46.一人の給仕(2)
「どうだ? 朝は問題なく、動けたか?」
朝の仕事を終え、食堂の隅でノットと一緒に食事を取っていると、彼は手を止めてじっとこちらを見てきた。眉をわずかに寄せ、まるで体調を気にする父親のような眼差しだ。
「はい。混乱することなく、動けたと思います」
私がそう答えると、ノットは少しだけ肩の力を抜いたように息を吐いた。
「それは……良かった。急に一人にしてしまって、すまなかったな」
どこか申し訳なさそうな声音。私を残して仕事を任せたことを、本気で気にしているらしい。
「いえ、大丈夫です。逆に頼られている感じがして、やる気が出ます」
私は両手で力こぶを作ってみせる。ノットを安心させたかったし、ハリーを助けるためにも、このくらいは当然だと示したかった。
「……そうか。そう言ってくれると助かる」
ノットの口元がわずかに緩む。けれどその目には、まだ私を気遣う光が残っていた。
「じゃあ、このまま昼の仕事もいけるか?」
「もちろんです。任せてください」
「それは心強いな。ただ、昼はメニューが変わる。計算する値段が一気にバラけるから、焦ると間違いやすい。……落ち着いて計算するんだぞ」
「はい。間違えないで計算してみます」
朝はメニューが一つだけだから計算しやすかった。でも、昼からは一気に複雑になる。ノットが心配してくれるのも無理はない。
だけど私は、この場で練習してきた力をしっかり発揮してみせたい。ようやく、二人の役に立てる時がしたのだ。全力で当たりたい。
「よし! じゃあ、そのためにも沢山食え! 元気を付けて、昼の営業も乗り越えるぞ」
「はい!」
ノットはほっと息をつき、安堵の笑みを浮かべると「よし」と小さく頷き、そのまま勢いよく食事をかき込み始めた。心配の色が消えたその様子を見て、私も自然と頬が緩む。
負けじと大口を開けてご飯を頬張る。こうしてしっかり食べさせてもらえるのだから、その分しっかり働いて返さなきゃね。
◇
そして、お昼の営業が始まった。開店直後はポツポツとお客さんが入り、三十分も経つと席の半分が埋まった。
まだこのくらいなら落ち着いて動ける。注文を受け、料理を運び、笑顔を絶やさないように気を張りつつも、心には余裕があった。
けれど、それも長くは続かなかった。
ある時間を境に、まるで堰を切ったように客が雪崩れ込んできたのだ。椅子が音を立てて引かれ、店内が一気にざわつく。呼び声が重なり、皿の音や笑い声が響き、空気が急に熱を帯びる。
「よぉ、ルア!」
「い、いらっしゃいませ! お席は……す、すいません! 開いていないので、壁際の椅子に順番にお座りください!」
笑顔を作りながらも、額にはじんわり汗が滲んでいく。両手が足りないくらい忙しくなり、次の行動を頭で必死に組み立てながら走り回る。
「ルア、料理できたぞ!」
「は、はい! 今行きます!」
「ルアちゃん、お水ー!」
「少々お待ちください!」
「こっちも水をくれー!」
「順番に伺いますので!」
四方八方から声が飛び交い、頭の中がぐるぐるとかき混ぜられる。気を抜いたら順番を取り違えそうだ。
こういう時こそ、深呼吸。胸いっぱいに空気を吸い込み、意識を一度落ち着ける。よし、整理できた。
すぐに厨房に走り、料理を受け取ってお客さんのテーブルへ。次は水を求めていた席。空いたコップを集めて水を入れ、間違えないよう一つずつ丁寧に置いていく。
そうしているうちに――カラン、と扉が開いた。
「いらっしゃいませ! ただいま店内は満席ですので、壁際の椅子にお掛けになって順番をお待ちください!」
息を切らしながらも笑顔で伝えると、お客さんは頷き、壁際の椅子に腰を下ろした。
よし、次は……えーっと。そう考えていたその時、別の客が席を立った。来た、会計の時間だ。私はすぐに入口横にあるカウンターに移動をした。
「おっ、ルアが会計をするのか?」
「はい。任せてもらいました」
「だ、大丈夫か? 計算は難しいぞ?」
「大丈夫です。札をお預かりしますね」
顔なじみのお客さんが心配そうに声をかけてくるが、私は胸を張って手を差し出した。お客さんは半信半疑といった顔で、そっと札を私の手に乗せる。
「えっと……野菜のポタージュがお一つ。ステーキが一つ。それから黒パンが一つですね」
頭の中で値段を思い出して、順番に足していく。あれとこれを合わせて……。
「合計で千二百セルトになります!」
「おおっ、合ってる! 本当に合ってるぞ!」
「本当ですか? 良かったぁ!」
お客さんが驚き混じりに声を上げる。その反応に、胸の奥がふわっと温かくなる。受け取ったお金を丁寧に確認する。
「ちょうどですね。ありがとうございます!」
「いやぁ、まさかルアが計算できるとは思わなかったよ。たいしたもんだ!」
「練習していたので、その成果を見せられて嬉しいです」
「これはハリーが聞いたら喜ぶだろうな!」
お客さんが感心したようにハリーの名前を出した。普段はハリーが担当している会計。私ができるようになれば、きっと助けになるはずだ。
「ハリーさんが来たら、びっくりするでしょうね」
「間違いないな。きっと大喜びだ」
「よし、じゃあ次は俺の番だな!」
一緒にいた別のお客さんが札を差し出してくる。私はそれを受け取り、また値段を計算。答えを口にすると、今度も驚きの声が返ってきた。お金を受け取り、お釣りを渡すと、周りから自然と拍手が起こった。
「すごいな、ルア!」
「やったじゃない!」
「いいぞー!」
あちこちの席から次々と声が飛んできた。手を叩いて笑ってくれる人もいれば、親戚の子を褒めるみたいに目を細めて頷く人もいる。
思わず耳まで熱くなって、俯きたくなるくらい恥ずかしい。けれど同時に、胸の奥がぽかぽかと温かくなって、涙が出そうなくらい嬉しかった。
認めてもらえた。そう思うだけで、体の奥から力が湧いてくる。
こんなに周りの人たちが喜んでくれるなんて、思ってもみなかった。心の中で何度も「ありがとう」と叫びながら、私は深く頭を下げた。
「……はいっ! この調子で、お昼の営業も頑張ります!」
顔を上げた時には、自然と笑みがこぼれていた。みんなからもらった自信を糧に、これからも頑張れそうだ。
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