02.ヤケ食いと緊急任務
フェリクス王子に、婚約解消を申し出ろと言われてから、約30分後。
アニスは王宮の食堂にやってきた。
朝食には遅い時間のせいもあり、人がまばらだ。
彼女はカウンターに向かうと、厨房で働く中年の女性に声を掛けた。
「おばちゃん! いつものアレ、お願い!」
「はいよ」
女性が慣れたようにうなずくと、アニスを心配そうな目で見た。
「あんた、どうしたんだい? いつもに増して、目の下、真っ黒だよ?」
「……ちょっと忙しくて」
「そうかい、大変だねえ。飲み物はどうするんだい?」
「紅茶をポットで!」
そして、待つこと20分。
おばちゃんが厨房から大きなお盆を運んできた。
お盆には、パンケーキがうず高く積まれた皿と、果物やナッツ、クリーム、チョコレートソースなどのトッピングがのった皿や紅茶ポットが並べられている。
「はい、お待ち。クリームとチョコレートソース、増し増しにしといたからね」
「ありがとうございます!」
アニスは、嬉しそうにお盆を受け取った。
人々の「なんだあの量」という驚愕の視線など物ともせず、窓際の席に座る。
そして、パンケーキを2枚取ると、上にクリームを大量にのせて、大好物のチョコレートソースをダバダバかけた。
少し離れたところに座っていた騎士服姿の男性が、「うわあ」という顔でその様子を見る。
そんな視線など意にも介さず、アニスはパンケーキを大きく切り分けた。
クリームとチョコレートが滴るそれを一気に口に入れる。
(おいしい……)
彼女は、ホッとした気持ちになった。
甘い物のお陰でイライラした気持ちが収まっていくのを感じる。
彼女は黙々とパンケーキを食べ続けた。
トッピングで味変したり、クリームの量を変えてみたりしながら、幸せにお腹を満たしていく。
そして、パンケーキがあらかたなくなり、気持ちが落ち着くと、
彼女は紅茶を飲みながら、息をついた。
(やっぱり甘い物は正義ね)
そして、ため息をつくと、冷静にフェリクスの件について考え始めた。
正直に言えば、彼との婚約なんてこっちから願い下げだ。
そもそも自分が望んで婚約した訳でもない。
でも、それだけに簡単に解消できない。
王家の意向や両親の期待が関わってくるからだ。
(とりあえず、王妃様と実家に相談かな。……お前ががんばれって言われて終わる気がするけど)
ため息をつきながら、アニスはお盆を手に立ち上がった。
おばちゃんに「ごちそうさま」と声を掛けると、食堂を出て魔法士団本部に向かう。
そして、自分の執務室のドアを開いて、
「はあ~……」
彼女は盛大なため息をついた。
目に入るのは、雑然とした執務室と、机の上に積んである書類の山だ。
「そうだった、やらなきゃ……」
彼女は、心を無にして机に近寄った。
書類を手にとって目を通し、「今日も徹夜ね……」とため息をつく。
そして、ふと横を見ると、手紙が置いてあることに気が付いた。
裏面を見ると、地方に住む両親からだ。
「……何か嫌な予感がする」
封を開けると、そこにはほとんど要件のみの短い手紙が入っていた。
先月に送った納屋の修理代のお礼と、今月は嵐のせいで倉庫が雨漏りしてしまっているので、そっちの支払いもして欲しい、といったことが書いてある。
「結構な金額ね……」
アニスは肩を落とした。
先月に引き続き、かなりの大金だ。
今月もまた生活が苦しくなりそうだ、とため息をつく。
(まあ、でも、仕方ないわよね。家も古いし)
こうやって親に頼ってもらえるのも嬉しいことよね。
と、自分に言い聞かせながら、机に向かって書類仕事を片付け始める。
途中で眠くなってきたため、「覚醒」の魔法を使って目を覚ます。
そして、作業に没頭すること、しばし。
コンコンコン
控えめにノックする音が聞こえてきた。
扉が開き、緑かかった髪の毛をした眼鏡の女性――魔法士ニーナが顔をのぞかせた。
「あ、アニスさん、戻られていたのですね」
部屋に入って、机の上の書類の山を見て、彼女は目を見開いた。
「あれ? また増えていません?」
「そうなのよ。またヘクトール団長に頼まれてしまって」
ニーナはため息をついた。
「差し出がましいようですけど、アニスさん、ヘクトール団長の仕事、断った方がいいですよ。絶対にあの人、楽をしたいだけです」
アニスは苦笑いした。
ヘクトール団長は、適当な性格の人物ではあるが、上司だ。
期待していると言って仕事を振られたら、やらない訳にはいかない。
彼女は、話題を変えるようにニーナを見た。
「ところで、何かあったの?」
そうでした、とニーナが顔を引き締めた。
「はい、出動要請がありました。ここから3時間ほどの場所にある古代迷宮跡で、子どもが行方不明になったそうです」
古代迷宮とは、古代人が作った地下遺跡だ。
各地に点在しており、内部には貴重な遺物が残されていることが多い。
探索を終えた迷宮は「迷宮跡」として残るのだが、その1つに貴族の子どもが迷い込んでしまったらしい。
アニスは眉をひそめた。
「その古代迷宮跡に魔獣は?」
「いないそうです。魔獣が住み着くのを防ぐために、入り口に魔獣除けの魔道具を設置していると聞いています」
ニーナによると、現在、図書館の司書が総出で古代迷宮跡の地図を探しているらしい。
「といっても、探索が終ったのは100年以上前だそうで、地図が残っているか分からないそうです」
「見つからないとなると厄介ね、出発は?」
「昼一だそうです」
「そう、それまでに地図が見つかるといいけど」
2人がそんなやり取りをしていた、そのとき。
コンコンコン
落ち着いたノックの音が聞こえてきた。
「どうぞ」
アニスが声を掛けると、扉がゆっくりと開いて、騎士服姿の長身の男性が現われた。
端整な顔立ちの美青年で、窓から差し込む光に照らされて、プラチナブロンドが美しく輝いている。
「げ」
アニスは顔をこわばらせた。
会いたくないヤツに会ってしまった、とばかりにジト目で見る。
男性はゆっくりと入ってくると、丁寧にお辞儀をした。
どこか色気を感じる表情でアニスに微笑みかける。
「お久し振りです、アニス・レイン第2魔法士団副団長殿。相変わらず綺麗なお部屋ですね」
「ありがとうございます。ハロルド・ウィンツァー第2騎士団長。女性からのプレゼントだらけのそちらのお部屋よりは、幾分か綺麗かもしれませんね」
アニスは、うるさいわね、とばかりに彼を睨みつける。
2人を見て、ニーナが「また始まった」という風に苦笑いした。