10.大惨事、その後
不意に、鍵穴に鍵を差し込む音が聞こえて来た。
カチャリ、と鍵が開き、ドアがゆっくりと開く。
アニスは脱兎のごとく執務机の上から飛び降りると、机の下に隠れた。
身を小さくしながら伺うと、扉を開けてハロルドが入ってきた。
部屋を一目見て、雷に打たれたように立ち尽くす。
「こ、これは……」
怒られる、と観念しながら、アニスはギュッと目をつぶった。
ハロルドが、近づいてくる気配がする。
恐る恐る目を開けると、机の下をのぞきこんでいたハロルドと目が合った。
「……にゃあ」
「……っ」
バツが悪そうに顔を背けるアニスを見て、ハロルドが思わずといった風に噴き出した。
我慢できないといった様子で、声を出して笑い始める。
アニスはポカンとした。
怒られると思いきや、まさか大笑いされるとは思わなかった。
しかも、こんな風に笑うハロルドを初めて見た。
その後、アニスはハロルドに抱き上げられ、浴室に連れて行かれた。
上着を脱いで袖まくりをしたハロルドに、石鹸をつけて洗われる。
アニスはムスッとしながらも、大人しく洗われた。
逃げだしたいところだが、自分がやったことを考えると我慢するしかない。
ハロルドはアニスを丁寧に洗うと、お湯で何度も流した。
清潔なタオルで体を拭き、置いてあった温風の出る魔道具を手に取ると、熱くないように調整しながら、アニスの毛を丁寧に乾かしてくれる。
(……なんだか気持ちがいいわね)
アニスは目を細めた。
体が温まったせいか、妙に眠くなる。
そして、毛皮があらかた乾き、ハロルドに抱えられて浴室を出ると、数人のメイドが静かに掃除をしていた。
魔道具でも使ったのか、部屋はすっかり片付いている。
(良かった……)
ハロルドとメイドたちに感謝しつつ、アニスはホッと胸を撫でおろした。
その様子を見て、ハロルドが面白そうに笑う。
そして、メイドたちが帰ったあと。
ハロルドは、ソファの上にアニスをそっとのせた。
少し間を空けて自身も座ると、アニスの方に体を向ける。
(……これは怒られるやつね)
彼女は、しょぼんとした。
部屋がきれいになったのは救いだが、やらかしたことが消えたわけではない。
そんな彼女を見て、ハロルドが、ふっと笑った。
「……お前、本当にご主人様そっくりだな」
彼によると、学園時代に、学園で危ない魔法の実験をして教師に怒られていた時のアニスと、今のアニス猫の表情がびっくりするほど似ているらしい。
「あの時の彼女、今のお前みたいな顔をして怒られていたな」
懐かしそうに笑うハロルドを、アニスが複雑な表情で見た。
怒られなかったのは良かったが、何とも言えない気持ちになる。
(それに、この人、なんだかずいぶんイメージが違う気がする)
こうやって笑っているハロルドと、いつも嫌味を言ってくるハロルドは、まるで別人のようだ。
(まさか……、双子? な訳ないわよね)
アニスがそんなことを考えていると、ハロルドが気を取り直すように立ち上がった。
掛けてあった上着を羽織りながらアニスの方を振り向く。
「少し出て来るが、すぐに戻ってくる。今度は大人しく待てるか?」
アニスはもちろんですという風に、にゃあ、と鳴いた。
助けてもらった身で騒ぎを起こすのは、もう止めようと固く心に誓う。
そして、ハロルドが部屋を出て行ったあと、アニスはソファに丸くなった。
昨日までの疲れのせいか、暖まったせいか、はたまた部屋が綺麗になってホッとしたせいか、急激に眠さが襲ってくる。
(とりあえず、少し寝よう……)
そう思いながら、アニスはゆっくり目をつぶった。
束の間の休息……
本日あともう1話いきます。