24.煙突掃除(5)
「ぷはぁっ!」
煙突から顔を出し、縛っていた布を外した途端、思い切り息を吸い込んだ。重たかった空気とはまるで違う、新鮮で涼しい風が肺いっぱいに広がっていく。ひどく暑くて息苦しかった分、その一呼吸がたまらなく心地よい。
「お疲れさん。ほら、縁に座れよ」
すぐ近くから声がかかり、顔を向けるとオルガが片手を伸ばしていた。私はゆっくり体を持ち上げ、煙突の縁に腰を下ろす。
すると、目の前に差し出されたのは一つの水筒だった。
「暑くて大変だっただろう? 水を飲んで、元気出せ」
「ありがとうございます」
私は両手で水筒を受け取り、すぐに口をつけた。ひとくち含んだその瞬間――少し冷たい水が喉をすうっと滑り降りていく。汗だくの体に、水が染み渡るような感覚が広がっていく。まるで、全身がじわじわと冷やされていくみたいだった。
もう一口。さらにもう一口。
飲めば飲むほど、火照った体が少しずつ軽くなっていく。喉の渇きが癒え、焦げた煤の味が洗い流されるようで――思わず、小さくため息が漏れた。
「……生き返る、ってこういうことですね」
自然とこぼれた言葉に、オルガが笑う。
「だろ? 使用後の煙突掃除は地獄だからな。まあ、ここまで乗り切ったんなら大したもんだ。よくやったな」
そう言いながら、オルガは私の頭を優しく撫でてくれた。
その手の温もりが、不思議と胸の奥まで染み渡っていく。褒められることなんて、これまでほとんどなかったから――その言葉は何倍にもなって嬉しく感じられた。
「……ありがとう、ございます」
声が自然と、少しだけ震えた。
「とにかく、無理はするなよ。ダメだと思う前に、ちゃんと止める。それを覚えなきゃいけない」
「……はい」
「ルア、さっき俺が声かけなかったら、まだ中で作業を続けてただろう?」
図星だった。思わず黙り込み、私は小さくうなずいた。
「それが一番危ない。自分の限界を見極めて、自分で止まる。それができないと、誰かが困ることになる。自分だけじゃなくて、周りにもな」
静かな口調だったけれど、その言葉には鋭い芯があった。
そうだ。無理をして倒れてしまったら、仕事どころか、みんなに迷惑をかける。少し遅くなっても、しっかりと休む。それが、ちゃんと働くってことなんだ。
今回のことで、自分の限界が少し分かった気がする。だから次は、ちゃんと体力が残っているうちに、自分で判断しよう。
「この仕事は厳しいからな。月に何人かは体調を崩すし、煙突の中で気を失うやつもいる。俺がこの仕事を始めて、もう二年になるけど……その間に、命を落とした子だっていた」
「……死んだ子も」
その言葉が、思っていた以上に重く響いた。私の胸の奥に、冷たいものがすっと落ちていく。
「だから、ちゃんと休め。これは命のための仕事だ。トレビは厳しいが――命にかかわる場面なら、必ず許してくれる。だから怖がらずに、休むって選択をしていい」
オルガの声は、まっすぐだった。脅すためでも、同情を誘うためでもなく、本気で私を守ろうとしているのがわかる。
もし、あの時にオルガが止めてくれなかったら……。私は、きっと、煙突の中で――。
「……はい。わかりました」
私は水筒をぎゅっと握り直し、もう一度、小さく頷いた。
「よし、いい子だ。この煙突掃除が終わったら、昼ごはんを食べよう。それまで、頑張れるな?」
オルガの声は優しく問いかけてくれた。
「大丈夫です!」
私はきっぱりと返事をする。まだ体は重いし、手も少し震えているけれど、それでも頷けた。
「なら、十分に休憩したし、続きをするぞ。この調子だと、もう一回は休憩を挟んだほうがいい。そのことを頭に入れて、働いてくれよ」
「はい!」
オルガはそう言い残して、ひょいっと軽い動きで煙突の中へ姿を消した。すぐに、あの擦る音がかすかに聞こえてくる。
私はもう一度、深呼吸をしてから立ち上がった。空を見上げると、陽射しがじりじりと照りつけている。だけど、風は少しだけ涼しくて、心地よかった。
気を引き締め直して、自分の持ち場である煙突の縁にしゃがみ込む。そして、慎重に足を滑り込ませて、再び暗く狭い煙突の中へと体を沈めていった。
もうひと頑張り。がんばれ、私。
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