47.思わぬ特技
箱から小銅貨を取り出し、お客さんへ差し出す。
「こちら、お釣りになります」
「おう、ありがとう。ルアもすっかり会計が板についてきたな」
「最初は大丈夫かって心配したけどな」
「でも、全然問題なかった。さすが俺たちのルアだ」
お客さんたちは、懐かしそうに数週間前のことを口にする。あの時、ハリーが急に休みになり、私はひとりでホールを任されることになった。会計を担当する人もいなくなり、代わりに私が務めることになったのだ。
練習の成果を発揮できると思い、少し緊張しながら挑んだ。けれど結果は、間違いひとつなく会計をこなすことができた。その時は色んな人にいっぱい褒められて、とても嬉しい気持ちになった。
「あの時は見守ってくださって、ありがとうございました。おかげで会計も任せてもらえるようになりました」
「いや、ルアが頑張ったからだ」
「若いと成長も早いもんだな」
「いやいや、ルアだからこそ成長できたんだよ」
そんなふうにお客さんたちと雑談を交わしていると、ハリーが近づいてきた。
「私も驚いたわ。まさかルアが会計までできるようになってるなんて。ほんと助かってるわよ」
「だろうな!」
「ルアを見つけてきたノットには感謝だな」
「ホールに花が増えたし、言うことなしだ!」
軽口を叩き合いながら、お客さんたちは笑顔で店を後にしていった。
「ルアが会計をやってくれるおかげで、ホールの仕事がずいぶんスムーズになったわ。……もしかして、この調子なら料理までできるようになるんじゃない?」
「さすがにそれは無理ですよー」
「いやぁ、あのノットさんのことだからね……いずれは店をルアに継がせる! なんて言い出して、教え込み始めるかもしれないわよ?」
ハリーは冗談めかして笑いながら、そんなことを言った。まさか、そんなことがあるはずがない。
……だけど、最近のノットとの雑談を思い返すと、料理の話題がやけに多い。まるで、私に料理を仕込もうとしているみたいだ。……いや、まさかね。
そんなことを考えながら、空いた時間にハリーとお喋りしていた時だった。
バタンッ――乱暴に入口の扉が開き、思わず肩が跳ねる。見て見ると数人の顔なじみのお客さんが、勢いよく店内に飛び込んできた。
「野菜ポタージュをくれー!」
「いつものだ、いつものやつ!」
「帰ってきたぞー!」
ホールに入るなり大声を張り上げ、なだれ込むように席へ向かう。けれど様子がおかしい。足取りはおぼつかず、体が左右に揺れている。……これってまさか。
「はぁ……まったく、酔っ払いが来たわ」
「あっ、酔ってるんですね」
「そう。時々いるのよ。飲んだ帰りに食べに来る人たちが」
ハリーは呆れ顔でため息をつきながらも、手際よくコップに水を入れ、彼らの席へ持っていった。
「もう、あんまり騒がしくしないでよね」
「悪い、悪い! 気分が良くてさぁ!」
「それより野菜のポタージュだ! 人数分な!」
「これを食わなきゃ一日が終わらん!」
「はいはい、野菜のポタージュ三つね」
ハリーの小言に、酔っ払い客たちは楽しそうに笑いながら返事をする。どうやら乱暴に暴れる気配はなく、ただ機嫌よく騒いでいるだけのようだ。ホッと胸をなで下ろす。
やがて酔っぱらったお客さんたちは肩を組み、陽気に歌い出した。聞いたことのない曲だけれど、どこか懐かしく心を弾ませる旋律だ。
「おい、みんなも一緒に歌おうぜ!」
「この歌なら知ってるだろ?」
「ほらほら、声を出せ!」
勢いのまま、周りのお客さんにも絡み始める。呆れ顔で笑う人もいれば、調子を合わせて歌い出す人もいて、店内はあっという間に合唱の場になった。
ホールに響くのは、いつもと違う賑やかな歌声。たったそれだけで空気がこんなにも明るく変わるなんて。知らず知らず、私まで心が弾んでしまう。
「ルア! こっちだ!」
離れた場所で眺めていると、酔客のひとりが手招きしてきた。恐る恐る近づくと、肩をバンバンと叩かれる。
「それじゃあここから、ルアの歌のリサイタルを開催しまーす!」
「拍手! 拍手ー!」
「待ってましたー!」
「えっ、えぇぇっ!?」
わ、私のリサイタル!? つまり、ここで私が歌わなきゃいけないってこと!? そ、そんなの無理!
