(閑話)「はい」&「いいえ」
古代迷宮から帰ってきた、その日の夜。
アニスは、ハロルドと共に寮の部屋に戻ってきた。
「さすがに疲れたな」
「にゃあ」
ハロルドが濡れたタオルを持ってくると、アニスがその上で手足を拭く。
そして、ハロルドが浴室に向かった後、彼女はソファの上に寝そべった。
(なんだか、ホッと安心するわね)
ここ住み始めて1カ月ちょっとだが、ずいぶんと慣れたものだと思う。
クッションやお皿など、自分のものが地味に増えているのも、居心地良く感じる。
(ただ、これからどうなるかしらね……)
アニスはずっと猫としてここにいたから、一時的に人間に戻ったからといって、そこまで心境に変化はない。
しかし、アニス猫が人間だと知らなかったハロルドは、もちろんそんなことはなく。
冷静を装ってはいるものの、かなり困惑しているのが見てとれた。
前は遠慮なく抱き上げていたのに、今は「触ってもいいか」と尋ねてくるし、
撫でようと手を伸ばして、ハッと思い出したように手を引っ込めるようになった。
よく話しかけてくるようにはなったが、アニスが答えられる訳ではないため一方通行で、なんといういか、色々とギクシャクしている感じなのだ。
(これから大丈夫かしら)
無理もないことだとは思う。
なにせ、猫がアニスだったのだから。
でも、このままでは、ハロルドが疲れてしまわないだろうか。
アニスが若干不安に思っていると、浴室のドアが開いた。
ガウン姿のハロルドが、髪の毛をタオルで拭きながら出て来る。
そして、ふとアニスの方を見ると、考えるように彼女を見つめた。
どうしたのだろうと、アニスもハロルドを見返す。
不思議な沈黙が部屋に流れる。
ややあって、ハロルドが動き出した。
ベッドに座り、ポンポンと隣りを叩く。
(来いってこと?)
アニスはソファから飛び降りると、トコトコとベッドに歩み寄った。
ぴょん、とハロルドの隣に飛び乗って、ちょこんと座る。
ハロルドはアニスの方に体を向けると、真剣な顔で言った。
「考えたんだが、合図を決めないか?」
「にゃん?」
アニスが首をかしげていると、ハロルドが尋ねた。
「確か、文字を書いたり、指差したりしようとすると、体が固まるんだよな?」
「にゃあ」
「うなずいたり、首を横に振ったり、人間のような意思表示をするのも無理だと言っていたな」
アニスが、「そうよ」という意思を込めて「にゃあ」と鳴くと、ハロルドが考え込んだ。
「では、前足を上げるのはどうだ? “はい”は右前足、“いいえ”は左前足を上げるんだ」
アニスは目を見開いた。
そういうのは全く思いつかなかったが、何となく上手くいきそうな気がする。
彼女の表情を見て、ハロルドがうなずいた。
「では試してみよう。――君はアニス・レインか?」
アニスは、ピッと右前足を上げた。
とりあえず、体が固まる気配はない。
ハロルドがうなずいた。
「では、次だ。――君は、男か?」
アニスは、さっと左前足を上げた。
今度もとてもスムーズだ。
そして、何回か同じようなやりとりをした後、ハロルドが嬉しそうに言った。
「どうやら大丈夫そうだな」
「にゃん!」
アニスは、さっと右前足を上げた。
これは確実に便利になる!
ハロルドが立ち上がった。
「では、夕食を食べに行くか。今日はデザートにチョコレートケーキなんかどうだ?」
アニスは、ピコピコと右前足を上げた。
ものすごく食べたい!
ハロルドはおかしそうに笑うと、「そうしよう」とうなずいた。
「触ってもいいか?」と確認してから、アニスの頭をそっと撫でる。
その後、2人は食堂に行くと、「はい」と「いいえ」を使いながら、美味しい食事を楽しんだ。
本日はここまでになります。
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明日から第3章入ります。