聖女
一学期最後の日。
私は、帰宅途中で突然、金色の光に包まれた。
気がついたら、全く知らない場所だった。
歴史の時間に見た西洋の貴族たちのような豪華な服を着た、人間サイズの二足歩行の蛙たちが、私を取り囲んでいた。
ぼってりとした腹を揺らし、一匹の蛙が飛び込んできたかと思うと、私の手をつかみ、叫び声を上げた。
「グォオオオエエエエー!! ボゥオオオエエエエ!!」
声まで蛙だ。
昔、田舎の祖父母の家に泊まると、夜に田んぼから聞こえてきた声。あれにそっくりだった。
蛙は嫌いじゃない。けど、限度はある。ぶっちゃけ、嫌いじゃないことは、イコール好き、にはならない。
それにただの蛙じゃない。蛙人間だ。化け物だろう、こんなの。
私はこの世界に来てから、蛙たちを徹底的に避けた。
蛙たちは私に危害を加える気はないようで、拘束も強制労働もなかった。どちらかというと、おそらく世話係であろうお姫様のような、一際目立つ豪華さを放つ蛙は、私に良くしてくれようとしたんだとは感じていた。が、いかんせん、言葉が通じない。
蛙姫がどれほど善人……善蛙だろうと、私は避け続けた。
特に食事は最悪だった。
人間の体に蛙の頭。そこから食生活がどちらに寄っているか、だいたい想像できるだろう。そして、蛙は期待を裏切らなかった。
食事として出されたのは、拳サイズの巨大な蝿だった。それに、何やらとろりとした蜂蜜のようなソースがかかって、テラテラ光っていた。
無理! 絶対に無理でござんす!!
私は食事を断固拒否した。こうなると、水も飲めない。空腹よりそっちの方が辛かった。
すると、どうだろう。
蛙姫が紙とペンを持ってきた。言葉が通じないから、絵で会話することになった。幸い、蛙の世界にも〇✕の概念があって、虫は食べないことを理解してもらうことが出来た。
蛙姫は性格がとてもいい子で、その上頭も良かった。
私が水さえ怖がって飲めないことを理解すると、わざわざ井戸や、厨房まで連れていき、水や食事が安全なことを伝えてくれた。じゃなかったら私、飢えて死んでいたかもしれない。マジで。
蛙姫となんとなく意思疎通ができるようになると、突然ローブを被った蛙たちに拉致された。
何かを必死に教えようとするのだが、ごめん、その前に言葉がわかんないんだわ。
蛙の言葉は全く分からない。
蛙姫の言葉は、いつも「ケロケロ」としか聞こえないし、ローブを被った蛙たちは、「ケロケロ」もいれば、「グワッグワッ」もいるし、「ボェエー」もいる。その様々な鳴き声で、右から左から、何やら必死に伝えようとするのだけど。
分かるかー!!!
古い本を差し出され、必死に指をさされてその文字を追うけど、一文字たりとも読めない。日本語でも英語でもないんだもん。無理。
私には、丸と線が並んでいるだけの文字。つうか、模様。
まあ、それでも何かをさせたい気持ちは伝わるし、とりあえず真似てみた。
「ケロケロ」
わぁ!と抱き合って喜ぶ蛙たち。
嘘。こんなレベルでいいの?
とりあえず、「ケロケロ」と「グワッグワッ」と「ボェエー」を真似る。それを忘れないようにメモしておく。
これでミッションはクリアしたみたい。
私は少しだけ自由な時間が与えられるようになった。
蛙姫があちこち案内してくれて、ここがそれなりの規模の城だということも分かった。
案内してくれた場所に、図書館もあった。どうしてこんな場所に?と思ったら、なんのことはない。
私がそこにこもっている間に、蛙姫は恋人と逢い引きしていたのだ。
お相手は、偉そうな蛙。私がこの世界に呼び出された時、その場にいた蛙だ。
蛙姫が頭を下げるくらいだから、もっと上の位。王子の中でも世継ぎとかそういうの類の王子なんだろう。
偉そうで、私は嫌いだけどね!
