11.満月の夜②
夜の森に、アニスの悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああ!!」
彼女はとっさに腕で自分の胸元を隠した。
もう片方の腕でハロルドが後ろ向きで差し出すマントを素早く取ると、夢中で体に巻き付ける。
(な、なに!? 何が起きたの!? ていうか、人間に戻ってる!?)
彼女は、早鐘のように打つ胸を押さえながら身を縮めた。
一体何が起きたかさっぱり分からない。
ハロルドもかなり動揺しているようで、固まったまま動かない。
そして、彼は自分を落ち着かせるように息を吐いた。
後ろむきのまま、落ち着いた声でアニスに尋ねる。
「アニス・レイン……、なのか?」
彼女は口を開けようとして、そのまま固まった。
長い間、人の言葉をしゃべっていなかったせいか、とっさに言葉が出てこない。
そして、とりあえず何か言わなきゃと声を出そうとした――、そのとき。
ふっと辺りが暗くなった。
見上げると、風に流された雲が月にかかり始めている。
そして、
ボンッ
次の瞬間、アニスの体から小さな爆発音と共に再び煙が立ち上り――、
彼女は猫に戻っていた。
マントの下にちょこんと座っている。
(……え?)
アニスは呆気に取られて両手を見た。
紛れもなくピンクの肉球がついた猫の手だ。
音を聞いて振り向いたハロルドが目を見開いた。
「どういうことだ……?」
とつぶやくようにアニス猫を凝視する。
そして次の瞬間。
ボンッ
また煙と音が立ち、再び人間になったアニスが現われた。
ハロルドがサッと目をそらす。
アニスは、再びマントを体に巻き付けた。
混乱して頭を抱える。
「なに!? なに!? 何なの!?」
――そして、こんな感じのことを繰り返すこと、約20分。
「……落ち着いたな」
「……そうね」
疲れた表情をしたアニスが、ハロルドのマントを体に巻き付けて、石の上にぐったりと座っていた。
正面の地面の上には、ハロルドが座っている。
彼は自分を落ち着かせるように息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「満月の光を浴びている間だけ人間に戻る、ということのようだな」
「……ええ、そうみたいね。満月の光ってそういう効果があるって読んだ気がするわ」
アニスは、雲が少なくなった空を見上げて、ため息をついた。
一時的でも人間に戻れたのには、ホッとした。
でも、さすがにこの状況は想定外過ぎる。
チラリとハロルドを見ると、何か考えるように視線を伏せている。
(まあ、驚くわよね……)
何せ猫だと思っていたら、猫になったアニスだったのだ。
突然戻ったアニス本人も驚いたが、ハロルドの方が数倍驚いただろう。
加えて、アニスは彼にどう接していいか分からなくなっていた。
(ちょっと前まで猫だったし。――それに、考えてみたら、わたしたちって、まともに話したことがないのよね)
会って話してもすぐに嫌味の応酬に発展してしまうため、普通に会話したことが、ほとんどないのだ。
さすがにこの状況で嫌味の応酬はありえないが、そうなると何を言っていいのか分からない。
(と、とりあえず、状況を説明するべきよね)
アニスは、平静を装いながら今の状況を説明し始めた。
・古代迷宮の元宝物庫に入った瞬間、崩落に巻き込まれてしまったこと
・元宝物庫の奥に、不思議な石碑のある隠し部屋を見つけたこと
・急に眠くなり、気が付いたら、なぜか猫になってハロルドの部屋にいたこと
ハロルドが無言で話を聞く。
そして、アニスの話が終ると、彼は何を考えているかわからない表情で黙り込んだ。
しばしの沈黙のあと、ゆっくりと口を開く。
「つまり、君はずっとそばにいたということか」
「……ええ、そうね」
「そんな君を、私はずっと探していたわけか」
「……そうなるわね」
アニスは、地面を見つめながら思った。
これは相当怒っているわよね、と。
不可抗力とはいえ、騙していたことには変わりないし、
必死に探していた相手が、実はすぐそばにいたということになる。
騙された、とか、今までの苦労は何だったんだ、とか色々思って当然だ。
(……誠心誠意謝ろう)
アニスは、お腹に力を入れた。
怒られることを覚悟しながらうつむく。
――しかし、ハロルドの反応は意外なものだった。
彼は、片手を目元に当てると、くっくっく、と肩を震わせて笑い始めたのだ。
肩の力が抜けたような、何かを思い出して笑っているような、そんな雰囲気だ。
(……え?)
アニスは呆気にとられた。
部屋を滅茶苦茶にした時もこんな感じだったと思い出しつつも、なぜ笑っているのか分からず動揺する。
ハロルドは、ひとしきり笑うと、軽く咳払いした。
軽く口角を上げると、動揺しているアニスに尋ねた。
「……それで、体に不都合が出てはいないのか」
「不都合?」
「どこか痛かったり、違和感があるところはないか?」
アニスは考え込んだ。
「……少し頭がボーッとしているくらいかしら」
「なるほど、でも、それはもともとなんじゃないか?」
「なっ!」
アニスがハロルドの飄々とした顔をギロリと睨んだ。
「そんなことないわよ! わたしはいつもキレッキレよ!」
反射的にいつものように返しながら、アニスは心の底からホッとした。
自分が元に戻ったという実感が湧いてくる。
アニスが怒るのを見て、ハロルドがどこかホッとしたような表情を浮かべた。
「それだけ怒れれば十分だな」とつぶやくと、腰の鞄から地下迷宮の地図を取り出し、アニスと自分の間に広げる。
「とりあえず、月が陰らないうちに幾つか確認してもいいか」
「あ、うん」
人間に戻っている今のうちに話をしてしまわないと、とアニスがうなずく。
ハロルドは、地図を指差しながら質問を始めた。
崩落が起きて閉じ込められた時の状況や、隠し部屋の大きさや石碑の状態などについて、詳細に聞いていく。
それらに答えながら、アニスは首をかしげた。
ハロルドの態度があまりにも普通だ。
協力的だし、穏やかだ。全然怒っているように見えない。
(どうして……?)
続く