第一話 ①
青い空、白い雲。
やけにでかい木々。
ぼやけた視界が晴れてきた今の俺の目の前に広がるのはそんな光景だった。
自分が森のような場所で倒れていることはすぐ分かった。
「いてて……」
夜更かしした時のように頭が重い。
ゆっくり上体を起こすと、違和感に気がつく。
──地面が、近い。
それだけでない。
腹がもふもふしている。
昔いとこの家で見た目玉をギョロギョロさせながらやかましく喋る鳥のぬいぐるみを彷彿とさせる毛量だ。
ふと後ろを見ると、水たまりがある。
──今俺、どんな姿をしているんだ?
正直、今の姿を見るのは怖い。
しかし見ない分には始まらない。
10秒ほどためらった末に恐る恐るその水面を覗き込んだ。
「……」
そこに映っているのは、緑色をしたやたらモコモコした犬をモチーフにしたぬいぐるみのような姿だった。
「ど、ど、どおおぉぉぉ〜〜〜〜〜〜……いうことぉ!?」
***
落ち着いて思い出せ。
俺の名前は竜山 翡翠。
八岩高等学校一年生。
部活はアニメ研究会で、趣味はアニメ鑑賞と動画視聴のオタク。
運動はあまり得意ではないインドア派。
家系的な遺伝と趣味のダブルパンチで視力は悪く、メガネが手放せない。
うちの高校では年に一度登山大会がある。
インドア派で体力がなく、班のメンバーに置いて行かれた俺を幼馴染で同じクラスのリンネ──箕面 凛音が一緒に着いてきてくれた。
しかし、途中で分岐路を間違えたらしく、本来の予定では通らないはずの沢に出てしまった。
引き返そうと思い、来た道を戻ったもののそこからさらに迷ってしまう。
悪いことにその場所は圏外、俺のスマホは充電忘れで充電が残りわずか、リンネはスマホを家に置いてくるという致命的なミスを犯していた。
そのため、他のメンバーに連絡することも、救助要請を出すことも、ずっと地図アプリを眺めながら移動するということも不可能だった。
とにかく電波の通じる場所まで行こうとした最中に雨まで降り始めてしまった。
何で今日に限ってスマホを忘れるのか。
何で充電碌にできてないの知りながら、行きの電車で動画見続けて電池を消耗してしまったのか。
お互いボロクソに言いながらも、一旦雨風を凌げる場所まで移動しようという話になった。
この状況下では冷静に体力温存をした方がいいという知識は動画で手に入れていた。
そうして近隣を歩き回っていたところ、俺とリンネは少し開けた場所に出た。
そこの奥の急斜面際に、ポツンと祠が置いてある。
「祠? この辺神社か何かの敷地内ってこと?」
リンネはそう言いながら当たりを見回す。
「いや、祠は神社に置かれるものじゃないよ。道祖神とか、祖先の神様とか祀るためのもので……」
「ごめん、うんちくは今聞いてない。つまり、この辺り人住んでるってこと?」
「……うーん、どうかな」
祠は確かに人が置いたものだ。
しかし、雨よけも無いし、石造りの祠には苔がむしている。
おそらく長い間手入れをされていないのだろう。
「祠って、人がいる場所に置かれるわけじゃないらしいし」
リンネは顎に手をやりながら祠をジロジロと観察している。
……こういう時、リンネは決まって碌なことをしない。
伊達に15年近くの付き合いではないから知っている。
「あのさ、リンネ。中に食べ物とか入ってるなんてことは、あー!」
遅かった。
祠の正面に立ったリンネはノーモーションで扉を開ける。
外から見てもわかるほど立て付けが悪く、苔やら何やらで開きにくそうなその扉はリンネの怪力のおかげか、まるで家のリビングドアのようにすんなり開いた。
このバカ! 脳筋! バチ当たり!
そう叫ぼうとしたが、突如視界が光に包まれる。
なんだこれ。
眩しい、目を開けられない!
俺はメガネ越しに両腕で目を隠す。
しばらく(とは言っても10秒くらいか)そうしていると、かすかな声が聞こえてきた。
──……よくぞ
え、何だ?
よく聞こえない。
──よくぞ、ここまでいらしてくださいましたね
人の声?
もしかしてこの辺りの山小屋の管理者?
通りすがりの人?
それとも、遭難時に見る幻覚と言われるサードマン?
ゆっくりと腕を戻そうとしたが、やはり眩しくて目が焼けそうになった。
ちらりと腕の隙間から横を見ると、リンネも両手で顔を覆っている。
「すみません、俺達遭難中で……。どなたか分かりませんが、救助をお願いしたいのですが」
尋常ではない状況の中、何とか口を開いた。
──私に救助を呼ぶことはできません
え、どうして。
そう聞く前にリンネがその人に向かって叫んだ。
「あの、すみません! あたし、祠勝手に開けちゃって! 地図とか置いてないかなって!」
リンネにも聞こえているということはサードマンの線は薄そうだ。
変に冷静に分析しているが、なぜこの人(?)に救助を呼ぶことができないのだろうか。
この人ももしかして遭難者なのだろうか。
──冷静になって聞いてください。私は、山神……と、呼ばれているもの
「……は?」
思わずリンネと声が重なる。
──本来はこの日本とは違う……貴方達の世界でいう『並行世界』にいる人間
並行世界?
