57.お嬢様の秘密(1)
「あの……ルア」
「はい、なんでしょうか?」
「その……食事も終わったから、ぬいぐるみ作りをしてもいいですか?」
「はい、もちろんです。私が片づけを済ませたら取り掛かりましょう」
「……えぇ! じゃあ、部屋で待っていますね!」
私の返事に、お嬢様は嬉しそうに口元を上げて食堂を出て行き、軽い足取りで二階へと上がっていった。私はテーブルに残った食器を手早く片づけ、洗い場で水にくぐらせながら洗い始める。
昨日はぬいぐるみ作りの材料を買いに行った。布や糸を選ぶのに随分と時間を掛けたので、帰ってきたときのお嬢様はすっかり疲れてしまっていた。
だから無理をさせないようにと、ぬいぐるみ作りは今日に持ち越したのだ。残念そうにしながらも、私の言葉を受け入れてくれたお嬢様。だからこそ、今のこの瞬間を心待ちにしていたのだろう。
仕事を終えると、私はお嬢様の部屋へ向かった。
「お嬢様、お待たせいたしました」
「お仕事ご苦労さま。……もう、始めてもいいですか?」
「はい。刃物や針を使いますので、どうかお気を付けくださいね」
「えぇ、十分に気を付けますわ」
許しを与えると、お嬢様はふわりと口元を綻ばせ、机に向かって椅子に腰掛けた。
「えっと、まずは何をすればいいのかしら」
「型紙通りに布を切るところから始めましょう。布に線を引いてから切ると、綺麗に仕上がりますよ」
「なるほど。……では、やってみますね」
私の説明を聞いたお嬢様は、真剣な面持ちで布に向き合い、鉛筆を手に取った。型紙を布に当て、静かに線を引いていく。
その姿は驚くほど集中していて、普段の少し頼りなげなお嬢様とはまるで別人のようだ。姿勢も言葉遣いも気品に満ち、まさしくどこかの高貴な家の令嬢にしか見えなかった。
そんな令嬢が狙われるなんて、いったいどういう状況なのだろうか。大切な御身であるはずなのに、世話役が市井の子供である私ひとりというのも、どうにも不自然に思えてならない。
きっと何か特別な事情があるのだろう。けれど、それを深く詮索するのはきっと良くない。とはいえ、もし理由を知っていれば、もっと力になれるのではないか……そんな思いが胸の片隅で燻っていた。
考え込んでいると、自然と視線がお嬢様へと向かう。机に向かって下を向いているお嬢様の横顔。揺れる前髪がふとずれて、その奥の瞳が露わになった。
――金色の瞳。
まるで宝石を閉じ込めたかのように澄んでいて、吸い込まれそうなほどに美しい。その瞬間、私は思わず息を呑み、見惚れてしまった。けれど、じっと見つめ続けていると、不思議な感覚が胸に広がる。
威圧感――そう表現するしかない圧のようなもの。決して睨まれているわけでもないのに、心臓がぎゅっと掴まれたように苦しくなり、呼吸が浅くなる。
なぜだろう? 綺麗で、なのに恐ろしい。両方の感情が混ざり合って、頭が混乱してしまう。
その時、不意にお嬢様が顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見た。金色の瞳が、今度は確かに私を射抜いた。
「――っ!」
お嬢様は小さく息を呑むと、次の瞬間、慌てたように両手で目元を覆った。
「見ないで……っ!」
声は震えていて、顔色が悪くなる。
「すいません! その、つい……」
慌てて私も視線を逸らした。部屋の中に静けさが落ち、しばらくの間、言葉が出てこない。気まずい空気が流れ、私はどう言葉を選べばいいのか頭を抱えていた。
そんな時、先に口を開いたのは――意外にもお嬢様の方だった。
「……ごめんなさい。驚かせてしまいましたよね」
お嬢様はまだ両手で目元を覆ったまま、小さな声で呟く。肩がわずかに震えているのが見えた。
「いえ、元はと言えば……私が、勝手に見惚れてしまったせいですから」
私は慌てて首を振る。言い訳にもならないけれど、少しでも気を楽にしてほしかった。
「……いいんです」
お嬢様はそう言って、ゆっくりと手を下ろした。その瞳はまた前髪で隠れてしまったが、どこか諦めを含んでいるように見える。
「いずれ、見られるとは思っていましたので」
「あの……目を見られるのが、嫌だったんですか?」
お嬢様は少しだけ唇を噛みしめ、やがて小さく頷いた。
「……えぇ。嫌、というより……恐れていたのです。ルアは、目を見てどう思いましたか?」
唐突に返された問いに、言葉が喉で詰まる。しばし迷った末に、正直に答えた。
「えっと……とても綺麗な目だなって」
「……それ以外には?」
真剣な声音に、私は正直な気持ちを口にするしかなかった。
「……何か、圧のようなものを感じました。美しいのに、胸が苦しくなるような……」
言葉にしながら、自分でも改めてその不思議な感覚を思い出し、背筋がひやりとする。お嬢様はそんな私の答えを黙って受け止め、顔を伏せた。
お嬢様はしばらく顔を伏せ、何かを考え込んでいるようだった。言うべきか言わざるべきか、その狭間で揺れているのが伝わってくる。私自身も知りたい気持ちと、知らない方がいいのではという思いが胸の中でせめぎ合っていた。
張りつめた沈黙の中、私はただ待つことしか出来ない。鼓動が妙に大きく響き、時間がゆっくりと流れていくように感じられた。
やがて、お嬢様はゆっくりと顔を上げた。その金色の瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
「……これから話すことを、聞かなかったことに出来ますか?」
低く慎重な声音。その言葉は、秘密を打ち明ける代わりに、守って欲しいと告げているように思えた。逃げ道を残すように差し出された問いかけ。だが私には、迷う理由などなかった。
「……はい。決して口外しません」
私は静かに、けれど深く頷いた。
お嬢様はわずかに肩の力を抜き、緊張のあまり喉をゴクリと鳴らした。そして、決意を固めるように口を開く。
「……私の目には、特別な力が宿っているんです」
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