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スラムの転生孤児は謙虚堅実に成り上がる〜チートなしの努力だけで掴んだ、人生逆転劇〜  作者: 鳥助
第一章 スラムの孤児

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22.煙突掃除(3)

 暗く、狭く、湿った煙突の中。重たい空気の中で、小さな体を必死に動かしていた。手にしたブラシで内壁を擦る。こびりついた煤はなかなか剥がれず、少し力を抜けば落ちないし、力を込めすぎれば腕がすぐに悲鳴を上げる。


 煤はしつこい。押し固められた時間の塊みたいに張りついている。それを剥がすには、ただ力任せに擦るだけじゃ駄目。腕の使い方、手首の角度、擦る回数――すべてが試される。


 煙突の中は真っ暗で、どれだけ煤が落ちたのかも分からない。手の感触と、過去のわずかな経験を頼りに、勘で進むしかない。目に見えない汚れと、目に見えない成果。焦りが喉の奥に絡みついてくる。


 作業を続けていると、じわじわと疲労が全身に染み込んでくる。肩が重くなり、腕が鈍くなる。けれど、息を荒げるわけにはいかない。煙突の中で大きく息を吸えば、肺いっぱいに煤が入ってしまう。


 だから、呼吸も慎重に。小さく、静かに、浅く――苦しいけれど、我慢するしかない。


 体を酷使しているのに、気を抜けばすぐに危険が忍び寄る。力加減、姿勢、呼吸のリズム。気を配ることが多すぎて、体よりも先に頭が疲れていく。


 けれど、止まるわけにはいかない。仕事が遅れればそれだけ周りに迷惑をかけてしまう。スラムの自分がようやく手に入れた新しい仕事を手放したくはなかった。


 夢中で内壁を擦っている時、煙突の外から声が聞こえてきた。


「おーい、ルア! もう少しで終わりそうか? 終わりそうだったら、ブラシの固い所で二回壁を叩いてくれ」


 煙突の外から聞こえてきた少年の声に、私はハッと顔を上げた。オルガだ。どうやら、彼はもう自分の分を終えたらしい。流石だな、やっぱり慣れてる。


 私は煙突の奥を覗き込んだ。薄暗い中、かすかに外の光が見える。出口まで、あと三メートル……いや、二メートルちょっとかもしれない。


 私はすぐにブラシの柄で壁を「コン、コン」と二度叩いた。音が響くと、間髪入れずに返事が返ってくる。


「分かった! ここで待っているからな!」


 声を交わした瞬間、少し気持ちが軽くなる。狭くて暗い煙突の中、一人きりの作業は心細い。でも、オルガがちゃんと待っていてくれると思うと、不思議と心が落ち着いた。


 私は浅く呼吸をして、残りの距離に集中する。煤はしつこくへばりついていて、なかなか落ちない。でも、ここで手を抜いたら、せっかくの努力が台無しになってしまう。


 オルガが私のために待ってくれてるんだ。そう思うと、自然と手に力が入った。腕はもう重く、喉もカラカラだけど、最後までやり切らなきゃ。


「よし……もうちょっと!」


 ごしごしと音を立てながら、私は懸命に煤をこすり落とし続けた。


 ◇


 暗く狭い煙突の中を、ただ一本の縄を頼りに上っていく。手と足に力を込め、煤で滑る壁に何度も体をぶつけながら、ひたすらに登った。


 あともう少し――煙突の縁に指がかかったその瞬間、最後の力を振り絞って体を引き抜く。


「――ぷはぁっ!」


 地上の空気が肺を満たす。顔を覆っていた布を乱暴に外し、思い切り息を吸い込んだ。冷たい空気が喉を焼いたけれど、それが逆に心地よい。視界には青空が広がり、全身を包む緊張がふっとほどけていく。


「おっ、終わったか?」


 声の主は、少し離れた場所で休んでいたオルガだった。立ち上がりながら、こちらを見て笑みを浮かべる。


「はい。……お待たせしました」

「いいさ。俺も十分休めたしな。それで、どうだった? うまく出来たか?」

「最初のほうは、光が入ってたので煤が落ちているのが分かったんです。でも、下に行くほど真っ暗で……ちゃんと落ちてるのか分からなくて」


 言いながら、作業中の不安が蘇ってくる。見えない恐怖と、失敗してはいけないという焦り。初めてだったので不安だけが積もった。


「まあ、そりゃそうだよな。だがな、見えないからって気を抜いたらダメだぞ。やるべきことを、ちゃんとやったか?」

「はい。しっかりやりました」


 胸を張って答えた。下のほうでは何も見えなかったけど、見えていた時と同じ手順を繰り返した。手の感触も確かだった。煤が剥がれていく感触、壁の変化――全部、覚えている。


「なら、十分だ」


 オルガはそう言って、ぽんと頭に手を置いた。優しい手のひらの感触に、ようやく肩の力が抜けた。


「疲れているところ悪いけど、すぐに次に行くぞ。今日中にこの地区を終わらせないといけないんだ」


 そう言って、オルガはもう次の動作に移っていた。息を整える間もなく、彼は軽やかに梯子を下りていく。


「私は大丈夫です」


 私もそのあとを追って梯子を下り、道具を抱えて彼の背中を追いかける。伸ばしていた梯子を縮めて肩に担ぐと、細い路地へと歩を進めた。


「煙突掃除は順番にやっていく。作業済みの印が扉のそばに置いてあるんだ。……あれがそう」


 オルガの指差す先、古びた木製の扉の脇に、赤いコップがひとつ、ぽつんと置かれていた。


「この赤いコップはここまで終わってるっていう目印だ。だから、次は隣の家ってことになる」


 彼は慣れた手つきで赤いコップを拾い上げると、隣の家の前まで進み、静かにそれを地面に置いた。


 扉の前に立ち、軽くノックする。中から人の気配がして、やがて扉がきしむ音を立てて開いた。


「煙突掃除に来ました」


 短く説明を済ませると、またすぐに梯子を組み立て、屋根の縁に掛ける。


 私は梯子の足元を押さえながら、オルガの背を見上げた。彼は無言のまま、また屋根の上へと消えていく。


 続いて自分が梯子を上って、屋根の上に降り立つ。また、気持ちのいい風が吹き付けて、疲れを少しだけ攫って行く。


「よし、じゃあ次の煙突掃除を始めるぞ」

「はい!」


 煙突掃除はまだまだ続いていく。

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― 新着の感想 ―
ガルドはともかく、トレビは底辺の生活を知ってる気がするなぁ。だから搾取しつつ手厚い気がする。 何にしても取っ掛かりを得た今突き進むしかないんだけどね。 身体に気を付けつつ頑張れ!
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