05.密着! 潜入捜査
オズワルドの実験室で1日過ごした、翌朝。
アニスは、ハロルドの肩の上に乗って寮を出た。
朝の光を浴びながら、いつも通り騎士団本部へと向かう。
しかし、あと少しで本部に到着するという段になって、
「……? アニス?」
アニスが地面にぴょんと飛び降りた。
ちょこんと座ると、不思議そうな顔をするハロルドに向かって「にゃあ」と鳴く。
ハロルドが首をかしげた。
「どうした? 行くぞ?」
アニスは、さっと左足を上げた。
「NO」の合図に、ハロルドが眉間にしわを寄せた。
「行かないのか?」
サッと右足を上げるアニス。
そして、何度かやり取りを繰り返した後、ハロルドがため息をついた。
「なるほど、どこか行きたいところがあるということだな?」
「にゃん」
満足そうに鳴きながら、アニスが右足をビシッと上げる。
ハロルドは、困ったように口角を上げた。
「まあ仕方ないか」とつぶやくと、片膝をついてしゃがんだ。
「おいで」
何だろう、とアニスがとことこ近づくと、ハロルドはポケットからリボンを取り出した。
器用に首輪に結んでくれる。
「ウィンツァー公爵家の所有物である目印だ。これがあればある程度目をつぶってもらえる。夕方までには戻るんだぞ」
アニスは感謝の目でハロルドを見上げた。
「にゃあ」と鳴くと、右足を軽く振ってその場を離れる。
そして、木の陰からハロルドの後姿を見送ると、小さく詠唱した。
「にゃーん」(隠密)
すっとアニスの気配が消え、姿が薄くなる。
彼女は自分の姿が薄くなっていることを確認すると、周囲を見回した。
人目に触れないように気を付けながら、王宮の出口の方向に走り始める。
向かうは、フェリクスのいる大学だ。
色々考えた結果、彼女はフェリクスに密着することに決めた。
アニスがいなくなることを前提としたような発言や、犯人しか知りえない情報を知っているなど、明らかに関係者だからだ。
(それに、殿下ってすぐにボロを出しそうなのよね)
フェリクスは、物腰が柔らかくて口が上手く、人を煙に巻いたり騙すのが非常に得意だ。
その反面、調子に乗ってペラペラしゃべりすぎたり、自分は誰よりも賢く上手くやれると過信していたりするせいで、ふとした拍子に墓穴を掘る。
1カ月ほど前も、ハロルドの前で、「魔法を通さない元宝物庫」という、絶対知りえない情報をペラッとしゃべっていた。
(密着していれば、絶対にどこかでボロが出るはず)
そんなことを考えながら、アニスは大学構内を走り抜けた。
隠密魔法が、かなり良い具合にかかっているらしく、誰もアニスのことを気に留めない。
彼女は、ささっと大学の校舎に入った。
階段をぴょんぴょんと上がってフェリクスの研究室の前に到着する。
そして、誰かドアを開けないかなと思いながら物陰に隠れていると、1人の白衣の男性がやってきた。
キョロキョロと周囲を見回した後、素早くドアをノックする。
「入れ」
部屋の中から、フェリクスの横柄な声がする。
アニスは、素早く扉に走り寄った。
男性と共にするりと部屋の中に入り、さっと机の下に伏せる。
まさかアニスが侵入したなど露知らず、2人は部屋の中央にあるソファに向かい合って座った。
白衣の男性が、抱えていた紙入れを開くと、分厚い紙束を差し出した。
「殿下、どうぞお納めください」
「ありがとう、助かるよ」
フェリクスが爽やかに笑いながら紙束を受け取る。
アニスは、男性をマジマジと見た。
(この人って、確か助手よね?)
