07.にゃあああ!!
本日1話目です。
アニスは、くるりと寝返りを打って反対側を見て、思わず大きく息を呑んだ。
そこにいたのは、白金色の髪に整った顔立ちの美青年――宿敵ハロルドだった。
目を閉じてぐっすり眠っており、見えている体は裸だ。
目の前の光景が信じられず、何度も瞬きをするが、そこにいるのは間違いなく裸のハロルドだ。
「にゃあああ!!!!」
部屋の中に、アニスの叫び声が響いた。
その声に、ハロルドが驚いたように目を開ける。
そして、その美しい瞳で、固まって動けないでいるアニスを見て、ホッとしたように息をはいた。
「……なんだ、お前か」
そして、ゆっくりと身を起こすと、色気たっぷりに片手で髪の毛を掻き上げる。
その姿を見て、アニスは安堵の息を吐いた。
状況はさっぱり分からないが、とりあえず下は履いているらしい。
そして、「ん?」と首をかしげた。
強烈な違和感を覚え、ハロルドを見上げる。
(……なんか、ハロルド大きくない?)
なんというか、まるで巨人のように大きい。
彼は男性の中でも長身の方だが、いくらなんでもこれは大きすぎやしないか。
周囲を見回すと、家具もベッドも何もかも大きい上に、部屋が講堂のように広く感じる。
(……これはどういうこと? これじゃあ、まるで……)
そして、ベッドから降りるハロルドに視線を向けて、彼女はそこに鏡があることに気が付いた。
鏡には、案外たくましいハロルドと、その後ろに小さな黒猫が映っている。
鏡の中の猫をジッと見つめると、猫もジッと自分を見つめてくる。
アニスはゴクリと喉を鳴らした。
まさか、という気持ちで右手を挙げると、鏡の中の猫も同じ側の前足を挙げた。
左手を挙げると、猫も同じ側の前足を挙げる。
(ま、まさか……)
アニスは恐る恐る自分の体に目を移した。
目に飛び込んできたのは、自分の上半身ではなく黒い毛並み――
「にゃあああああああ!!!!」
アニスの叫び声が、再び部屋にこだました。
*
アニスが、自分がどうやら猫になったらしいと気が付いてから、約20分後。
彼女は、ベッドの上にある毛布の奥深くに潜って深呼吸していた。
(お、落ち着け、わたし。焦っても何もいいことない)
外からはハロルドがクローゼットを開ける音などが聞こえてくるが、とりあえず聞こえないフリをしながら、スーハ―スーハーと呼吸を整える。
そして、ある程度気持ちが落ち着くと、頭の中で状況を整理し始めた。
(わたし、猫になってるわよね。で、ハロルドの部屋にいる)
ハロルドの態度から察するに、彼は自分のことをアニスだと思っていない気がする。
何でこんなことになったのだろうと、彼女は記憶を探り始めた。
(任務で古代迷宮跡に行って、崩落が起きて、それから隠し部屋を見つけた……気がしたんだけど、あれは現実? もしかして夢?)
昔の夢を見たせいか、夢と現実の境目が曖昧になってくる。
そして、どうしてここにいるか必死に思い出そうと頭を抱えていた、そのとき。
ベッドが、ギシリと音を立てた。
沈み込む感覚がして、ハロルドの声が聞こえてきた。
「……大丈夫か?」
その気づかわしげな声色に、アニスはもそもそと毛布の外に出た。
何となく心配させてしまってはいけないと思ったからだ。
毛布を出ると、そこには騎士服姿のハロルドが座っていた。
乱れていた髪の毛は整えられ、整った顔立ちには憂いの色を浮かべている。
彼はアニスを見ると、見たことがないようなホッとした表情をした。
目を細めて手を伸ばしてくる。
(ちょっ! なにするのよ!)
アニスが素早くその手を避けると、ハロルドが手を引っ込めた。
「お前、飼い主そっくりだな」と苦笑すると、アニスの目を見た。
「これから魔法士団本部に報告に行くんだが、一緒に来てくれないか?」
アニスは目を丸くした。
どうやら彼は魔法士団本部に行くらしい。
(良かった、本部に行ける)
そう思った瞬間、言葉が喉元まで出かかるが、出てきたのは――
「……にゃあ」
という猫の鳴き声。
どうやら、本気で「にゃあ」としかしゃべれないらしい。
その後、彼女はハロルドに水を飲ませてもらった。
小さなお皿に張られた水を猫風に飲みながら、コップで飲みたいなあ、と考える。
何か食べるかと聞かれたが、どうも食欲がわかず、目で「いらない」と訴えて断る。
そして、気が済むまで水を飲んで顔を上げると、ハロルドが大きな籠を持って来た。
中をのぞくと、柔らかそうな布が敷いてある。
「ここに入ってくれるか?」
アニスは大人しく籠の中に入った。
柔らかい布の上で丸くなりながら、ハロルドって何かイメージ違うわね、と思う。
(いつも嫌味ばっかり言ってくる性格の歪んだヤツだと思ってたけど、案外優しいところもあるのね)
いつも憎まれ口ばかり叩いている自分のことを完全に棚に上げて、そんなことを考える。
ハロルドが籠の中にちんまり入っているアニスを見て、ふっと笑った。
白いハンカチを広げると、その上にそっと被せる。
そして、「行くか」とつぶやくと、籠をゆっくりと持ち上げて部屋の外に出た。
アニスは、籠の隙間から外をながめた。
階段や廊下に騎士服姿の男性が複数いるのを見て、軽く目を見開く。
(ここってもしかして、騎士団寮?)
てっきり豪華な屋敷にでも住んでいるかと思いきや、どうやら騎士団寮に住んでいるらしい。
(何だか意外)
ハロルドは寮の建物を出た。
どうやら朝早いようで、外は朝靄に包まれている。
彼はゆっくりと王宮の中庭を横切ると、魔法士団の本部建物に向かった。
建物を警備している騎士と軽いやりとりをし、すぐに魔法師団長の雑然とした部屋に通された。
(さすがは騎士団長、ほぼ顔パスね)
アニスは、そっとソファの上に置かれた籠の中で思案に暮れた。
何が起きたか分からないが、アニスは今猫になっている。
普通に考えて、アニスの知らない魔法的な何かだろう。
(もしかすると、団長なら分かるかもしれない)
団長とは、アニスの上司にあたる魔法師団長ヘクトールのことだ。
毎日大量の仕事を押し付けてくる適当な人間だが、一応老練の魔法士だ。
もしかしてアニスが猫になっているのに気が付いて、魔法を解いてくれるかもしれない。
(頼むわよ、団長!)
祈るような気持ちで待っていると、廊下から足音がして、白髪頭の初老の男が入ってきた。
ハロルドを見ると、愛想笑いを浮かべながら深々と頭を下げる。
「この度は本当にありがとうございました」
「どうか顔を上げてください。大したことではありませんから」
アニスは苦笑いした。
いつもいい加減なヘクトールも、騎士団長様には腰が低いらしい。
そして、男性2人は向かい合ってソファに座ると、情報交換を始めた。
本日もサクサク進めて行こうと思います!