63.約束の日(1)
侵入者を縄で縛り上げ、動けないようにすると、私は急いで近くの詰所へ駆け込んだ。事情を告げると、詰所にいた警備兵たちは目を鋭く光らせ、すぐさま家へ駆けつけてくれた。
侵入者は彼らの手で確実に捕縛され、そのまま詰所へと連行されていった。私たちも同行し、事情を聞かれることになった。
侵入の経緯をできる限り詳しく説明する。ただし、お嬢様の力のことは慎重に伏せ、侵入者が突然倒れ込んだのだと話をまとめた。
警備兵たちは腑に落ちない顔をしていたが、それ以上追及されることはなかった。それよりも、しばらく町を騒がせていた侵入者をついに捕らえられたことに、彼らの関心は向いているようだった。
そのおかげか、私たちは早々に解放され、胸をなで下ろすことができた。
家に戻る頃には、すでに日はすっかり昇っていた。玄関をくぐった途端、緊張が解けたのか、ドッと疲れが押し寄せてくる。――と同時に、お腹の虫がぐうと鳴いた。
私とお嬢様は顔を見合わせ、思わず恥ずかしそうに笑い合う。
「お腹、空きましたね。すぐに食べられるものを用意します」
「そうしていただけると、助かります」
「お嬢様は、少し仮眠を取られますか?」
そう問いかけると、お嬢様はしばらく黙り込んだ。そして、そっと近づいてきて、私の裾を小さく引っ張る。
「……食堂で待っているわ。もし仮眠を取るなら、ルアも一緒がいいの。今日、一緒にお昼寝しましょう?」
その甘えた態度に、思わず目を瞬かせる。今までのお嬢様は、決してこんな風に素直に甘えてきたことはなかった。きっと、一山越えて心が軽くなったからなのだろう。
「分かりました。一緒にお昼寝しましょう」
「ふふっ、楽しみです。じゃあ、私は食堂で待っていますね」
上機嫌に微笑むと、お嬢様はスカートをひらりと翻し、軽やかな足取りで食堂へ駆けていった。
◇
食事を作り、一緒に食べ、部屋ではぬいぐるみを作る。
昨夜は侵入者が入り込んだというのに、私たちはまるで何事もなかったかのように、いつもと変わらぬ日常を過ごしていた。
いや、変わったことが一つだけある。
お嬢様が、私に甘えるようになったのだ。今までそんな素振りを見せたことはなかったのに、一夜で人が変わったように。
どういう心境の変化かは分からない。けれど、素直になれることはきっと良いことだ。
ただ、その甘え方はどこかぎこちなくて……まるで初めて歩き出す子どものように、一つひとつ確かめるように甘えてくる。
仮眠をとる時も――。
「ねぇ、ルア……よく眠れるように、何かしてください」
ベッドに横たわったお嬢様は、前髪の隙間からじっと私を見上げ、懇願するように囁いた。
「では……頭を撫でましょうか」
少し考えてからそう答え、ベッドの端に膝をつき、そっと髪に触れる。優しく撫でると、お嬢様は目を細め、口元をほころばせた。
「ふふっ、くすぐったいです。じゃあ次は……手を握ってください」
差し出された小さな手を包み込むように握ると、きゅっと握り返される。
「……安心します。でも、ルアの声が聞こえないのが寂しいです。何かお話してくださいますか?」
「ええ、いいですよ。では、物語を語りましょうか」
「それは楽しそうです。ぜひ、お願いします」
お嬢様の願いに応えるように、私はゆったりとした声で物語を語り始めた。やがてまぶたは重く閉じられ、穏やかな寝息が聞こえてくる。
安心しきった寝顔を見つめると、私の胸の奥も温かく満たされていった。昨夜は大変なことがあったはずなのに、お嬢様は神経質にならず、むしろ落ち着いている。……これなら約束の日まで、穏やかな日々を過ごせるだろう。
ただ、その別れの日を思うと、胸の奥に寂しさが滲む。
けれど、それは仕方のないことだと自分に言い聞かせる。お嬢様にはお嬢様の世界があり、私には私の世界があるのだから。
◇
それから、私たちは穏やかな日常を過ごした。お嬢様は以前よりも笑顔を見せるようになり、時折甘えてくる余裕まで見せる。
最初の頃に比べて、本当に様変わりした。怯えていたような面影は消え、年相応の明るい子どものように振る舞うようになった。本人もとても楽しそうで、ああ、尽くしてきて良かったな、と心から思えた。
もう少し、このままでいたい。この穏やかな日々を過ごしていたい。そんな気持ちが胸いっぱいに溢れてくる。
けれど、日常は残酷だ。約束の日は、静かに、けれど確実に訪れる。お嬢様がお屋敷に帰る、その日が。
その朝、お嬢様は私の傍を一歩も離れなかった。廊下でも、食堂でも。まるで私の影になったかのように寄り添い続ける。小さな手が何度も私の袖や裾をつまみ、離すまいとする。
「……ルア、どこにも行かないで」
そう小さく囁く声には、いつもの明るさがなく、寂しさが滲んでいる。
私は微笑んでその手を包み込んだ。
「大丈夫ですよ。今日は、ずっとお嬢様と一緒ですから」
その言葉に、お嬢様はほんの少し笑顔を取り戻す。けれど次の瞬間、ふと何かを思いついたように、ぱっと顔を上げた。
「ねぇ、ルア……一緒に来て。お屋敷に、一緒に来てくれない?」
その瞳は真剣で、でもどこか夢を見ている子どものように澄んでいる。胸の奥がちくりと痛んだ。けれど、私は首を横に振るしかなかった。
「……ごめんなさい。それは出来ません。お嬢様にはお嬢様の場所があって、私は私の場所に戻らなくてはなりませんから」
言い終えると、お嬢様は目を伏せ、ほんの一瞬だけ唇をかんだ。けれど、すぐに小さく頷いて引き下がる。
「……うん、分かってる。ルアにはルアの世界があるって、知ってるから」
その声はかすかに震えているのに、無理に笑顔をつくっている。小さな肩が、静かに私の胸に寄りかかってきた。
「少しだけ……このままでいさせて」
「ええ、もちろんです」
私はそっとその肩を抱いて、胸の奥に押し寄せる寂しさをひとつひとつ飲み込んでいった。これで少しでもお嬢様の気持ちが軽くなるのなら……。
二人で寄り添い、僅かな時間を過ごしている時だった。外がやけに騒がしくなった。
思わず私たちは体を離して顔を見合わせた。そして、二人で部屋を出て、玄関先へと向かう。
おそるおそる、扉を開けてみると――。
「わっ」
家の前に規律正しい制服を身にまとった人達が勢ぞろいしていた。
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