52.お嬢様の食事
大荷物を肩から提げ、ようやく家へと帰り着いた。鍵を開けて中へ入り、すぐに鍵を閉める。そのまま台所へ直行し、調理台の上に荷をどさりと置いた。
ひと息つく間もなく、私は二階へ向かう。お嬢様の部屋の前に立ち、ノックをすると中から小さな声が返ってきた。合図を確認し、そっと扉を開く。
「お嬢様、ただいま戻りました」
「……ご苦労さまでした。ちゃんと買えましたか?」
「はい。頂いたお金で、無事に食材を揃えてきました。今から調理をいたしますので、少しだけお待ちください」
「……ええ、お願いします」
お嬢様は控えめに頭を下げてくださった。こんな私にまで礼を尽くしてくださる。なんて心の広い方なのだろう。
ならばこちらも、決して手を抜くわけにはいかない。私は気を引き締め直し、部屋を辞して厨房へ戻った。
調理台にまな板と包丁を並べ、袋から食材を取り出していく。今日の献立は、野菜のスープに焼き肉、そして買ってきたパン。
決して豪華な料理ではない。けれど、腹を空かせているはずのお嬢様を長く待たせるわけにはいかない。手間よりも、まずは温かく満足していただける食事を。その思いだけで、私は包丁を握った。
野菜の皮を一つひとつ丁寧に剥き、食べやすい大きさに小さく切り揃えていく。すべてを切り終えたところで鍋を用意しようとしたが、水瓶を確認すると――一滴の水も残っていなかった。
どうやら、家のことは何も手が回っていないらしい。私はすぐに壺を抱え、外の井戸へ駆けていく。冷たい水を汲み、必要な分だけ壺に満たして家へと戻った。とりあえずはこれで十分だが、あとで水瓶にも補充しておかないと。
改めて調理に取りかかる。鍋に水を張り、竈の上へ。薪と藁を仕込み、火打ち石を打つと、ぱちぱちと小さな火花が散り、藁に火が走る。筒で息を吹き込むと、ぱちぱちと薪へ燃え移り、竈に力強い炎が灯った。
その火に鍋を掛け、刻んだ野菜を投入する。やがて水がぐらぐらと沸き立ち、野菜が柔らかく透き通っていく。頃合いを見て味を整えれば、温かな野菜スープの完成だ。
次は肉。フライパンを火にかけてしっかりと温め、下味を馴染ませた肉を置く。――ジュッ、と弾ける音が台所に響き、食欲を誘う香りが広がった。焦げぬよう注意しつつ焼き進め、ちょうど良い加減でひっくり返す。香ばしい焼き目が浮かび、裏面も同じように仕上げて、火から下ろした。
あとは盛り付けだ。深皿に野菜スープを注ぎ、皿にこんがりと焼いた肉を盛り、籠にパンを添える。ささやかだが、出来たての料理が整った。
料理を盆に載せ、隣の食堂へと運ぶ。お嬢様の席の前に一つずつ並べ、最後にカトラリーを揃える。こうして、お嬢様のための食卓が整った。
私はすぐに二階へ上がり、扉をノックした。
「お嬢様、お食事のご用意ができました」
声をかけてそっと扉を開けると、お嬢様はゆっくりと立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。けれど、その身体はどこか頼りなく、ふらついているように見える。
「あの……ご気分は大丈夫ですか?」
「……すみません。体に、あまり力が入らなくて」
「でしたら、私にお掴まりください。転んだら大変ですから」
「……ありがとう」
差し伸べた腕に、お嬢様は小さくしがみついてきた。その手の重みを感じながら、私は歩みを合わせてゆっくりと階段を下り、食堂へ向かう。
席に着いていただこうと椅子を引くと、お嬢様は静かに腰を下ろした。そして、目の前に並べられた食事をじっと見つめる。
「あの……急いで作ったので、簡単なものしかご用意できなくて」
「……大丈夫です。食べられるものであれば、それで十分です」
質素すぎたのではと不安が胸をかすめたが、お嬢様は気にする様子もない。それどころか、どこか安堵したような表情すら浮かべていた。
「……いただいてもよろしいですか?」
「もちろんです。召し上がってください」
「では……いただきます」
小さな声でそう告げると、お嬢様はスプーンを取り、まずは野菜スープに手を伸ばす。ゆっくりとすくい、口へと運ぶ。ひと口ひと口、噛みしめるように味わう姿が印象的だった。
けれど、数口ほどでスプーンを持つ手が止まってしまう。やはり、口に合わなかったのだろうか。胸がざわつき、慌てて顔を覗き込む。
その瞬間、頬を伝う一筋の涙が目に入った。
「お嬢様!? もしかして……お口に合わなくて……」
「ううん、違うんです。……食事を口にしたら、急に安心してしまって……それで……」
震える声に、私は息をのんだ。涙は不満ではなく、心からの安堵の証だった。お嬢様にとって、このひとときがどれほど尊いものなのか。そのことが、痛いほど伝わってきた。
それだけ、お嬢様を取り巻く環境がいかに厳しいかの証だろう。
「……こんなに安心して食べられるのは、本当に久しぶりなんです。普段は……その、色々と気を張らなければいけないので」
「でしたら、ここにいる間はどうか気を緩めてください。私は決して、お嬢様を害することなどいたしません」
「……そうね。ここは、あそこよりもずっと安心できます」
しみじみとそう口にするお嬢様。その声音からは、過去にどれほど辛い思いをしてきたのかが透けて見えた。控えめで怯えるような仕草といい、決して楽な暮らしではなかったのは明白だ。
「それに……温かい料理って、こんなに美味しいものだったんですね」
小さな呟きとともに、お嬢様はスープをそっと口に運ぶ。その姿は、まるで一口ごとに心を解きほぐされていくかのようだった。もしかして、普段は出来立ての料理にさえありつけていなかったのだろうか。
胸の奥が締め付けられる。お嬢様が置かれてきた環境の厳しさを思うと、自然と庇護欲が湧き上がってきた。
細い指先でスプーンを握り、ぎこちなくも丁寧に食事を続けるお嬢様の姿は、壊れやすい硝子細工のように儚げで、それでいて愛おしく感じられる。こんな方を、再び孤独や不安の中に置いてはいけない。
私が守ろう。私の手で、この方が心地よく過ごせる場所をつくろう。
そんな決意が胸の奥から自然と湧き起こる。お嬢様が食事を終え、ほんの少し柔らかな笑みを浮かべた瞬間、私は心の中でそっと誓った。
必ず、お嬢様に安らぎを与えられる存在になってみせる、と。
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