【短編集】始末に負えない女性たちの碌でもないハッピーエンドについて
川田家の三姉妹 ~女王様の作りかた~
1.
風本隆行はアラフォーの経営コンサルタントで、三年前に引っ越してきた六畳一間のアパートを気に入って住み続けていた。学生向けの賃貸住宅だが、一人で住むには十分だし、近所づきあいがなくて気楽である。
日曜日の昼前まで寝床でごろごろして過ごし、腹が減ってきたので晩飯の残り物をブランチに食べた。それから横になってぼんやりと天井を眺めていると呼び鈴が鳴った。ドアを開けると、きちんとした身なりの老人の男女が立っている。
隆行がドアを閉めようとすると、男がドアを抑えて、「頼むから話を聞いてくれ」と言って頭を下げた。隣の女が、泣きそうな顔をして隆行の顔を見つめた。
この二人は、三年前に別れた隆行の元妻の両親の川田康夫と洋子だ。
「何の用ですか?」と隆行はぶっきらぼうに言った。
「頼むから由美に会ってほしい」と康夫。
「いやですよ」と隆行。
「自殺未遂をして病院に入院しているんだ」と康夫。
「なんでぼくが会わなければならんのですか?」と隆行。
「由美がどうしても君に会いたいと言っているんだ」と康夫。
「断ります。帰ってください」と隆行。
「誤解だったんだ。由美は今でも君のことが好きだと言っている」と康夫。
「ぼくは彼女のことが嫌いですよ」と言って隆行はドアを閉めてガチャリと鍵をかけた。
老夫婦はしばらくドアを叩いたり、隆行に呼びかけたりしていたが、しばらくすると静かになった。
2.
隆行は夕方、近所のスーパーに総菜を買いに部屋を出た。アパートの階段を降りたところで、左右の両側から腕をつかまれた。元妻由美の姉の由香と由美の連れ子の沙奈だった。待ち伏せしてたらしい。
「話を聞いてくれないかしら?」と由香。由香は神経質な女で、いつも冷たい表情をしている。隆行のそばに近づいたことすらなかった。もちろん隆行に触れるのは初めてのことだった。隆行は怪訝そうな顔をした。
「そこのファミリーレストランでいいか?」と隆行。
「ええ、ありがとう」と由香。
「手を放してくれないか?」と隆行。由香と沙奈は握っていた隆行の腕から両手を離した。
三人はドリンクバーを注文した。
「私がとってくるわ」と由香。「何を飲むの?」
断るのはめんどくさい。「コーヒーをお願いします」と隆行は丁寧に言った。
由香と沙奈は飲み物を取りに行った。
コーヒーが隆行の前に置かれた。皿に砂糖とミルクがのせられている。
「ありがとうございます」と隆行はブラックのままコーヒーをひとすすりしてカップを置き、「それでどのようなご用件でしょうか」といった。
「ずいぶん他人行儀ね」と由香。
「あなたと話をするのは初めてだと思います」と隆行。
「由美と三人で話したことが何度かあったでしょう?」と由香。
「俺は会話に入ってませんよ」と隆行。
「そうだったかしら」と由香。
少し間があって、「それで、何のご用ですか?」と隆行。
「知ってると思うけど、あなたが由美と離婚してしばらく後に、あの子は前の夫とよりを戻して再婚したわ」と由佳。「だけど結婚生活がうまくいかなくて離婚しようとした。ところが夫が強く反対して話し合いが進まなかった。そのあと自殺未遂をしたの。」
「いつのことですか?」と隆行。
「半年前のことよ」と由香。「そのあと、夫の実家でごたごたがあってどさくさ紛れに離婚したの。」
「なら、めでたしめでたしで問題は解決したはずだ」と隆行。
「ええ、私たちはそう思っていたわ」と由香。
「何かあったのか?」と隆行。
「由美はしばらくおとなしくしていたのだけれど、三日前に突然自殺したの。幸い未遂だったわ」と由香。「今思えば、離婚後の半年間で身の回りの整理をしていたのね。」
「なるほど」と隆行。「気の毒だけど、俺には関係ない話だ。」
「そうね」と由香。「お願いだけど、由美の見舞いに来てもらえないかしら。」
「断る」と隆行。
「即答なのね」と由香。
隆行は返事をしなかった。しばらく間が空いて、「話は終わりか?俺はもう帰るよ」と隆行は席を立とうとした。
「待って。今のは概要、というか前置きよ」と由香。「もう少し詳しい話をするわ。」
「なぜ勿体つける?」と隆行。
「あなたはダラダラ話をされるのが嫌いでしょ」と由香。「それに、今の話は外の人向けの内容よ。」
「俺は関係ないだろ。」と隆行。
「あるわよ」と由香。「由美が初めてあなたを家につれてきたとき、あなたは家の資産目当ての人だと思ったわ。」
「そうか」と隆行。
「それまで、自称起業家とか女たらしが多かったから」と由香。「だから、あなたに由美に近づいてほしくなかった。それであなたのことを、資産目当てで由美を寝とった男って吹き込んだの。ごめんなさい。この子は悪くないのよ。」
「こいつはもう、名実ともに他人だ」と隆行は沙奈をちらりと見て言った。
三年間見ない間に、沙奈は背の高いすらりとした美人に育っていた。ふわふわした薄い色の髪で背中を覆っている。左右に分けた前髪の下から、ぱっちりとした大きな目につぶらな瞳をキラキラさせている。何もかもが隆行とは違っていた。似ても似つかない。
3.
