50.新しい出会い(1)
「じゃあ、ルア。頑張って来いよ」
「無理しないでね」
「はい、ありがとうございます」
朝。開店前の獅子の大皿亭で、ノットとハリーに見送られた。二人が名残惜しそうに手を振ると、私も元気いっぱいに手を振り返し、その場を後にする。
情報屋の人に導かれ、初めて歩く通りを進む。大きな通りを抜けて、やがて入り込んだのは細く曲がりくねった路地。人通りもなく、空気がひんやりとしている。そこで一軒の家の前で立ち止まった。
情報屋の人が扉をリズムよく叩く。すると、内側からも同じようにノックを返す音が響いた。合図を確認するように、もう一度同じリズムを叩く。
数秒後――重い音を立てて扉が開いた。
「待っていた。さあ、中へ」
現れたのは端整な顔立ちの男性だった。鋭い目元に整った髪。庶民の空気とは明らかに違う、洗練された雰囲気をまとっている。私は思わず息をのんだ。こんな人を目にしたのは初めてだ。
男性に案内されて家の中に入る。狭い廊下を抜け、扉を開けると、そこには余計な飾り気のない簡素な応接室が広がっていた。
「この子が例の?」
「はい。器量も良く、気が利きます。誰とでもすぐに打ち解けられる娘です」
「……なるほど」
男性の視線が、値踏みするように私をなぞる。背筋が自然と伸び、緊張で喉がからからになった。
やがて男性は袋を取り出し、情報屋に手渡す。
「連れてきてくれて感謝する。これが約束のものだ」
「ありがとうございます。……あの、どうかこの子に危害だけは。大切に預かってきた子なのです」
「心配はいらん。善処しよう」
冷たく突き放すような声音。情報屋の人は何とも言えない顔になり、深く頭を下げると未練を残すように部屋を後にした。
扉が閉まり、静寂が訪れる。残されたのは私とその男性だけ。
男性はしばらく無言で、じっと私を見つめ続けた。その視線はまるで心の奥を覗き込むかのようで、私は居心地の悪さに小さく息を呑んだ。
重苦しい沈黙の中、男性の視線が私に突き刺さる。思わず身じろぎした瞬間、彼は低く口を開いた。
「……名は?」
「ル、ルアと申します」
「年は?」
「……十です」
自分の声が震えているのが分かった。男性はそれに表情を変えることなく、淡々と次の言葉を投げる。
「怯えるな。ここはお前を害する場所ではない」
その言葉に胸を撫で下ろしたが、同時に緊張はまだ抜けきらない。彼は続けて、静かにこちらを見据える。
「俺の名はシリウス。……お嬢様の従者のようなものだ」
「……従者、ですか?」
その言葉に、思わず首をかしげる。どうしても従者という響きが彼には似合わない気がした。
整った顔立ちはまるで絵画のように端麗なのに、纏う雰囲気は優雅さよりも鋭さに満ちている。広い肩幅と引き締まった体つきは、日々鍛錬を重ねている証だろう。
わずかな仕草からさえ隙が見えず、常に周囲へ意識を巡らせているのが伝わってくる。腰にはよく手入れされた剣。きっと、いざとなれば即座に抜き放ち、戦場を生き抜けるだけの胆力を備えているはずだ。
どう見ても従者というよりは、戦場を渡り歩いた歴戦の護衛にしか思えなかった。
そんな私の疑いの視線に気づいたのか、シリウスはわずかに眉をひそめた。
「……あまり詮索しないように」
「は、はい……」
どうやら、身分を知られたくないらしい。雇い主がそう望むのなら、私が従うしかない。胸の奥に小さな不安は残ったが、とりあえず頷いてみせた。
「軽く事情を説明しよう。お嬢様はとある人物に目を付けられ、害されそうになっている。そのため、その人物から逃れるべく、一時的に市井で身を隠すことになった」
「どのくらい身を隠すのですか?」
「最低でも一か月だ。その期間を過ぎれば、奴も迂闊に手を出せなくなる」
なるほど……。お嬢様を狙う人物から逃れるために、ひと月だけ身を潜めるわけか。けれど、たった一か月で危険が和らぐなんて、一体どういう状況なんだろう? 詮索しない方がいいとは分かっているのに、どうしても気になってしまう。
それに「市井」なんて言葉を使うくらいだから……お嬢様はやっぱり貴族様に違いない。ならば私は貴族の事情に巻き込まれることになるのか……。考えるだけで少し怖い。
「ルアにはその間、お嬢様の世話を頼む。衣食住に関わる一切を任せる。細やかな気配りを欠かすな。お嬢様に不自由を感じさせないように」
「分かりました。……外出はされるのでしょうか?」
「……本当は外へ出したくはない。だが、こんな小さな家に閉じ込めておくのも酷だ。目立たぬように気を配れば、短い外出くらいは許そう」
衣食住の世話と、外出の手助け。仕事としては難しくない。きちんと努めれば、きっと不自由なく過ごしていただけるだろう。
ただ一つの問題は――お嬢様の気質だ。どんな方なのか、それ次第で私の働きやすさも変わってくる。あんまり気難しい人じゃなければいいけれど……。
「では、お嬢様に会わせる。くれぐれも失礼のないように」
「……分かりました」
とうとう、そのお嬢様に会える。胸の鼓動が早くなるのを抑えつつ、私はシリウスの後に続いた。応接室を出て、階段を上り、二階へ。重い空気をまとった廊下を進み、一番奥の扉の前にたどり着く。
シリウスが扉を軽く叩いた。
「お嬢様、入ってもよろしいでしょうか?」
小さくかすかな声が、扉の向こうから返ってくる。数秒の沈黙ののち、シリウスが静かに取っ手を回した。
「入れ」
その言葉に導かれるように、私は足を踏み入れる。
次の瞬間、息が詰まった。
窓際の椅子に腰かける少女――黄金の糸のように光を放つ髪が肩から背へと流れ落ちている。けれどその髪に似合わぬ、質素なドレス。まるで光を隠すように、控えめな衣をまとっていた。
その姿は、華やかさよりもむしろ儚さを際立たせていた。ほんの少し触れただけで、たちまち壊れてしまいそうな、そんな危うさ。
お嬢様が、ゆるやかに顔をこちらへ向ける。
けれど長い前髪が額から頬へとかかり、表情の半分以上を覆い隠していた。見えるのは口元と鼻先だけ。それなのに、不思議とその奥にある瞳の光を感じる。
隠されているからこそ、なおさら気になってしまう。どうしようもなく目が離せなかった。
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