その概念自体はもちろん知っている。
しかしこの状況下そんなことを言われて、「ふざけているのか」という感想しか浮かんでこない。
「パラレルワールド? うん分かった。あたしは箕面 凛音。で、あなたの名前は?」
飲み込み早っ!
いや飲み込んでない。
リンネは大体のことを理解しているようで理解していない。
──うむ。リンネ、ですか。……これもまた"何かの縁"というヤツですね
謎の声はリンネという名前を聞いて驚いたようだが、すぐに何かに納得していた。
「すみません、状況が掴めないのでせめてこの光を止めてもらっていいですか?」
──其方の方のお名前は?
「え、俺? ……えっと、イトイガワ……」
「ここハンネで名乗るところじゃないよ」
「でも本名バレの方が怖いだろ!」
「あー、すみません、山神さん。この人ヒスイ。竜山 翡翠です!」
「おいバラすなよ! ていうか山神って信じるのかよ!」
「知らない! でもそう呼ぶしか無いじゃん、名乗ってくれないんだから!」
──ふむ。失礼しました。喧嘩はおやめください。あと光? 何ですか? 多分私の方の調整ではどうしようもできないことかなと
山神を名乗った割に随分と人間的なその人物に、この状況下だというのに緊張感がなくなってしまう。
──貴方達を登山口までお送りします。しかし、条件があります。私達の世界を救ってください
「……はい?」
──私達の世界は危機に瀕しています。その危機を予知し、救うために動ける才能を貴方達から見出しました
「いや何言って」
「そうだよ! あたし、今自分たちの町のために戦えって言われてもだいぶ嫌なのに、知らない世界のために命かけるなんて無理だよ!」
「だから何でパラレルワールドが存在する前提なんだよ!」
──命は保証します。貴方たちの魂だけを私の世界に飛ばします。万が一失敗してもここに戻るだけ
「……それってつまり、あなたの世界で俺たちの肉体が死んでも戻してもらえるってことですか」
──ええ、その通り。それに、貴方達がどれだけ私の世界で過ごしてもこちらで時間は経過いたしません
「5億年ボタンみたいなものってことです?」
「いやいや、山の神様がそんなこと知ってるわけないじゃん。あんたと違ってオタクじゃあないんだし」
──ええ、向こうではこことは違う社会が築かれていて孤独を過ごす訳ではございませんが、時間経過に関する認識はそれで概ね問題ないかと
「通じるの!?」
──ただし、失敗した時……私は貴方達を救助するお手伝いは出来ません。いかがでしょう? 悪い取引ではないと思うのですが
たしかに、条件を聞くとこちらにデメリットが全くない取引に聞こえる。
しかし、山神の言う向こうの世界がどのようなものか全くわからない上に、そもそも山神の素性が全く見えない。
嘘をつかれている可能性だってある。
この山は高校生の登山大会で選ばれるほど管理がしっかりしている山のはずだ。
何もせず待っていても救助が来る可能性だってある。
しかし……
──お願いします。私の力を持ってしても未来を予知することはできない。自分の無力さを呪うしかないのです。ですが……私の世界で起こる危機を予知できる貴方達が、一縷の望みなのです
「ねえ、ヒスイ」
やっぱり、こうだ。
「あたし、行ってくるね」
リンネは昔から人に頼られたら絶対に断れない。
おばさんとおじさんは「人の役に立ちたいのは立派だけど……」と頭を抱えていた。
リンネが危ないことに巻き込まれないよう、小学校の頃はスマホを持ってなるべくリンネのそばにいた。
「ヒスイには迷惑かけない」
「えっ」
「大丈夫。ここで待ってて。山神様! お願い、あたしだけ成功してもヒスイを一緒に助け……」
「ダメだ!」
俺が急に大きい声を出したからか、リンネは一瞬肩を震わせた。
大きい声を出したのはいいが、反射的に出たものだった。
……でも、もう後には引けない。
「なんで……」
「ここでリンネに何かあったら、おじさんとおばさんに顔向けできない。それに……」
──揉めているところすみません。お二人の了承をとれた、と言うことで間違いないですね?
「いやヒスイは」
「それであってます!」
──それであれば、この祠の中を、直接ご覧ください
「分かりました!」
リンネが「いやあんたは残って!」と言っているが聞こえない。
俺は腕をどけ、意を決して瞑っていた目を開いた。
目が灼けるほどの真っ白の光。
その先にあったのは、ハート型のクリスタル。
──申し遅れました。私の名は、ダイアナ……
その声が聞こえたと同時に、視界は一瞬で闇に染まり、同時に俺は意識を手放したのだった。




