23.煙突掃除(4)
二度目の煙突掃除が始まった。オルガは煙突に近づき、中を覗き込む。少しして、表情が曇った。
「どうしたんですか?」
「……どうやら、ここの家主は最近まで火を使ってたらしい。中がまだ温かい」
「えっ、それって危なくないですか?」
「ああ、危ない。でも、こういうのはよくあることだ。よほどのことがない限り、やらないってわけにはいかない」
狭くて息苦しいだけでもつらいのに、中が温かいなんて。煙突掃除は想像以上に過酷な仕事だ。
「こっちの煙突は俺がやるよ。ルアは向こうの方を頼む」
「でも、それじゃオルガ先輩が……」
「俺は先輩だからな。後輩にキツい方を押し付けるわけにはいかないだろ?」
そう言って、オルガ先輩は少し得意げに胸を張った。その姿がなんだか頼もしくて、ちょっと憧れてしまう。
「念のため、そっちの煙突も確認しとくか」
そう言って、オルガ先輩は隣の煙突にも顔を近づけて中を探る。そして、ゆっくりと顔を引き戻した。
「……こっちも、数時間前に使った形跡があるな。両方とも、しっかり温まってる」
「じゃあ、どっちにしても暑いんですね……」
「まぁ、こんなの珍しくないんだけどな。でも……ルアにいきなりはキツすぎたかもな」
申し訳なさそうに呟くオルガ先輩。その目には、明らかに私を気遣う色が浮かんでいた。
でも、こんな仕事が日常茶飯事なら、早いうちに慣れておいた方がいい。いつまでも守られてばかりじゃ、何もできるようにならない。
「……大丈夫です、オルガ先輩。私、やってみます」
「無理はするなよ? けっこうキツい作業になると思うけど……」
「はい。でも、だからこそ、今のうちに経験しておきたいんです」
その言葉に、オルガ先輩はしばし黙った後、ゆっくりと頷いた。
「……そうか。わかった。じゃあ、頼んだぞ、ルア」
「はい!」
こうして、温もりの残る煙突内での掃除が始まろうとしていた。
それぞれ掃除道具の準備を整え、いざ煙突に入ろうとしたその時。オルガが何かに気づいたように声をかけてきた。
「そうだ。中はかなり暑くなるから、休憩はしっかり取るんだぞ。頭がクラクラしてきたら、すぐに外に出るんだ」
「はい、気をつけます。暑い中の作業だと、体力もどんどん奪われますし……」
「それと、水筒は持ってるか? 水分を取らないと、本当に危ないからな」
「……あ、持ってませんでした」
私が申し訳なさそうに答えると、オルガ先輩は少し眉を寄せたあと、すぐに表情を和らげた。
「そっか……悪い、ちゃんと装備を確認しておかなかった俺のミスだ。今日はこれを使ってくれ」
そう言って、腰から外した水筒を煙突の縁に置いてくれる。
「ありがとうございます」
「無理はするなよ。ちゃんと飲んで、様子を見ながらやるんだ。今日はそれで凌ごう」
「はい!」
オルガ先輩の気遣いが、胸に染みた。こういうところが、みんなから信頼されてる理由なんだと思う。
「よし、じゃあ作業開始だ!」
「はいっ!」
気合を入れて返事をすると、私は手と膝をついて、ゆっくりと煙突の中に潜り込んでいった。
煙突の入口付近は、まだ比較的涼しかった。とはいえ、じんわりとした熱は感じる。それでも、今のところは我慢できる程度だ。
前回と同じように、ブラシで内壁をこすって煤を落としていく。四方を丁寧に磨き終えると、ロープの長さを調節して、少しずつ下へと降りていく。そしてまた、周囲の壁を一面ずつ丁寧に磨いていく。
その作業を何度か繰り返すうちに――空気の様子が明らかに変わってきた。
熱だ。
ぐっと体にまとわりつくような熱気が、じわじわと迫ってくる。急にむわっとした空気が周囲を包み、息をするのが急に苦しくなった。暑さだけじゃない。狭さによる息苦しさと相まって、肺が重く感じる。
額に汗が滲む。いや、それだけでは済まない。首筋、背中、手のひら――じわじわと体中から汗が滲み出し、肌にまとわりつく。ほんの少し動いただけでも、体力がごっそりと奪われていくような感覚だ。
それでも、私はブラシを動かす。動かさなければ終わらない。終わらなければ、外に出られない。
熱い。苦しい。けれど、止まるわけにはいかない。
次第に、腕が重くなってきた。ブラシを動かすたびに、筋肉がじわじわと悲鳴を上げる。さっきまで軽かったはずのブラシが、まるで鉛のようだ。手のひらは擦れて少しヒリつくし、汗で濡れた服が肌に貼りついて動きにくい。
上からはほとんど風が届かず、煙突の中は熱がこもるばかり。まるで湯気の中に閉じ込められたような感覚だった。息を吸っても、吸い込む空気がすでに生ぬるくて、肺の中まで熱くなりそうだ。
「……はぁっ、はぁっ……」
思わず、口から荒い息が漏れる。できるだけ静かに、落ち着いて呼吸しようとするけれど、それも難しくなってきた。狭い空間の中では動きにくく、身をひねるだけで骨が壁にぶつかる。
それでも、下に進まなければならない。仕事を終わらせるには、全体をきれいにしなければいけない。どこかで手を抜いたら、火事になるかもしれない。そう聞かされていた。
「……まだ、いける。大丈夫……」
小さく自分に言い聞かせるように呟き、再びブラシを動かす。手の動きは鈍い。でも、止まらない。止まれない。
顔を上げると汗が目に入り、視界もぼやける。どれだけ磨いても終わりが見えない感覚が、焦りと不安を呼び起こす。
だけど――こんなことで、負けたくない。
「オルガ先輩だって、いつもこれをやってるんだ。私だって、やれるはず……」
歯を食いしばって、再びブラシを握り直す。焦ってはいけない。一つひとつ、確実に。丁寧に。そして、着実に進んでいく。
その時――。
ゴン、と上から何かを叩く音が聞こえた。びくっとして顔を上げる。
「ルア、大丈夫か?」
オルガの声。上の方から、心配そうに呼びかけてくれている。私は深く息を吸い、喉の奥が焼けるような熱さを堪えながら、答えた。
「……だいじょうぶ、です! あと少しで、ひと区切りです……!」
声が震えていたかもしれない。でも、それでも伝えたかった。私は、やれる。任された仕事を、ちゃんとやり遂げたい。
「いや、ダメだ。まだ、余裕だろうけれど上がってこい。一緒に休憩するぞ。先輩の言う事は、絶対だからな」
悔しい。そう思ったのが、正直な気持ちだった。
まだ、やれる。まだ、ブラシを動かす余力はある。なのに――ここで中断するなんて。
けれど、オルガの声にはいつもの軽さとは違う、はっきりとした厳しさがあった。先輩の言うことは絶対だからな。そう言われたら、反論はできない。
それにオルガは、私の様子をちゃんと見てくれていたのだ。
「……はい。わかりました。今、上がります」
少しだけ歯を食いしばって答える。声の奥に、にじむような悔しさが自分でも分かった。でも、それを責めるような気配は、上からは返ってこなかった。
お読みいただきありがとうございます!
面白い!続きが気になる!応援したい!と少しでも思われましたら
ブックマークと評価★★★★★をぜひよろしくお願いします!
読者さまのその反応が作者の糧になって、執筆&更新意欲に繋がります!




