55.ぬいぐるみの材料(1)
扉を開けて外に出ると、まず周囲を確認する。怪しい人影がないことを確かめてから、お嬢様をそっと外へと誘った。
「大丈夫です。……さぁ、行きましょう」
「え、えぇ……」
お嬢様は帽子を深く被り、肩をすくめるようにして歩き始めた。路地を抜けて通りに出ると、途端に人通りが多くなる。お嬢様は怯えるように身を縮めた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……。私は大丈夫です。行きましょう」
震える声ではあったが、しっかりと答えてくれた。ならば、このまま進もう。私が先に立ち、お嬢様は後ろからついてくる。
通りを見渡しながらお店を探していると、ふと後ろのお嬢様の足取りが遅れていることに気づいた。慌てて駆け寄る。
「すみません、歩くのが速かったでしょうか?」
「ち、違うんです……。道がでこぼこしていて、歩きづらくて……」
見れば、石畳はきちんと整えられており、歩きにくいとは思えない。きっと、お嬢様の普段の生活環境が、いかに平坦で整ったものだったかを物語っているのだろう。
一体どんな場所で過ごしてきたのか。だが、今は考えている場合ではない。このままでは移動に支障が出てしまう。
「……では、私がエスコートいたしましょうか?」
「そ、それなら……」
「失礼します。私の腕におつかまりください」
お嬢様の隣に立ち、腕を差し出す。お嬢様はおずおずと、けれど確かに私の腕を掴んだ。これで一安心、そう思ったのも束の間、お嬢様は気落ちしたように俯いてしまう。
「あの……もしかして、余計なお世話でしたか?」
「い、いえ! そうではなくて……。私のために気を遣わせてしまって、申し訳なくて……」
「これくらい普通のことです。お嬢様を守るのが、私の務めですから。ですから、どうかどんどん気を遣わせてください」
冗談めかしてそう告げると、お嬢様ははっと顔を上げ、口元がわずかに緩む。
「……それって、ちょっと変な言い方ですよ」
「そうですか? でも、気を遣っていただけるのは嬉しいことです。だから遠慮しないでください」
「ふふっ……そんな……」
手で口元を隠しながら、小さく笑った。理由は分からないが、少しでも気持ちが和らいだのなら、それで十分だ。
お嬢様がつまずかないように気を配りながら歩を進めると、やがて目的のお店の看板が見えてきた。
「お嬢様、あちらです。行ってみましょう」
「は、はい……」
指差すと、お嬢様は緊張したように体を固くする。店の前に着き、落ち着くまでしばらく待ってから、そっと扉を押し開けた。
「いらっしゃいませー!」
奥から店員の声が響く。けれど、それよりも私たちの目を奪ったのは店いっぱいに並ぶ、色とりどりの布の数々だった。
「わぁ、いっぱいありますね。目移りしそうです。お嬢様、どうですか?」
視線を布からお嬢様へと移して声をかける。だが、返答はなかった。代わりに、お嬢様は周囲に飾られた布を熱心に眺めている。
やはり、お嬢様でも、これほど大量の布を目にするのは初めてなのだろう。色とりどりの反物を見つめるその横顔は、どこか楽しげで、私まで嬉しくなってしまう。
けれど、お嬢様の表情はふと曇り、肩を落として俯いてしまった。
「どうされましたか?」
「……沢山の布があって、すごいなって思ったんです。でも、その中から一つを選ぶとなると……。私なんかに、選べるはずが……」
声は小さく、消え入りそうだった。
「わ、私、こういうこと、ずっと苦手なんです。合わない物を選んだ時は叱責されて、萎縮してしまって選べなくて……。結局は勧められたものを選んでしまうんです。だから、選ぶ力なんてないんです」
ぎゅっと両手を胸の前で握りしめる仕草が痛々しい。
「きっと、私が選んだものは笑われてしまうんです。だから……最初から、誰かに決めてもらったほうが……」
そこまで言ったところで、お嬢様は唇を噛み、言葉を飲み込んだ。その姿には自分への情けなさが滲んでいる。
その姿を見て、胸が締めつけられるような思いがした。
「……お嬢様」
私はそっと声をかけ、俯いた横顔を覗き込む。
「叱られることも、笑われることも、ここにはありません。誰もお嬢様を咎めたりしません」
ゆっくりと言葉を紡ぎながら、私は一歩近づいた。
「選ぶというのは、間違い探しではなくて好きや心惹かれるものを見つけることです。お嬢様が心からいいと思った布なら、それで十分なんです」
お嬢様は驚いたように顔を上げた。目元は髪で隠れて見えないが、その口元は驚きで少し開いている。
「……でも、私には……」
「大丈夫です。もし迷ってしまったら、一緒に考えます。私も隣で見ていますから」
私は柔らかく微笑んで続ける。
「だから、お嬢様が選んでもいいんです。お嬢様にしか見えない似合う一枚が、きっとあるはずですから」
そっと差し伸べた言葉に、お嬢様の肩がわずかに震えた。
「……私が、選んでもいいんですか……?」
「もちろんです」
そう告げると、お嬢様の張りつめていた空気がふっと和らいだ。不安げに胸の前で握っていた手に、きゅっと力がこもる。やがて戸惑いを帯びた唇が、ゆっくりと開いた。
「な、なら……選びます。私の好きなものを」
「はい。それでいいんです」
小さな声ながら、その響きには確かな決意が宿っていた。お嬢様の瞳は前髪で隠れて分からないが、先ほどまでの曇りを払うようにきらめきを取り戻しているように感じる。そして、布の並ぶ棚へと真っすぐ向けられる。
ほんの一歩だとしても自分で選ぶ勇気を出した。その姿が、私にはとても眩しく見えた。
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