「普段のルアの声があんなにいいんだ。歌も絶対上手いに決まってる!」
「そうそう、ルアの声って不思議と警戒心を解かせる力があるんだよな」
「いやもう、あの声自体が癒しだからな!」
思いがけない誉め言葉が飛んできて、思わず目を瞬かせる。すると周囲のお客さんたちも次々と頷き、賛同の声を上げ始めた。
「なぁ、ちょっとでいいから歌ってみてくれよ!」
「聞きたい聞きたい! 絶対いい歌声だって!」
「頼むよ、ルア!」
両手を合わせて拝むようにお願いされてしまっては、もう断る余地なんてない。戸惑いながらも小さく頷くと――。
「おおおっ、ルアの歌が聞けるぞ!」
「この時間まで残ってた甲斐があった!」
「楽しみすぎる!」
店の空気が一気に高揚する。引き下がるなんて、もう無理だった。胸の奥のざわめきを深呼吸で押さえ込み、私は静かに決意を固める。
――大丈夫、きっとできる。
そう自分に言い聞かせて胸の前で手を組み、息を吸い込んだ。そして、歌を紡ぐ。
曲は、先ほど皆が楽しそうに合唱していたあの陽気な歌。自然と体が揺れて、心が弾み、笑顔がこぼれる。そんな気持ちをそのまま声に乗せて響かせた。
歌い終えて顔を上げると――お客さんたちがぽかんと口を開け、呆然とこちらを見ていた。
え、なに? 音、外した……? それとも変な歌い方しちゃった?
胸の鼓動が早まる中、次の瞬間、それは突然起こった。
「うおぉっ、すげぇっ! めっちゃくちゃいい声だったぞ!」
「俺、感動した! 生まれて初めて、こんなに感動した!」
「天使の歌声ってこういう声なのかっ!?」
一人が声を張り上げると、堰を切ったように店内がどよめきに包まれた。拍手がわき起こり、椅子を叩いてリズムを刻む者までいる。
「もう一回! もう一曲!」
「いやいや、さっきのをもう一度聞かせてくれ!」
「ルアちゃん、すごいよー!」
口々に賞賛の言葉が飛び交い、頬を赤らめた私はどうしていいか分からず立ち尽くした。
けれど、みんなの瞳は本気で輝いていて、からかいなんかじゃない。心から楽しそうに、そして心から喜んでくれている。
「へへっ、やっぱりな! 俺、ルアは絶対歌うまいと思ってたんだ!」
「こりゃあ、この店の名物になるぞ!」
「歌声を肴に酒が飲めるなんて最高だ!」
わぁっと笑いが広がり、誰かが即興で手拍子を始めると、すぐに全員が合わせて打ち鳴らし始めた。
店の空気は熱気を帯び、歌った私のほうが逆に圧倒されそうになる。
でも、不思議と嫌じゃなかった。むしろ、胸の奥にふわりと温かいものが広がって――。
「……ありがとう、ございます」
思わずこぼれた言葉は、かすかに震えていたけれど、それを聞いたお客さんたちはさらに歓声を上げた。
「ルア、最高ー!」
「今日ここにいた奴は全員、自慢できるぞ!」
店中に笑い声と歓声が響き渡り、私はその中心に立っていた。まるで夢みたいな光景に、胸が熱くなる。
笑い声と歓声に包まれながら、私は胸の奥でそっと思った。ここはもう、私の居場所なんだ。そう確かに感じられて、自然と笑みがこぼれた。
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