蛙姫、趣味悪い。
あいつ、私のことを馬鹿にしきっている。言葉も通じないアホとか、そんな感じ。目がね、そう言ってる。
常に私を見下して嫌な奴。
だから、私はあいつが部屋に来ると、すぐに図書館に向かう。しばらく籠っていると、ローブの蛙たちが迎えに来て、「ケロケロ」の練習。それが終わったらまた図書館。
本は全く読めないけど、他に居場所がないもん。
と、思っていたら、思わぬ幸運を引き当てた。
図書館の奥。たまたま見つけたそれ。
古そうなノートが突っ込んであるなぁ、と書棚から引っこ抜いてペラペラめくったら、なんと日本語がそこに書かれていた。
で、そこには私がこの世界に連れてこられた理由が書かれていた。
つまり、あれよ。
この国が滅びる前に、異世界から呼んだ少女に魔物だかなんだかを、頑張って封印してもらうって話。
ふーざーけーんーなーー!!!
要するに、今、私が必死に覚えさせられている「ケロケロボェエー」は、封印の呪文ってことか。
知るか、そんなもん。なんで無関係な私が、突然攫われて、そんなことせにゃならんの。
私は他のノートも調べてみた。どうやら、何人か前の少女は、真面目に蛙たちとコミニュケーションを取ろうとしたらしい。ただ、その子の残した文字は日本語じゃない。英語でもない。
めくっていくと、文字が途中で変わっている。英語はかろうじて読めるけど、頑張って読もうとしなくても、後から来た少女たちが、自分の読める言語を英語に書き起こしたり、それを日本語に直したりしている。全部読まなくても、いちばん新しいノートを読めば、全ての情報が理解できそうだ。
私と同じように、突然連れ去られた少女たちが、こんなにも沢山いる。彼女たちは無事に帰れたのだろうか?
私はノートの研究に没頭した。私の前にやってきた子は日本語でもない、英語でもない文字を残している。辞書がないから、解読はできない。私に残されたのは、最新ではない日本語のノートだけだ。
けど、どうやら、私が毎日蛙たちから手渡される本は、この国の大事な魔法書らしい。そして、その中には異世界への扉を開く魔法陣があるらしい。
っつぅても、文字が読めないから、たとえ手渡された時にペラペラめくったってら探しようがないわ。詰んだ。
私は儀式とやらの説明を全く受けていないから、どういう手順があるのかわからない。
これは推測の範囲なのだけど、この世界には魔法があって、儀式には魔法を使う。でも、私に魔法は使えない。じゃあ、なぜ、蛙たちは私に必死に呪文を教えるのか。きっと、私が呪文を唱えることに意味がある。その呪文が発動するエネルギーは……私か?私の命なのか?
やばいじゃん! 家に帰れないどころか、死ぬわ。
とんでもない事に気づいちゃったわ。どどどどどうしよう!
命がかかっていることに気づいた私は、必死に考えた。多分、一生分の頭脳を使って考えた。
で、私はあることに気づいた。
やっぱ、蛙より人間の方が賢いのかもしれん。
気づいちゃった私は、儀式の日に備えて、隠れてアレコレ準備した。
まずは1つ目。
蛙は概念でしゃべってる。
蛙姫と王子がイチャイチャしているのを見て気づいたんだけど、「ケロケロ」と「ボェエー」で会話が成立するのよ。「ケロケロ」が言葉として意味をなすのなら、「ボェエー」とは会話が成立しないはず。人間で言うところの、日本語と英語の会話になるから。
でも蛙姫と王子のイチャコラは成立している。つうことは、聞こえている音以外の何がしかの要素があって、会話が成り立っている。ちなみに、その要素については全く分からない。分かってりゃ、苦労しないわ。
おそらく、蛙たちはそれが分かっていない。だから私に「ケロケロ」「グワッ」「ボェエー」を叩き込もうと必死だ。けど、言葉が概念としてしか存在しないのであれば、音を真似ることはさほど重要じゃないのかもしれない。なんなら、私が日本語で唱えてもいいってわけ。多分ね。
2つ目。