「あなたも知ってるはずだけど、由美の最初の夫は父が経営する会社の取引先の社長の息子だったのよ」と由香。「その岡山家のドラ息子にどうしてもって言い寄られて。由美は嫌がってたけど、父は大事な取引先だからって説得したの。」
「その話は聞いたことがある」と隆行。
「だけど八年ほどで他に女ができて、由美は沙奈と岡山家を追い出されて離婚した」と由香。「それから由美はしばらく家に引きこもってたわ。だけど次第に外に出られるようになって、ある日あなたを連れてきた。」
「なるほど」と隆行。
「あなたは由美の大学時代の同級生だったって聞いたわ」と由香。
「ああ、そうだよ」と隆行。
「でも付き合うほど親しくなかったはずよ」と由香。
「ああ、由美は美人で賢くて、その上お嬢様だ。俺には高根の花だったよ」と隆行。
「やっぱり。それなら最初の離婚の後、どこで知り合ったの?」と由香。
「同窓会だ」と隆行。
「あなた、同窓会に行かなさそうな性格だけど」と由香。
「ああ、普段なら面倒くさくて行かないよ。だけどその時は無理やり連れていかれた。どうしてもってな。そこで由美の隣に座らされた」と隆行。「その次の日には家に連れていかれたよ。婚約者だって。」
「知らなかったわ」と由香。
「うぶだったよ。地獄が待っているとも知らないで」と隆行。
「私たちはあなたが資産目当てのプレイボーイだと思い込んでたから」と由香。「いやがらせをして追い出そうとしたのよ。」
「知ってるよ」と隆行。「だが、あのとき、俺と結婚しないとすれば、由美はどうすればよかったんだ?」
「しばらくおとなしく独身で過ごすか、私たちの共通の人間関係の中で結婚相手を探せばよかったのよ」と由香。「私たちは皆そうしているわ。」
「だが、そんなお付き合いで由美はひどい目に合ってる」と隆行。「独身でいれば、またいつ誰と結婚させられるかわからない。だから自分の好きな相手を探して結婚しようとした。」
「そうね」と由香。「今なら分かるわ。」
「今更だな」と隆行。
「あの頃は私たちも必死だったのよ」と由佳。「うちの会社の経営が不安定だったから。そのうえ得体のしれない男が家の中に入り込んできたら警戒して当然じゃない。」
「それならなんで俺たちを別の家に住まわせなかったんだ?」と隆行。
「由美をあなたから取り戻すためよ」と由香。
「別のあてがあったのか?」と隆行。
「ええ、会社の有望な若手がいたの」と由香。「再婚相手にはうってつけだったから。」
「なるほど。だから、由美は俺との結婚を急いだのだろう」と隆行。
「そうでしょうね」と由香。
「ひどい連中だな、あんたらは」と隆行。
「それがどうしたの?」と由香。
「あんたが結婚すればよかったんじゃないか、その有望な若手と」と隆行。
「したわ。今、私は渡辺っていう苗字なの」と由香。
「それはおめでたいな」と隆行。
「めでたくもないわ」と由香。「今は仮面夫婦よ。別居中なの。」
「あんたの話はもう十分だ」と隆行。「由美の話の続きを頼む。」
「そうね」と由香。「あなたが由美に嫌われるように罠を仕組んだわ。」
「あれか?」と隆行。
「そうよ。あなたに幼女凌辱の容疑がかかるようにしたわ」と由香。「沙奈の友達に仕込んだのよ。」
「美咲の暴行事件は嘘だったの!」と沙奈が初めて声をあげた。
「そうよ。中学生の山口美咲にうその証言をさせて、証拠も捏造したの。もちろん美咲の両親も買収したわ」と由香。「由美と沙奈がこの人を嫌うように。」
「筋書き通りに事が運んで、おれは由美に追い出された」と隆行。「起訴されないだけましだと思えってな。」
