2.スラムの子供
記憶にある道を辿り、向かった先――そこがスラムだ。
スラムの空気は既に重苦しかった。濁った空気が漂い、乾いた土と腐った残飯の臭いが鼻を突く。道と呼べるほどの整った道は無く、泥と石ころの混じった細い通りが、迷路のように入り組んでいる。
崩れかけた壁、穴の空いた屋根、板を無理やり繋ぎ合わせたような住居。雨が降れば中まで濡れ、風が吹けば軋みを上げる。けれど、それでもここが家だと呼ばれていた。
そこには多様な人が住んでいた。粗末な服を着て、無気力に横たわる大人。壁と向かい合って、ブツブツと呟く女性。火の点いていない焚火に手を当てて暖を取ろうとする老婆。
明らかに普通ではない人達がそこで暮していた。それは、自分もそうだ。この中で暮し、なんとか命を繋いでいる。
行き場のない人が最後に辿り着く墓場のようなところだった。どうやって、ここで暮していたのか、段々と記憶が鮮明になっていく。
スラムの中を歩き、自分の定位置に辿り着いた。そこは板を適当に配置して屋根を作り、今にも崩れ落ちそうな細い枝で支えられている場所。下には申し訳程度の草が敷かれている。
これが、私の家だ。その家に入り、体育座りをして落ち着いた。すると、急激にお腹が空いてきた。きっと、あのゴミ箱から食べる物を見つけられなかったのだろう。
少しでもお腹を満たさないと、寝れなさそうだ。仕方なく家から出ると、近場の井戸へと向かった。
しばらく歩くと、井戸が見えてきた。それと同時に井戸に集まるスラムの子供が見えてくる。どうやら、みんな考えることは同じらしい。水で腹を膨らませて、一時的に空腹に耐えることを考えている。
その集団に近づき、自分の番を待つ。その時、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、そこには記憶に覚えのある子供の顔があった。
「よっ、ルア」
「ドラン……」
「相変わらずしけた顔しているな。そんなんじゃ、辛いだけだぞ」
私の事を気にかけてくれるスラムの子供、ドランだ。
「今日はどうだった?」
「多分、全然ダメだった。お腹に何も溜まってない」
「そうか、それは災難だったな。俺も全然食べる物が見つからなくて大変だった」
そうか、今日はお互いにダメな日だったのか。ゴミ箱から食べられる物を探すのは困難で、見つからない日はざらにある。
そんなことを話している間に他の子供たちは水を飲み、この場を離れていった。その時、ドランが辺りをキョロキョロと見渡した。何かを警戒しているようだけど……どうしたんだろう?
そんなドランを見ていると、ドランは服の下に手を伸ばした。すると、そこから何かを取り出す。出てきたのは半分に欠けたリンゴだ。
「えっ!?」
「しっ……周りにばれる」
ドランの言葉に私は口を塞いで、何度も頷いた。そんな大事なものをこんなところで出して、どうしたんだろう? そう思っていると、ドランがそのリンゴを一噛みする。
なんだろう、見せびらかしたかっただけ? そう思っていると、そのリンゴを差し出された。
「えっ……」
「ほら、周りにばれる前に受け取れ」
「う、うん……」
慌ててそのリンゴを受け取って、服の下に隠した。
「こんな大事なもの、どうして?」
「ほら、この間に俺が腹が減って動けないっていう時にわざわざ食べる物を見つけて持ってきてくれただろう? そのお礼だ」
……そういえば、そんなことがあった。空腹で動けないドランを見かねて、なんとか食べる物を調達したんだった。まさか、その時のお礼をされるとは思わなかった。
「それに今日はそこそこ食べるものが見つかったんだ。だから、実はそんなに空腹じゃない」
「じゃあ、どうして井戸に?」
「だって、そうでもしないと周りの奴らに目をつけられるだろう? そこそこ食べる物を見つけた俺の後に着いてきて、横取りを考える奴も出始めるし」
そっか、今日のドランは食べる物を見つけられたのか。食べ物を見つけるのが上手いと、他の人に目を付けられるのは納得だ。それだけ、ここの人は飢えている。
「だから、遠慮なく食え」
「……ありがとう、大切に食べるね。今度、ドランが食べる物を見つけられなかったら言って。私が見つけてくるから」
「へへっ、それだと食べ物を渡すのが続いちゃうじゃねぇか」
そう言って、二人で笑い合った。こうして、笑い合える人がいて良かった。一人だと心細くなっていたところだ。
この日の恩は忘れない。いつか、また返せる時が来たら……その時は――。