この世界の蛙は、思ったほど賢くはない。
歴代の少女たちが書き記したノートを、処分もせずに大事に保管しているのは、人がいいと言うより馬……賢くない。
蛙が賢くないのであれば、異世界への扉を開く魔法陣は、分かりやすく残されている。
それはどこか?――私が来たところだよ。
ってことで、私はこっそり、私を呼び出す儀式をした塔に登った。そしたら、まんまと残ってたわ。床の上にしっかりと、魔法陣が。
私は床に描かれた魔法陣をそのままそっくり紙に書き写した。
書いただけでは、何も起こらない。やはり、魔法陣の発動には魔法が必要なんだ。
で、やってきたのが、儀式の日。赤い月が空に浮かんでいた。
蛙姫が張り切って着飾ってくれた。こういうことをすると、バレるよね。生贄にしますって感じで。
いい子なんだけどなぁ……。
私は神輿に担がれて、城の外に出た。連れていかれたのは、庭の一番奥。石畳で整えられた像の前だった。
なんだこりゃ。
よく分からないけど、先手必勝。
私は蛙たちが仕掛けてくる前に、ローブを被った蛙たちの額に、魔法陣を描いた紙を貼り付けて回った。
これが正しいかなんて分からない。
だけど、歴代の少女たちの努力の集大成だ。
「王国の守護者清浄の女神の名において命じる。異世界への扉を開き、聖女を元の世界に送還せよ!」
私は、少女たちが必死に解読した呪文を唱える。ローブの蛙たちは抵抗することなく、棒立ちだ。五つの魔法陣が発光し、大きなひとつの光になって、私を包んだ。
私は繰り返し呪文を唱えた。
帰るんだよ! 日本に!!
一瞬、身体がふわりと浮いた。まるで、蛙の世界に攫われてきた時のように。
そして――気がついたら、私は駅にいた。
ちょうど改札口を出たところ。
なんとなく、周囲の注目を浴びている気がする。と思ったら、そりゃそうだ。私は今、蛙姫が着飾ってくれたドレス姿だった。なんの仮装パーティだよッ!
12時の門限を守るために走ったシンデレラのように、私はドレスの裾を持ち上げて、家まで走った。
夏の日差しは焼けるほど暑く、すぐに汗だくだ。
帰宅したら、家にいた母に抱きつかれ、泣かれた。
知らない間に夏休みは半分終わっていて、私は行方不明扱いになっていた。
蛙に誘拐されて異世界に飛ばされた、と素直に答えたら、心配されて布団に寝かされた。
母が連絡したのだろう。しばらくして、仕事中のはずの父も帰ってきて、私を見て泣き崩れた。
警察も来た。事情聴取というのか、誘拐について話を聞かれた。
蛙の話をする場面ではなかろうと、「よく分からない」で通した。それでいいのか。知らんけど。
それから、本来の高三の夏休みらしく、夏期講習に通った。
蛙の国の図書館で一生分の頭脳を使い果たした私は、これといった手応えもないまま、夏休みを終えた。
両親はちょっぴり過保護になり、私は行動の自由が少しだけ減った。
あ、一つだけ、怒っていることがある。
攫われた時、私は学校の制服を来ていた。でも、戻って来る時に来ていたのはドレス。
お陰で、私は残りの高校生活のために、再度リサイクルの制服で揃え直しせざるを得なかったのだ。
くそぅ。余計な手間をかけさせやがって。
代わりと言っちゃあなんだけど。
実は、ちゃっかり蛙の世界から、魔導書を持ってきてしまった私であるぞ。
この魔導書がないと、さぞかしあの蛙たちは困ることだろう。何しろ、これはローブの蛙たちが大事に大事にしていた、唯一の魔導書だ。
せいぜい困るがいい。
願わくば、この先、彼等が無関係な少女を、自分たちの都合に巻き込むことがないように。
蛙姫はいい子だったけど。それ以外の蛙は、私の命をなんとも思っていなかった。
「勝手に生贄にされるのなんて、たまったもんじゃないわ」
ざまあみろ。わたしは逃げたぞ。
日間ローファンタジー(完結済)で最高4位。
日間ローファンタジー(すべて)で最高22位、いただきました。
ありがとうございます!