「そんな……」と沙奈。
「ひどい話だ。もう聞きたくないよ。帰っていいか?」と隆行。
「まだ終わってないわ」と由香。「あなたと離婚した由美にまた岡山家のドラ息子が近づいてきたわ。さすがに由美は嫌がってたけど、沙奈に親切にして取り入ったのよ。元の仲良し家族に戻ろうってね。」
「何が目的だったんだ?」と隆行。
「景気が悪かったから、経営統合して乗り切ろうっていう話を持ち掛けられたの」と由香。
「食い物にされるだけだろう」と隆行。
「何もしないで潰れるよりましだわ」と由香。
「それで、由美はまた貢物になったわけか」と隆行。
「まあ、そういうことね」と由香。「由美は逆らおうとしたけど、私たちが逃がさなかった。従うしかなくなって、出戻り再婚したわ。結局、由美は自分では何もできないのよ。」
「よくそんなひどいことができるな」と隆行。「あんたの妹だろう。」
「あの子だけ好きに生きるなんて許せないわ」と由香。「大事に育てられたのだから、それなりに役目を果たしてもらうのは当然よ。」
「それで自殺か?」と隆行。
「そうよ」と由香。「例のドラ息子はサディストらしいから、由美はずいぶんかわいがられたみたいよ。」
「よく平気でそんなことが言えるな」と隆行。
「私は婉曲な言い方なんてしないの」と由香。
「それで無事に離婚か?」と隆行。
「まさか。あの家の連中がその程度で由美を手放すわけないでしょ」と由香。「スキャンダルよ。」
「スキャンダル?」と隆行。
「知らないの?ラブリー天使っていう少女売春の顧客リストにドラ息子の名前があったのよ」と由香。
「もみ消されただろ」と隆行。「少なくとも世間一般では。」
「そのあと粉飾決算事件があって、使途不明金を株主から追及されたのよ」と由香。
「踏んだり蹴ったりだな」と隆行。
「そうよ」と由香。「それも四方八方にお金をばらまいてうやむやにしたわ。だけど私たちはそろそろ頃合いだと思って提携を解消したの。ついでに由美も引き取ったわ。虐待の証拠を十分に集めてたっぷりと財産分与をいただいた。由美にも助けてあげたことで恩を売った。」
「神も仏もない世界だな」と隆行。「それじゃあなぜ、由美はまた自殺をしたんだ?」
「山口美咲と両親がばらしちゃったのよ」と由香。
「罪悪感に耐えかねたのか?」と隆行。
「まさか」と由香。「あの人たちはただのたかりよ。甘い蜜をすいたいだけ。だけど出戻った由美が久しぶりに美咲と母親に会ったとき、あなたの暴行のことを謝ったのよ。そうしたら、今更蒸し返すねって文句を言われた。」
「連中にすれば口裏を合わせただけだからな」と隆行。
「傷ものにして御免なさいと言ったらしいけど、それで両親が怒ってしまったらしいのよ」と由香。「傷ものになってないことはあんたも知ってるだろうって。」
「なるほど」と隆行。
「さすがに由美も何かおかしいと気が付いて、美咲と両親を問い詰めたのよ。そして事実に気が付いた。由美とあなたが嵌められて離婚したってことに」と由香。
「だが、時すでに遅しだな」と隆行。
「そうね」と由香。「それで、遺書を書いて自殺したのよ。」
「遺書?」と隆行。
「そうよ、今回は衝動的な自殺じゃなかったのよ」と由佳。
「ああ、そうなのか」と隆行。
「興味がなさそうね」と由香。
「ああ、全く興味がない」と隆行。「というか、関わりたくないね。内容は言わなくていいよ。」
「そうはいかないわ」と由香。「今日は遺書の話をしに来たのよ。」
「俺のことが書かれていたのか?」と隆行。
