【第8話】穢霊の影、蠢く気配と謎の符文
「この結界の破損、自然の劣化じゃないな……」
璃蒼は、仙霊の森の調査任務として再び現地を訪れていた。
先日の戦闘の痕跡はすでに浄化されていたが、周囲に漂う霊気はまだ乱れていた。
青梗が、結界石の一つを手にして険しい表情を浮かべる。
「細工されている。符文が……異なる文字体系で書かれてる」
「仙語でもなく、天符でもない……見たことないな」
嵐真が言葉を続ける。
「少なくとも、仙苑学院の正式な符ではないな」
霄は膝をつき、地面に指を這わせた。土の中に埋もれた“何か”を感じたらしい。
「……こっちにも、変な“骨”があった。小動物じゃない、術で組み換えられた人工の骨だ」
(やばい……やばいよこれ、完全に陰謀の匂いしかしないじゃん……!)
璃蒼はうっすら震える指を音阿の毛並みに埋めて、こっそり己を落ち着けた。
「つまり、これは事故でも暴走でもない。“誰か”が、意図的に結界を壊して穢霊を誘導した……?」
青梗の目が細くなった。
「……“影仙”(えいせん)かもしれないな」
「影仙?」
璃蒼が聞き返すと、嵐真が頷く。
「千年前、正道の仙とは別に、術を我が物とする禁術者たちがいた。彼らは“影の仙”と呼ばれ、己の力を極めるために穢霊や堕術を操った」
「その一派が今も生きてると?」璃蒼の声が震える。
「確証はない。ただ……ここに残された術痕は、あまりにも“整いすぎて”いる。これは偶然の崩壊ではない」
玄曜の声が、いつになく硬い。
◇ ◇ ◇
学院に戻る道すがら、朱蓮が璃蒼の後ろから不意に声をかけた。
「怖かったか?」
璃蒼は少し考え、ふっと笑った。
「怖いよ。でも……怖いからこそ、踏み込むべきだとも思ってる」
「ふぅん?」
「すーちゃんに恥ずかしくない大人でいたいのよ。あと——」
「こういう展開、わりと嫌いじゃない。影仙とか出てくる感じ、厨二心が疼く……ふふふっ」
(あ、ヤバっ!オタクおばさん出てた!!)
「……お前、やっぱちょっと変わってんな」
朱蓮は笑いながら璃蒼の頭を軽くくしゃっと撫でた。
(ちょ、なに!? 今の距離感、ゼロ距離スキンシップじゃん!?)
「変わってて、いいけどな」
(言い方〜〜〜!破壊力〜〜〜!推しからこれ言われたら生き返るレベル〜〜〜!)
璃蒼は真っ赤な顔を隠すように、音阿の背に顔を埋めた。
「……朱蓮って、わりとズルい……」
「そうか? でも、ちゃんと見てるぜ」
ふいに、朱蓮の瞳が真剣な光を帯びた。
「お前の奥にある“強さ”も、“寂しさ”も」
(やめてぇぇぇ今それ言われたら泣くからああああ)
◇ ◇ ◇
夜。学院の静寂の中、璃蒼は自室の文机に残された一枚の紙を見ていた。
それは、森から持ち帰った不明の符文の写し。
音阿が静かに、肩に顎を乗せてくる。
「何かが、始まろうとしている」
璃蒼は、小さく呟いた。
「……私、この世界で、何ができるんだろう……」
夜の帳がゆっくりと降りる中、音阿が静かに眠る主人を見守っていた。