼻を鳴らして拳を上げ、俺にそれを見せつけてきた。
あれは腕輪……じゃない。
スマートウォッチ!?
何故この世界にそんなものを……?
そしてそのスマートウォッチから、プロジェクターの要領で何かを宙に投影していることに気がついた。
どうやらアレからシールドのようなものが出ているようだ。
『ガーネット、気をつけろ。アイツら、対策練ってきてる! リンネにも伝えてくれ!』
俺はテレパシーですぐに眼下にいるガーネットに伝える。
──わかりました。ヒスイ殿はアーロンの脱出の手伝いをお願いします!
『おう!』