「そうよ」と由香。「あなたに申し訳がないって」
「それなら、気にするなって言ってやってくれ。」と隆行。「今、俺はもう十分楽しく暮らしてるってな。」
「それから、資産のすべてをあなたに譲るって書いてるわ」と由香。
「何だって?」と隆行。「そうか、それであんたたちが血相変えて俺に会いに来たのか。」
「そうよ」と由香。
「なるほどね」と隆行。「ようやく合点がいったよ。」
「困るのよ。これじゃあ」と由香。
「そうだろうな」と隆行。「だが俺は、あんたたちに関わるのは御免だ。幸い、由美は生きてるんだ。俺が相続することはない。せいぜい、由美と仲良くするんだな。」
「そうはいかないわ」と由香。「あの子にへそを曲げられたら困るのよ。それに、今のままでは、また自殺するわ。」
「そんなことは俺の知ったことじゃない」と隆行。
「由美の病室に来てくれるだけでいいのよ」と由香。
「嫌なものは嫌だ」と隆行。
「それ相応のお礼はするわ」と由香。「来てくれなければ、いつまでも付きまとうわよ。」
4.
隆行は由佳に促されて病室に入った。一人部屋のベットに由美が上半身を起こしていた。ベット脇には由美の両親がいた。
隆行が入ると、病室にいた3人が隆行を見た。
由美は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに冷たい表情になった。
「何の用?」と由美に言われて、隆行は戸惑って立ち止まった。何の心の準備もできていない。後ろから入ってきた由香に腕を組まれて引きずられるようにして由美の前に立った。
「いつから姉さんと隆行はそんなに仲良くなったのかしら」と由美。
「あなたが死ぬなら、私がこの人と結婚することにしたの」と由香。
「本当なの?」と由美は隆行のほうを見た。
「そんなわけないだろう」と隆行。「こんな蛇みたいな冷血女と結婚するぐらいなら俺が死ぬ。」
「冗談よ」と由香。「私だってお断りよ。」
由美がくすりと笑った。「改めて聞くけど、それで何の用?」
「せっかく貢物を持って参上したのですから、もう少し情けをかけてくださいまし、女王様」と由香。
「貢物って、隆行のこと?」と由美。「失礼よ。」
「ご無礼をお許しください、女王様」と由香。「お気に召さないようでしたら、持ち帰ります。」
「隆行は物じゃないって言ってるのよ」と由美。
「私にとっては、取引の道具よ」と由香。
「取引なんてしないわ」と由美。
「あなた、目が覚めてから初めてしゃべってくれたじゃない。それだけでもこの男を連れてきた価値はあるわ」と由香。
「そんな由佳姉さんが大嫌いよ!」と由美。
「私はきれいごとが嫌いなの」と由香。「あなたみたいに、いやなことから顔を背けて生きる人間も嫌いよ。」
「なんですって!」と由美。「姉さんは隆行と私を騙したのよ。犯罪よ!」
「騙されたのは、あなただけよ」と由香。「この人はすべて分かってたから。」
「被害者っていう意味よ!」と由美。
「この人は私に騙されたから出て行ったんじゃないわよ」と由香。「あなたの愚かさに愛想を尽かせて出て行ったのよ。」
「責任転嫁よ!いいわけよ!全部姉さんが仕組んだことじゃない!」と由美。
「あなたがこの人を信じていたら出ていかなかったはずよ」と由香。
「騙しておいて、何よその言い草!」と由美。
「あんな茶番に騙されるなんて思ってなかったから、こっちがびっくりしたわ」と由香。「美咲の下手なウソ泣きを本気にしてたなんて笑っちゃうわよ。」
「ひどいわ」と由美がつぶやいた。
