表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スラムの転生孤児は謙虚堅実に成り上がる〜チートなしの努力だけで掴んだ、人生逆転劇〜  作者: 鳥助
第三章 王女の側近

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

101/103

101.孤独な王女

 教室の前方に一人の男性教師が立つ。年配というほどではないが、白髪が混じった落ち着いた風貌。背筋はまっすぐで、声も低く通る。


「では、改めて。下級院へようこそ」


 教師は、淡々とした口調で挨拶を始めた。


「私は担当教官のハルベルトだ。今日から三年間、諸君らの基礎教育を受け持つ」


 何事もなかったかのように進む始業の言葉。生徒たちは前を向き、黙って話を聞いている。


 けれど、誰もが分かっていた。この教室で起きたことは、決してなかったことではない。


「下級院では、身分や家柄に関係なく、能力と努力が評価される」


 その言葉に、わずかに空気が揺れた。能力。努力。さっき、教室で行われたのは、その真逆だった。


「無用な争いは慎め。ここは学びの場だ」


 教師の声は厳しいが、どこか形式的でもあった。注意喚起はしている。きっと、さっきのことを見ていないから、そういうことが言えるのだ。


 私は、視線だけを動かして、前方の席を見る。リディア様は、背筋を伸ばして座っていた。顔色はまだ少し青い。けれど、泣いてはいない。視線はまっすぐ、先生に向けられている。


 誰とも目を合わせないように。その姿を見て、胸の奥で何かが噛み合った。


 遠ざけていた理由が分かった。リディア様は、冷たいからでも、高慢だからでもない。巻き込みたくなかったのだ。


 自分に関わったせいで、誰かが傷つく。さっきのように、無力のまま叩き伏せられる。


 だから、近づかせない。優しくするなと、突き放す。自分が耐えればいい、と。


 それなら、あの拒絶の言葉も、悲しそうな顔も、全部辻褄が合う。


「次に、授業の進め方について説明する」


 教師の声が続く。私は話を聞いているふりをしながら、ゆっくりと考えをまとめた。


 リディア様は、逃げていない。でも、戦ってもいない。ただ、一人で抱え込んでいる。しかも、それを当然だと思い込んで。


 きっと、このままで良いと思っているに違いない。誰とも交流をせず、ただ一人でいることを望んでいる。その方が、周りに迷惑がかからないと思っているようだ。


 ……それは、間違っている。


 一人で耐えることが、正しいわけじゃない。誰にも頼らず、誰も巻き込まず、ただ傷つき続けることが覚悟だなんて、そんな理屈は認められない。


 確かに、シグルドは危険だ。力も、立場も、悪意も持っている。正面から立ち向かえば、こちらが潰される可能性の方が高い。


 でも、だからといって、見て見ぬふりをしていい理由にはならない。


 私は、前方の小さな背中を見つめた。背筋を伸ばし、何事もなかったかのように先生の話を聞くリディア様の姿。その内側に、どれほどの恐怖と諦めを押し込めているのか。


 王女だから? 立場があるから? 違う。


 あの人は、ただ優しいだけだ。自分が傷つくことで、他人が無事でいられるなら、それでいいと思ってしまうほどに。……そんなやり方、長くはもたない。


 私は決めた。リディア様が、たった一人で耐える日常を壊す。


「では、少し時間を取ろう。クラスメイトと自由な価値観で話し合うように」


 先生がそういうと、クラス中が少しずつざわめきを取り戻した。隣同士で話し合う人がいる中、私は自分の席を立った。真っすぐにリディアの下に向かうと、クラスメイトの視線が集まった。


「リディア様」


 私が名を呼ぶと、彼女は小さく息を呑んだ。


「……えっ?」


 本当に予想外だったのだろう。目を瞬かせたまま、固まっている。その様子に、私は内心で小さく微笑んだ。だからこそ、今ここに来たのだ。


 軽くスカートの端をつまみ、貴族子女としての礼を取る。


「初めまして。ルア・エルヴァーンと申します」


 本当は初めましてじゃない。だけど、あのことは秘密だから、ここでは言えない。すると一瞬だけ、教室のざわめきが遠のいた気がした。


「先ほどは……声をおかけできず、申し訳ありませんでした。場の空気を見誤ってしまって」


 言葉を選び、柔らかく告げる。責めるでもなく、言い訳でもなく、ただ事実として。


「ですが、せっかく同じクラスになれたのですもの。ぜひ、これからお話しできればと思いまして」


 そう言って、少しだけ表情を和らげる。


「よろしければ……仲良くしていただけませんか?」


 リディア様は、しばらく何も言えなかった。


 唇がわずかに開き、閉じて、また開く。目元は相変わらず髪の毛で隠れているから分からないが、指先は机の縁をきゅっと掴んでいる。声を出そうとしているのは分かるのに、音にならない。


「な、なんで……」


 か細い息だけが漏れ、言葉は続かなかった。戸惑いと驚きと、どう受け取ればいいのか分からない気持ちが、その表情にありありと浮かんでいる。


 大丈夫。私は急かさず、ただ彼女の前で静かに待った。今は、それでいい。


 しばらくの沈黙のあと、リディア様は震えるように息を吸った。


「……どうして?」


 ようやく紡がれた声は、とても小さかった。


「さっき……あんなことがあったのに……。私に、話しかけたら……」


 言葉の端が、かすれている。視線は上がらないまま、けれど拒絶ではなく、困惑と怯えが滲んでいた。


「……あなたまで、目をつけられるわ」


 私は、その言葉にゆっくりと首を横に振った。


「ええ。だからです」

「……え?」


 リディア様が、わずかに顔を上げる。


「自分が我慢すれば、周りが無事でいられる。そう思っている優しさを見て。私は、この方と仲良くなりたい、そう思ったのです」


 リディア様の指先が、びくりと揺れる。


「……そんなの」


 か細い声で、否定するように呟いた。


「そんなことをしたら……あなたも、ひどい目にあうわ。私と関わったら……」


 その声には、恐怖だけじゃない。これ以上、誰かを巻き込みたくないという必死さがあった。


 私は、その言葉を遮らずに聞き終えてから、微笑んだ。


「望むところです」

「……っ!」


 その言葉にリディア様は息を吞み、周りが一層ざわついた。


「それでリディア様が、一人で耐えなくて済むのなら。誰かと話し、笑い、傷ついたら支え合えるのなら……そのくらいの覚悟は、最初から持っています」


 教室のざわめきが、遠くで波のように揺れている。けれど、この一角だけは、妙に静かだった。


「私は、危険を承知でここに立っています。だから――」


 視線を、まっすぐにリディア様へ向ける。


「仲良くしてくださいますか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