28.煙突に入るのは掃除屋だけじゃない(1)
「さぁ、お前たち。仕事の時間だよ! 今日もしっかり働いてきな!」
トレビの声が朝の空気を裂いた。その掛け声を合図に、私たちはきびきびと動き出す。装備を確認し、掃除道具を肩に担ぐ。長い梯子はみんなで協力して運ぶから、声を掛け合いながら慎重に持ち上げた。
準備が整ったら、全員でうなずき合い、いつものようにトレビさんの後に続いて歩き出す。
朝の通りは、まだ人もまばらで静かだ。商人たちが店を開け始める前、街が本格的に目を覚ますよりも少し早い時間。私たちはそんな時間帯に、ひっそりと動き出す。
しばらく歩いた先で、トレビさんが立ち止まり、私たちを振り返った。
「今日はこの辺の地区を担当する。一人につき、四つか五つの煙突を回ることになる。いつも通り、きっちり仕上げるんだよ」
その言葉に、私たちは揃って「はい!」と声を上げた。
そして、それぞれ持ち場へと散っていく。家主に挨拶をして、挨拶が済んだら屋根に上る。屋根の上は足場が悪く、少し風も冷たいけれど――それでも、慣れてしまえば平気だ。
屋根の上に出ると、胸いっぱいに朝の空気を吸い込んだ。夜の間に冷えた空気が、ほんのりと朝日に温められていて、なんとも心地いい。まだ人通りの少ない町は静かで、遠くの方から聞こえる馬車の車輪の音や、小鳥のさえずりが、かすかに耳に届く。
この時間の、この場所だけに流れている静かな時間。それが私は好きだった。
屋根の上に腰を下ろし、しばし目を閉じる。ほんの短いひとときだけれど、自分だけの世界に浸れる、大事な時間だ。
――さぁ、やるか。
ゆっくりと目を開けて、足元の煙突に視線を移す。開口部の縁には、もう黒ずんだ煤がこびりついている。ここもなかなかの手ごたえがありそうだ。
今日もまた、いつもと同じように煙突掃除の一日が始まる。煤まみれの煙突を、一本一本、丁寧に。
煙突の縁にあるフックにしっかりと縄を縛りつける。ゆっくりと煙突の中に身を滑り込ませると、生暖かいと空気が肌を撫でた。
いつもの仕事。だけど、気は抜けない。足を内壁に当てて体を固定する。ブラシを握りしめ、てっぺんから内壁を擦り落としていく。
ゴシ、ゴシ、ゴシ――。
煤がこびりついた壁を根気よくこすり続ける。何度も繰り返したこの作業にも、まだまだ慣れたとは言いがたい。暗くて狭くて、動くたびに煤が舞って、深く呼吸が出来ない。
いつもの苦しさに耐えつつ、内壁の煤を擦り落していった。その時――
「うわっ、な……なんだ!?」
煙突の下から人の声が聞こえてきて、ビックリした。もしかして、出入口付近に人がいたんだろうか?
思い切って、声を掛けてみることにした。
「あの……そこに誰かいますか? 今、煙突掃除中なんですが……」
「人!? た、助かった! 助けてくれ! 煙突に体が挟まっちまって、抜け出せねぇんだ!」
「えっ……」
人が……煙突の中に? 今までこんなことがなかったのに……。
気になった私は縄を緩めて下に降りて行った。すると、暗闇の中に人の顔が浮かんできた。
「ほ、本当に人が……」
「煙突掃除の子供か! いいタイミングだ! な、腕がはまって抜け出せねぇんだ! そっちから引っ張ってくれねぇか?」
「い、いいですけど……。何をしていたんですか?」
「え、煙突掃除だよ。この家主に頼まれたんだ」
私がそう尋ねると、その男は急に挙動不審な動きを見せた。目を泳がせ、汗をにじませながら、口ごもるように言葉を発する。
……怪しい。
煙突掃除を頼まれてここに来ているのに、別の人が先にいるなんて、おかしすぎる。第一、こんな朝早くから、なぜ煙突の中に大人が――。
「申し訳ありませんが、家主の方に報告させてもらいます」
そう言うと、男は途端に取り乱した。
「うわーっ! 待ってくれ! 話すな! 俺がここにいるって言うなよ!」
「だったら、このまま放置しますよ?」
「うぐっ……! そ、それは勘弁してくれ!」
「じゃあ、報告します」
「う、うぐぐ……!」
もうこれ以上、話す意味もなさそうだったので、私は黙って煙突から身を引き、慎重に外へと這い出た。屋根の縁に足をかけ、梯子を降りて地面に立つと、すぐに家の扉をノックする。
「ん? ああ、さっきの子か。どうしたんだ?」
玄関を開けた家主に、私は静かに事情を告げた。
「実は……煙突の中に、大人の男の人が入り込んでいました」
「えっ!? な、何だって!? ちょ、ちょっと待ってて、今すぐ確認してくる!」
目を見開いた家主は、ドタドタと家の中へ戻っていった。
しばらくして、息を切らしながら戻ってくると、険しい顔で言った。
「……確かに誰かが挟まってる。声もした。おいおい、どういうことだよ……!」
「どうしましょうか?」
「このままじゃ煙突が使えないし、放っておくわけにもいかない。すまない、君、救出してくれないか?」
「分かりました」
「その間に、俺は警備隊を呼んでくる。たぶん、家に忍び込もうとした泥棒だ」
やっぱり、泥棒か――。
家主が慌ただしく通りへと駆け出していくのを見届け、私は再び屋根に登った。そしてもう一度、煙突の中へと身体を滑り込ませる。
真っ暗な中に、かすかに誰かの息づかいが聞こえていた。
「今、家主が警備隊の人を呼びに行きました」
「うぅ、情けない……」
「とりあえず、ここから助けますね」
「た、頼む……」
情けない男性の声を聞きながら、泥棒の救出が始まった。
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