「そもそもこのヘタレ男が女子中学生なんて襲うわけないじゃない」と由香。「それに、この人が必死で身の潔白を説明していたのを、あなたが全部否定したのよ。何をいまさら被害者ぶってるの?」
「姉さんは自分が悪いとはちっとも思ってないのね」と由美。「てっきり謝るために来たのだと思ったわ。私を貶めるために来たのなら帰って!」
「私はあなたに謝りに来たんじゃないわ。さっきも言った通り、交渉に来たのよ」と由香。
「交渉は決裂よ。もう帰って!」と由美。
「隆行を連れて帰るわよ」と由香。「それでもいいの?」
「隆行は物じゃないわ」と由美。「私が頼めばここにいてくれる。」
「そうかしら。試してみる?」と由香。「賭けてもいいけど、この人は私がいなければ気まずくなって三十秒で帰るわ。」
「そうかしら」と由美。
「ええ、この人はあなたのことをまだ許してないわ。それどころかあなたの気持ちを今でも疑ってる」と由香。「その上、連れ子の沙奈を毒蜘蛛みたいに嫌ってるのよ。戻ってくると思って?」
「私は誠心誠意謝るわ。命の限り隆行に尽くすわ」と由美。
「でも戻ってこないわ」と由香。「もう、新しい生活を始めてるわよ。新しい愛人と。」
「え、うそ」と由美は隆行の顔を見た。隆行は顔を背けた。
「ようやく状況を理解していただけたでしょうか、女王様」と由香。「わたくしめに任せていただければ、元通りに戻して差し上げますわ。」
「なぜそんなことができるの?」と由美。
「交渉に応じてくだされば、お教えいたします、わが女王様」と由香。
「何が望みよ」と由美。
「わが社のCEOに就任してくださいまし」と由香。
「私に経営なんてできるわけないでしょ」と由美。
「あなたの元夫に裁量させればよいのです」と由香。「私たちも手足となって働きますゆえ、ご安心くださいまし。そうですわよね、お父様、お母様。」
「ああ、もちろんだ」と康夫。「なにも異存はない。どんなことでも協力すると約束する。」
「いかがでしょうか、女王様?」と由香。
「そう。でも隆行はどうなるの?」と由美。
「ご心配なく。愛人とはすでに話はついております」と由香。
「なんだって!」と隆行。「何をしたんだ。」
「隆行さんの再婚の邪魔をしないでほしいとお願いしただけですわ」と由香。
「そんな勝手な」と隆行。
「結婚するつもりなど、元からないお付き合いなのでしょう」と由香。「お気楽で体だけのお付き合いなのだから、願ったりかなったりではないですか。」
「金での解決なのか?」と隆行。
「お金は誠意としてお支払するだけです」と由香。「あくまでも知人同士の思いやりです。」
「知人同士だって?」と隆行。
「秋田絵里子は私の古い知り合いですわ」と由香。
「あんたが仕込んだのか」と隆行。
「あんな優秀な人材があなたの個人事務所の求人に応募してくるわけないでしょ」と由香。「気になったから様子を見に行かせたのよ。」
「だが、俺は本気だったのに」と隆行。
「彼女も本気になってたみたいよ」と由香。「あなたと別れたくないって、ちょっとあんたのこと見直したわ。」
「俺のことをもてあそびやがって」と隆行。
「彼女とは別れないでいてあげて」と由香。
「そんなわけにはいかないだろう」と隆行。
「女王様は寛大よ。あなたに一人や二人愛人がいたとしても気にもしないわ」と由香。「そうでしょ、女王様。」
「私の人生は隆行のものよ」と由美。「隆行が望むなら何も問題ないわ。それよりも、さっきから女王様ってなによ、やめてほしいわ。」
「あなたは立場が変わったのよ」と由香。「女王様に生まれ変わったと思ってちょうどいいくらいよ。」
5.