そんなことを考えていると、フェリクスが立ち上がった。
机の上に置いてあった紙束を取ると、男性に投げるように渡す。
「教授からの指摘が書いてある。直して明日までに持ってきてくれ」
男性は紙束をパラパラと見て顔を引きつらせた。
「申し訳ありませんが、明日まではちょっと……」
「清書はこちらでやるのだから仕方ないだろう? ――それとも無理だと言うのかい?」
フェリクスの意味ありげな微笑を見て、男性が慌てて首を横に振った。
「い、いえ! そんなことは」
フェリクスがにっこり笑った。
「君の働きは評価しているし、教授への推薦もするつもりだ。病気の子どももいるんだ。そろそろ君も上に上がりたいだろう?」
「は、はい!」
男性が、ペコペコしながら部屋を出て行く。
アニスは合点がいった。
つまり、アニスがいなくなったから、弱みを握った人間に論文を書かせているということだろう。
(相変わらずね……)
机の下からフェリクスに軽蔑の視線を送っていると、続き部屋の扉が、ガチャリと開いた。
やたら着飾ったカトリーナが現れる。
(そういえば、身の回りの世話をさせているとか言っていたわね)
アニスがそんなことを思い出していると、カトリーナがクスクス笑った。
「あの人のこと、本当に推薦するんですか?」
「するわけないだろう。面倒だ」
「まあ、殿下は悪い人ですね」
フェリクスとカトリーナが、くすくす笑い合う。
アニスはジト目で2人を見た。
(ここまで酷い人たちとは夢にも思わなかったわ)
机の下から爽やかに微笑むフェリクスを睨みつける。
その後、フェリクスは「出掛けてくる」と言い残して研究室を出た。
階段を降りて、人気が多い中庭に行く。
すると、白衣の男性が声を掛けて来た。
挨拶をすると、心配そうに「アニス様はいかがですか」と尋ねてくる。
すると、フェリクスは見事なまでに心配そうな顔を作った。
「最善は尽くしているのですが、まだです。でも、信じています。私の愛する婚約者は、きっと帰ってきてくれると」
その様子を見て、周囲にいた人たちが
「さすがフェリクス様」
「お優しい」
などと囁き合う。
その後もフェリクスの「いい人ムーブ」は続いた。
愛想を振りまき、わざわざ人が通るのを見計らって募金箱に寄付をしたりする。
(……)
アニスは無言になった。
見ているだけで気持ち悪いし、嫌悪しか覚えない。
――そして、この日の夕方。
アニスは死んだ目をして、フェリクスの研究室の机の下に伏せていた。
ソファでは、フェリクスがくつろぎながら研究に全く関係ない娯楽小説を読んでいる。
(まさかここまで酷いとは思わなかったわ……)
今日、フェリクスがやったことといえば、カトリーナと長々とお茶をした後、大学内をぷらぷらしながら善人アピール。
戻ってきたら全く関係ない娯楽小説に読みふけり、時々声を出して笑っている。
(……この人、何しに大学に来ているのかしら)
アニスが呆れ返っていた、そのとき。
フェリクスが、ふと時計を見上げた。
少し慌てたように立ち上がると、上着を羽織って研究室から出て行く。
(こんな夕方に、一体どこに行くのかしら?)
アニスはフェリクスの後に続いた。
追いかけていくと、フェリクスは大学の図書館に入った。
カウンターの女性に愛想よく挨拶をすると、鍵をもらって奥へ進む。
そして、彼は図書室の奥の扉が並んでいる場所に到着した。
『勉強室』と書いてある。
彼は端のドアを開けると中に入った。
アニスも慌てて中に滑り込むと、カーテンの裏に潜む。
どうやらこの場所は学生が勉強するための小部屋のようで、窓際に机と椅子が置いてある。
棚を見ると、魔法史に関連する本がたくさん並べられていた。
(ようやく勉強するのかしら)
そう思っていると、フェリクスが窓を開けた。
ガタンと音を立てて椅子を引くと、外からギリギリ見えない位置に座る。
すると、外から低い声が聞こえてきた。
「<防音結界>」
アニスを含む窓一体が、防音結界に覆われて、音が一瞬で消える。
彼女は目を丸くした。
(誰がこんなことを……?)
隣の窓に飛び乗って外を見ると、外は林になっていた。
窓際にベンチが1つあり、1人の男が後ろ向きに座っている。
立派な服を着てステッキを持っており、彼を中心に防音結界が展開されていた。
アニスはすっと目を細めた。
この結界の感じから察するに、相当な魔力量の持ち主だ。
(誰かしら……?)
そのとき、フェリクスが、窓の外に目を向けずにコホンと咳払いをした。
机を何度かノックする。
それが合図だったのか、男は後ろ向きのまま一礼すると、ゆっくりと口を開いた。
「ようこそフェリクス殿下。本日も幾つかご報告がございます」