53.暇つぶし
お嬢様は大事そうに食事を口に運んでいた。お屋敷で召し上がっていた料理と比べれば味は落ちるはずなのに、それでもとても美味しそうに召し上がってくださる。その姿が、何よりも嬉しかった。
食事を終えると、お嬢様は二階に上がり、また窓際の席に腰を下ろして外を眺め始める。この家には最低限の家具と調理道具しかない。
暇を潰すものなど、何一つないのだ。
それでもお嬢様は、文句一つ漏らさず、ただ静かに身を潜めている。こんな生活を一か月も続けねばならないなんて、どれほど辛いことだろう。
せめて、何か気を紛らわせるものがあればいいのに……。でも、お嬢様は普段、何をして時間を過ごしていたのだろうか?
「……あの、お嬢様」
「え? はい……なんでしょうか?」
「もしかして、退屈しておられませんか?」
「え、えぇ……まあ、少し。でも、何も持ってきていませんから、仕方ないですね」
「でしたら、何か暇を潰せることを考えてみませんか?」
「暇を……潰す?」
お嬢様は小さく首を傾げる。
「お屋敷では、どんなことをなさっていたんですか?」
「お屋敷では、常に勉強をしていました。あとは、嗜みとして刺繍なども……」
「では、そのどちらかをやってみるのはどうでしょう?」
私が提案すると、お嬢様は少し俯いた。やはり、あまり気が進まないのだろうか。
「……勉強していない時間も、勉強のことを考えていなければならないんじゃないでしょうか?」
「それは……誰かに言われたのですか?」
「……はい。先生方から、常に勉強のことを考えるようにと教えられてきました」
なんて厳しい教えだろう。勉強の時間以外も勉強のことを考え続けるなんて、普通ならとても耐えられないはずだ。
「では、窓の外を見ていたのは……勉強のことを考えていたんですか?」
「えぇ……それしか、ありませんでしたから」
勉強は大切だ。けれど、人生はそれだけじゃない。もっと楽しいことだって、きっとあるはず。私はそれをお嬢様に伝えたいと思った。
「でしたら、この家にいる間くらいは、別のことをやってみませんか?」
「別のこと……?」
「はい。せっかく勉強から離れられたんです。いろんな経験をしてみましょうよ」
「……でも、本当にそんなことをしていいのでしょうか。勉強は責務だと教えられてきましたから」
「責務をずっと背負い続ける人なんていませんよ。少しくらい、自分に優しくしたっていいんです」
そう口にしながら、お嬢様の生き方がいかに抑え込まれてきたものかを痛感する。窮屈さに縛られて生きてきた姿を想像すると、胸が痛んだ。
本当は、この世界にはもっと自由で楽しいことがたくさんあるのに――。
私は、少しでもそのことを知ってほしいと思った。そうすれば、おどおどした表情も変わっていくはずだから。
お嬢様は俯いたまま、しばらく考え込んでいた。きっと、これまで誰からもそんな言葉をかけられたことがなかったのだろう。
前髪に隠れて目元は見えない。けれど、きゅっと結ばれた唇がやがて小さく動いた。
「……ちょっと、興味があります」
「本当ですか! なら、いろいろ挑戦してみましょう。何かやってみたいことや、興味のあるものはありますか?」
「……あっ」
顔を上げたお嬢様の表情が、一瞬ぱっと弾ける。
「……可愛いものがいいです」
「可愛いもの、ですか」
「すみません……すごく曖昧ですよね」
お嬢様が「可愛い」と思うものって何だろう? 腕を組みながら考える。私と同じくらいの年頃の子が夢中になるものといえば――。
……そうだ!
「でしたら、自分でぬいぐるみを作ってみませんか?」
「ぬいぐるみ……?」
「はい。まずは絵を描いて、作りたい形を決めます。それから布を縫い合わせて、最後に綿を詰めれば完成です」
可愛いものの代表といえば、やっぱりぬいぐるみ。それに、自分で作ったとなれば、手にした時の喜びは何倍にもなるはずだ。
説明を聞いたお嬢様は、再び少し黙り込む。まさか、ぬいぐるみを知らないわけじゃないよね? 私は内心そわそわしながら見守った。
「……はい。作ってみたいです」
「決まりですね! じゃあ、私が必要な物を買ってきます」
「……お願いします」
お嬢様の小さな声を背に受けて、私は勢いよく部屋を飛び出した。
◇
「お嬢様、買ってきました」
画材屋で紙と鉛筆、それに色鉛筆を揃えてきた。机の上に広げると、お嬢様は身を乗り出すようにして覗き込む。
「これが……色鉛筆、というものなのですね。初めて見ました。いつもは筆と絵具を使っていましたので」
「色鉛筆なら手軽に色を塗れるんですよ」
「なるほど……そういうものなのですね」
普段から筆と絵具を使っているなんて、やっぱりお嬢様らしい。思わず感心してしまう。
「では、さっそく。どんなぬいぐるみにしたいか、絵に描いてみましょう」
「どんな形がよろしいのでしょうか?」
「一番多いのは、動物をデフォルメした形ですね。小さくて丸い姿にすると、可愛らしくなります」
「動物を……可愛い姿に」
お嬢様は真剣な表情で考え込む。
「……少し、描いてみます」
「その意気です! どうぞ、椅子にお掛けください」
私が椅子を引くと、お嬢様はためらいがちに腰を下ろした。そして机に向かい、鉛筆をそっと手に取る。
やがて、白い紙の上に一筋の線が描かれ始めた。
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