「どこへ行く気?」と由香は病室を出ていこうとする隆行の腕をつかんだ。
「俺はあんたたちとこれ以上関わるつもりはない。帰らせてもらう」と隆行。
「何が気に入らないの?」と由香。「由美が受け取った離婚の慰謝料はすごい額だったのよ。あなたが由美と再婚すれば、その財産を好きにできるわ。」
「あんたたちの家族になるつもりはない」と隆行。「前の結婚でうんざりしてるんだ。」
「あの時のようにはならないわ」と由香。「あなたのことを大切にすると約束するから。」
「そんな言葉が信用できないんだよ」と隆行。
「気に入らなかったら、また離婚してもいいわ」と由香。「それから、結婚してくれたらすぐに由香の財産の半分をあなたの名義にしてもいい。」
「なぜそこまで俺にこだわるんだ」と隆行。「他にも解決方法があるだろ。」
「他の解決方法って」と由香。「どんな?」
「由美を薬漬けにして動けないようにしておけばいいだろう」と隆行。
「わたしたちを何だと思ってるの?」と由香。「悪魔じゃないのよ。」
「悪魔じゃなけりゃなんだよ」と隆行。
「ひどい言い草ね」と由香。「説明するわ。もう少し事情があるのよ。」
「やはりか」と隆行。
「入って」と由香が病室の外に向かって言った。
スーツ姿で黒縁の眼鏡をかけた背の高い女性がドアを開けて入ってきた。
「絵里子!」と隆行。
「秋田絵里子は偽名よ」と由香。「本名は坂本寛子、父が秘書に産ませた子供なの。つまり、由美と私の腹違いの妹。」
絵里子は隆行の隣に立って、隆行の右腕を抱えた。「嘘をついて、ごめんなさい」と寛子。
「なぜそんなことを」と隆行。
「由香姉さんに頼まれたの、様子を見て来いって」と寛子。
「なぜ身内にそんなことをさせるんだ」と隆行。
「身内でなければできないでしょ。あなたはうちの会社と家庭の事情を知っていたから、野放しにできなかったの」と由香。「だけど予定より寛子があなたに深入りしすぎて計算が狂ったのよ。」
「隆行さん、私本気よ」と寛子は言って、隆行の腕をぎゅっとつかんだ。「どこにも行かないで。」
「なぜ本当のことを言ってくれなかったんだ」と隆行。
「ごめんなさい」と寛子。「私、あなたとの関係を壊したくなかったの。」
「寛子が私に交渉に来たのよ」と由香。「あなたとの仲を認めろって。」
「こんな女に認められなくってもいいだろう」と隆行は寛子に言った。
「寛子は父に認知されていなかったのよ」と由香。「だからあなたが由美の夫だったときも紹介されてなかった。かわいそうでしょ。」
「だが、俺が由美と再婚してもいいのか?」と隆行。
「いいのよ。そのほうが都合がいいの」と由香。
「どういうことなんだ?」と隆行。
「できちゃったの」と寛子。
「何だって!」と隆行。
「あなたは私たちの身内になるしかないっていうことよ」と由香。「あなたが由美と再婚して寛子の子供を認知してくれれば、すべて丸く収まるわ。」
「ひどい解決策だ」と隆行。
「唯一の解決策よ」と由香。
「だが俺は誰も信じられないよ」と隆行。「だれも俺のことなんて好きじゃないんだろ?」
「この期に及んでまだそんな戯言を言うの?」と由香。
隆行の後ろから沙奈が抱きついた。「お父さん、わたしはお父さんのことが大好きです!」
「俺のこと、嫌っていただろう」と隆行。
「お父さんと暮らしていたときが一番幸せでした」と沙奈。「本当です!」
「その子、私があなたに会いに行くって聞いて、自分でついてきたのよ」と由香。
「なぜだ?」と隆行。
「わからないの?あなただけよ、この子を娘として育てたのは」と由香。
「実の父親はそんなにひどい男だったのか?」と隆行。
「そうよ。一回目の離婚のときは新しい妻との生活に邪魔になるからって追い出されて、出戻り婚の後は由美と一緒に虐待されていたの」と由香。「こう見えて苦労してるのよ。」
「だが俺は……」と隆行。
「泣いてるわよ、この子」と由香。
「わかっている」と隆行。「だが、ひどい茶番だ……。」
「まだ不満があるのかしら?」と由香。
「いや、不満はないが……」と隆行。
「君が由美と結婚して川田家を継いでくれるというのなら、私の財産をすべて君に託す。すぐに法的な効力のある文書の作成を約束する」と康夫は隆行の目を見て言った。
由香が隆行の正面から顔を近づけて言った。「私も約束するわ。あなたのために何でもする。秘書でもメイドでも愛人でも奴隷でも何でも構わないわ。」
「もう、わかったよ」と隆行はうつむいて言った。
由香は由美に向き合い、「これでよろしいでしょうか、女王様」と言って仰々しく頭を下げた。
「交渉成立よ。ご苦労だったわね、由香姉さん。これからもよろしく頼むわ」と由美は真顔で言った。
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