104.楽しい食事
「これで、午前中の授業は終わりだ。明日からは午後の授業も始まる。体調管理と心構えを、今のうちからしっかりしておくように」
ハルベルト先生がそう締めくくると、張りつめていた教室の空気が、ふっと和らいだ。
「この後は昼食の時間だ。よく食べることも大事だが、せっかくだ。席の近い者だけで固まらず、あまり話さない相手とも言葉を交わしてみなさい」
そこで一度、教室全体を見渡してから、少しだけ声音を柔らかくする。
「良い友人は、意外なところで見つかるものだ。相手を気遣い、思いやりを持って接すること。それが、これから長く共に学ぶ上で、何よりの財産になる。では、昼休みを有意義に使うように」
そう言って、必要な物を手にしたハルベルト先生は教室を後にした。その背中が見えなくなると同時に、抑えられていたざわめきが一気に戻り、教室は再び賑やかな空気に包まれた。
私は教材をまとめると、鞄に入れる。周りの生徒に軽く声をかけてから、真っ先に前の席に座っているリディア様の傍に近寄った。それだけで、教室のざわめきが一段と強くなる。
「リディア様、一緒にお食事を取りませんか?」
「えっ……? 本当に、いいの?」
「もちろんです。私はリディア様とご一緒に食事をして、楽しくおしゃべりがしたいんです」
「……私も」
そう答えて、リディア様は小さく頷いた。その声は控えめで、けれど確かな意思を帯びていた。
以前と同じ距離感には、もう戻れないかもしれない。それでも、ここから新しい交流を築いていきたい。少しずつでも、リディア様を取り巻く空気を変えていけたらいい。
私がリディア様の傍にいるだけで、周囲の視線は変わる。
それがきっかけになって、リディア様が避けられる存在ではなくなればいい。あわよくば、自然と声を掛けてくれる人が増えてくれたなら、それ以上は望まない。
そんな思惑を胸に秘めながら、私は堂々とリディア様の隣に立つ。私の振る舞い一つで、彼女のこれからは良くも悪くも変わってしまう。だからこそ、迷いは見せない。
クラス中が注目するなか、私は堂々とリディア様の隣に立って歩く。そうやって教室を出ると、廊下を歩き、食堂へと向かう。
食堂の扉をくぐった瞬間、ふわりと温かな空気が頬を撫でた。
鼻先をくすぐるのは、焼き立てのパンと香草の香り。高い天井には柔らかな光を落とす魔導灯が並び、白い柱と落ち着いた色合いの壁が、どこか貴族の館を思わせる上品な空間を形作っている。
長いテーブルと椅子が整然と配置されているものの、まだ昼食の時間が始まったばかりなのか、席はまばらだ。談笑しながら食事を始めている生徒もいれば、壁際で静かに食事を取っている姿もある。
「……広いですね」
リディア様が、少し緊張したように小声で呟く。私は頷きつつ、周囲を見渡した。さて、どうするべきだろう。
入口付近で立ち止まっていると、そこに控えていた食堂のスタッフが、穏やかな表情で声をかけてきた。
「どうされましたか?」
「あ、新入生なんですけど……どうすればいいのかわからなくて」
「そうでしたか」
事情を察したように微笑むと、スタッフは奥を指し示す。
「でしたら、あちらの列にお並びください。食事を受け取った後は、お好きな席に座っていただいて構いませんよ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて礼を言い、私はリディア様と並んで示された列へ向かった。前には数人の生徒がいて、皆どこか落ち着かない様子で順番を待っている。
しばらくして、私たちの番が来た。
カウンター越しに差し出されたお盆の上には、湯気の立つスープ、香ばしいパン、彩りの良い副菜がきれいに並んでいる。思わずお腹が鳴りそうになるのを堪えつつ、二人でお盆を受け取った。
「……美味しそう」
リディア様の表情が、ほんの少しだけ和らぐ。その変化が嬉しくて、私は小さく微笑んだ。
「じゃあ、席を探しましょうか」
周囲を見渡し、人の少ない窓際の席を見つける。私たちは並んで腰を下ろし、静かにお盆を置いた。食堂のざわめきが、先ほどよりも少し近くに感じられる。
食事の挨拶をすると、声が重なった。それだけで、少し楽しい気持ちになる。それから、カトラリーを使って行儀よく食事を進めた。
すると、視線を感じた。顔を上げてみると、前髪で隠れてはいるが、その奥からリディア様の視線を感じる。
「どうしました?」
「えっと……凄く所作が綺麗だなっと思って。その……前とは違う感じがして驚いて」
「沢山練習しましたから。リディア様の隣にいたいと思って、恥ずかしくない友人になろうと思ったんです」
「……嬉しい」
下級院に通ってもしかしたらリディア様と一緒になれるかもしれない、と聞かされて以来、私は猛特訓をした。
勉強も所作も礼儀も、徹底的にエレノアに叩き込んでもらった。お陰でエレノアから絶賛されるほどに貴族としての礼儀は習得したと思う。
「でも、前のルアも良かった。可愛らしい感じで、親しみやすかったわ」
「じゃあ、もし二人だけで食事をする機会がありましたら、以前のように食事を取りますか?」
「えぇ。向かい合わせに食べるのもいいし、隣同士でもいいし、迷ってしわうわ」
あの小さな家で体験したことは楽しい思いでばかり。あの時と同じ気持ちを味わいたいのは私も一緒だ。今は人の目があるから、ちゃんと所作を整えるけれど、もっと砕けた感じで一緒に食事を取ってみたい。
「ルアと離れてからね、ルアが作ってくれた食事が恋しくなったの。質素な食事だったけれど、私にとって凄いごちそうだったんだなって思ったわ」
「私の食事がですか? そんな、ここの料理にも劣るのに……」
「どうしてかしらね。もしかして、何か隠し味を入れた?」
「隠し味……。そんなものはいれてませんが……」
本当に簡単なものしか作っていなかったのに、それがごちそうだなんて。一体、何が良かったのか考えるが、全然思い浮かばない。
「ふふっ、なんとなく私は分かるわ」
「えっ? それは?」
「秘密」
「リディア様ー……」
そこまで言っておいて、秘密とはとてももどかしい。思わずジト目で見つめると、リディア様は肩を揺らして笑った。
食事をしながらの楽しい時間。あの時間が戻ってきたようで、心が弾む。こんな時間をリディア様とまた過ごしてみたかった。
それから二人で楽しい食事の時間を堪能した。




