第3話:彼は推理する
血に塗れた彼女を認識する。声にならないといったふうに里奈と千鶴は口を閉口させていた。
悟も聡も動けないでいる中、先に動いたのは隼だった。倒れる結の傍に駆け寄って生死を確認する。
「腹部を刺されて死んでいる」
「うそ、でしょ……」
「おい、死んでるって……」
「遺体に近づくな。警察が来るまで現場を荒らしてはいけない」
近寄ろうとする悟を隼が制止すると、「警察に連絡を」と指示を出した。
その冷静な言葉にはっと我に返った千鶴が、「教授たちに知らせてくる!」と部屋から飛び出していく。里奈はその場にへたり込み、彼女を聡が支える。
じっと遺体を観察する隼に琉唯も倒れる彼女へと目を向けた。ホワイトボードの前で倒れる彼女の腹部からは、血が流れており水溜まりを作っている。その傍には鍵とナイフが無造作に落ちていた。
ナイフはライナーロック式で折り畳みが可能なものだ。刃にはべったりと血がついており、凶器は恐らくこれであろうと素人目から見ても分かる。
手を上げるような形で倒れる結になんとなしに指先へと視線を上げて、首を傾げる。何か見えて、琉唯は周囲を荒らさないように隼の傍まで歩む。彼女の指先、床に何か描かれていた。
「5?」
数字の5の字が描かれている。震える指で書いたせいか、形が歪なので5のように見えるだけで違うものかもしれない。
その隣に線が縦に引かれている形で力尽きているので、もしかしたら苦しみもがいている時についただけの可能性もある。
その他に遺体に損傷は無く、少しばかり争った形跡はあるが腹部を刺されたのが致命傷のようだ。
彼女の唇についていただろう発色の良い赤いリップが擦れたように口元についている。
周囲を見渡してみるも、部屋は綺麗なもので特に散らかってもいなかった。見れば見るほどに彼女の死を実感し、琉唯は少し怖かった。
明らかな他殺死体など見るのは初めてだったから。もし、近くに犯人がいるならばと考えて背筋が冷える。
「……なるほど」
「隼?」
「なんでもない。琉唯、どうした?」
「いや、やけに落ち着いてるから……」
何かあったかと琉唯が問えば、隼は大したことはないと返れた。それにしては遺体を観察していたけれどと思ったが、自分もじろじろ見ていたなと琉唯は他人の事は言えない。
「誰かが落ち着いて判断しなければいけないだろう。こういう時は」
「まぁ、そうだな……」
皆が皆、慌てても駄目かと琉唯は納得した。隼は暫し、周囲を観察してから「後のことは警察に任せればいい」と、興味を無くしたように立ちあがって遺体に向けていた眼を上げる。
琉唯は描かれていた数字が気になったものの、下手なことはしないほうがいいなと警察が来るまで待つことにした。
***
「君たちが来たときにはこうなっていたといことだね?」
警察が到着し、現場は封鎖される。野次馬の騒がしい声がする中、廊下で刑事に発見当時の状況を説明した琉唯たちは皆、頷いた。
「鍵はかかっていたと」
「オレが鍵を開けたんで」
「鍵は佐藤先輩が持っていたものと、スペアの二個しかないです」
「なるほど」
亡くなった結が持っていた鍵はこの部屋のもので間違いないことを里奈と聡が証言する。密室かと田所と名乗った渋面の刑事は腕を組んだ。
腹部を刺されてナイフも落ちているのだから、殺人の線で警察は考えているのだろう。
遺体に触れたかという質問に隼が「生死を確認するために脈を計りました」と答える。それ以外では触ってはいないし、現場を荒らしてはいないと。それを聞いてから田所刑事はうーんと頭を掻いた。
「田所刑事」
「なんだ」
若い刑事がやってきて耳打ちをする。うんっと片眉を上げて田所刑事は琉唯を見遣った。
「君の名前って緑川琉唯くんだったよね?」
「そう……ですけど……」
「君が昼に佐藤結とカフェスペースの近くで口論していたという目撃情報があるのだが、本当だろうか?」
琉唯はその質問に確かに自分は彼女とカフェスペースの近くで話をしていたことを認める。
傍から見れば口論に見えなくもないので、そう答えたのだが田所刑事は「確認なのだが」と再度、質問してきた。
「口論していたんだね?」
「口論ってほどではないですよ。佐藤先輩がちょっと強引だったので、強く言い返しただけで……」
「なるほど。少し君に聞きたいことがあるのだが……」
個別にと言われて琉唯ははぁっと声を上げた。まさか、これだけで疑われるのかと。
佐藤結と出逢ったのはあの時が初めてであったことを琉唯は伝えて、自分はこの事件とは関係ないと主張した。
それでも、田所刑事は「これも確認のためだから」と言って聞いてはくれない。
「ちょっとこっちに」
「警察というのは単純なことも分からないのか」
「……なんだね、君は」
琉唯を連れて行こうとする田所刑事に隼がはぁと露骨に溜息を吐いて見せた。彼の態度に田所刑事は眉を寄せながら「何が言いたいんだね」と顔を向ける。
琉唯はそんな二人に挟まれる形になってしまい、彼らを交互に見遣るしかない。千鶴たちも何がと疑問符を浮かべていた。
「琉唯は犯人ではないし、そもそも彼は講義を受けていた。調べればすぐに分かることだ」
「それでも話は一応のために聞かなきゃならないんだよ」
「犯人ならもう分かっている」
「……は?」
隼の発言に田所刑事だけでなく、その場にいた全員が呆けた声を出していた。彼は何を言っているのだろうかと言うように。
そんな反応を気にも留めずに隼は開かれたドアから中を指さした。