85.温かい日
数日後の昼下がり。
屋敷の庭はやわらかな日差しに包まれ、風に揺れる花々の香りが甘く漂っていた。白いテーブルの上には紅茶のセットが並び、私とエレノア、そしてルークの三人が穏やかに腰を下ろしていた。
「見ててね、お母様、お姉様!」
ルークは立ち上がると、両手を前に出して深呼吸をした。小さな指先の間に、ふわりと魔力が集まっていく。淡い光が揺らめき、まるで小さな風船のようにふくらみ始めた。
エレノアが驚いたように目を見開く。
「まぁ……そんなことまで?」
「うん! この間、ルアに教えてもらったんだ。こうやって――」
ルークは集中して、両手の間の光を細く伸ばす。糸のような光が幾筋も浮かび上がり、編まれるように絡み合って、小さな光の輪を形作った。
「……綺麗ですね」
エレノアの声が自然に漏れた。
光の輪はゆっくりと回転し、風を受けた花びらを包み込むようにして、やさしく宙を舞う。やがて、ルークが手を下ろすと、光はふわりとほどけて、空へと溶けていった。
「どう? うまくできたでしょ!」
「ええ、とても上手よ」
エレノアの頬がゆるみ、目がやさしく細められた。
普通の家族の光景。一緒にいると心が温まる。今まで離れていたのが嘘のように、私達は距離を縮めていった。
触れ合う事を知らなかったルークは触れ合う事の温かさを感じ、愛し方を知らなかったエレノアは少しずつ愛し方を学んでいる。
止まっていた時計が動き出したかのように、今、家族の時間が動き出している。
そして、その中に私もいる。
「お姉様、お母様に褒められたよ!」
そう言って、ルークが抱き着いてくる。もう、抱き着いてくるのが癖になっている。仕方がないな、と思いながらも、私はルークを優しく抱きしめて、頭を撫でる。
「良かったですね、ルーク」
そうすると、とても心が温かくなる。一人だと絶対に味わえない幸福だ。その時、少し不安そうにエレノアが尋ねてくる。
「今のは大丈夫でした?」
時折、自分の言動が合っていたか聞いてくる。今まで、普通の愛し方を知らなかったので、何が正しいか分からないからだ。
「大丈夫です、あっていましたよ」
「良かった……」
私の言葉に心底安心した様子だった。でも、毎回尋ねられても困る。だって、正しい愛し方なんて正解がないんだから。みんな、手探りでやっていることだから。
「聞くのもいいですが、自分で感じ取るともっと嬉しくなりますよ」
「自分で?」
「そう……。こう言ったら、嬉しそうに笑ってくれた、とか。恥ずかしそうにしていた、とか。そういう相手の様子を窺うのです。そしたら、すぐに分かりますよ」
「相手の反応で正しかったか見極めるという事?」
私は、その言葉に頷いた。
「色んな愛し方があります。だから、自分と相手が嬉しくなる愛し方を探すしかありません。そのためには、相手の気持ちを理解することが必要です」
「それが表情とかに出るということね」
「そう言う場合があるということですね。その時々で表現の仕方が変わっていきます」
「そう……。難しいわね」
そう言って、エレノアは眉間に皺を寄せて真剣に考え始めた。まるで、政治の事を考えているような様子に私はクスッと笑ってしまった。
「そんなに真剣に考えなくてもいいんですよ。もっと、楽にしましょう」
「だけど……不安で。私も幸せな家族というものを作りたいのです」
「焦る気持ちは分かりますが、こればかりはゆっくりいきましょう。一つずつ、確かめていくのです」
「でも、何か成功しないと不安で……」
エレノアは不安そうに呟いた。何か実感できるものが欲しいらしい。そういうことなら、一つだけある。
「大丈夫です。お義母様は一つ成功してますよ」
「えっ? ど、どんなことですか?」
まさか、一つ成功しているなんて思いもよらなかったエレノアが驚く。それは――。
「教育です。お義母様は自分が受けられた厳しい教育をルークに押し付けなかった。それがとても良かったと思います」
「本当にそれが?」
エレノアは自分の胸に手を当て、小さく首を傾げた。信じられない、という顔だった。
「ええ、本当ですよ」
私は微笑みながら言った。
「もしお義母様が昔と同じように、厳しい礼儀や勉学ばかりを押し付けていたら、ルークは今日のように伸び伸びと学ぶことに意欲はなかったでしょう。あの子の笑顔も、もっと硬いものになっていたはずです」
エレノアは少し目を伏せて、ルークの方を見た。ルークは庭の端で、風に乗せて花びらを追いかけていた。両手を広げ、光の粒を散らすたび、嬉しそうな声が響く。
「昔の私だったら……確かに叱っていたかもしれません」
「叱っていた?」
「ええ。『はしたない』『まずは本を読みなさい』って。祖母にそう教えられてきたものだから……」
その声には、かすかな後悔が滲んでいた。私は紅茶のカップを置いて、そっと口を開いた。
「でも、ルークは学んでいますよ。魔力の使い方も、周囲への気配りも。遊びの中で自然と学んでいます。きっと、それが一番いい教育なんです」
エレノアははっとしたように私を見つめた。
「遊びの中で……学ぶ?」
「はい。楽しむことを通して身につけることは、強制よりずっと深く残ります。だから、ルークが自分の力を楽しんで使えているのは、お義母様が叱らなかったからこそなんです」
しばし沈黙が流れた。やがて、エレノアは小さく息を吐き、微笑んだ。
「……そう言われると、少し救われますね」
「救われる?」
「私自身、祖母の教育には疑問を抱いていました。だから、子供には違う態度で接したいと思っていました。不安でしたが、どうやら正しい選択が出来ていたようですね」
安堵をした様子でエレノアは微笑んだ。そうか、祖母の教育に疑問を抱いていたから、ルークはあんなにものびのびと過ごす事が出来たんだ。
なんだ、エレノアは人を思いやる心を持っているんだ。
「その思いは正しいと思います。だから、これからもその思いでルークに接してください」
「そう言われると、安心するわ。でも……」
そう言って、エレノアは私の手を優しく握った。
「あなたとも本当の母子になりたいと思っているわ。だから、少しずつでいいから、歩み寄ってもいいかしら?」
そう言って微笑むエレノアの表情に心が動かされる。ギュッとなっているのに、温かくて心地いい。ずっと浸っていたい思いだ。
これが母と子の愛、なんだろうか? この世界では味わう事のなかった愛を目の前に、胸がいっぱいになる。
「私も……本当の子供になりたいです」
手を握り返すと、強く握り返してくれる。それだけで幸せを感じるなんて、家族って本当に尊い存在だ。




