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エンドステート ーシミュレーション台湾有事ー  作者: 益子侑也
第一章 インテリジェンス
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5.密会

11時15分 東京都港区赤坂 ホテルオークラ


 冷房の効いた客室に招かれた小山文忠は、促されるままに窓際の椅子に座った。全面ガラス窓から熱が伝わってくるような気がした。テーブルを挟んで向かいには、在日本米国大使館CIA東京支局のランス・ヤン。台湾系二世で、台湾専門のインテリジェンス・オフィサーとして赴任している。米国大使館の隣のホテルはCIA東京支局の御用達だった。

「小山先生、台湾軍機は無事に下地島空港に降りることができたようです」

 慣れた日本語で話すヤンは、テーブルのリモコンを手にとって客室のテレビをつけた。

「そろそろ速報が流れるでしょう」

 小山は言われるがままテレビの方へと首を向けた。

ワイドショーのテロップは『油断大敵 夏バテ解消法』と、何度も見たことのあるような内容。スタジオでは、白衣を着た医師が解説し、アナウンサーが畳サイズのフリップパネルのめくりを剥がしながら、コメンテーターと楽しげに合いの手を入れていた。

 一瞬、スタジオが静かになり、カメラの奥の方に出演者達の視線が送られる。画面が不規則に揺れて、スピーカーからはスタッフの声が聞こえた。

 ピロロンという音に合わせて、画面上にニュース速報の無機質なテロップが表示された。

 アナウンサーのもとへ中腰で駆け寄って原稿を手渡すスタッフの手と頭が写り込んだ。アナウンサーの顔からは先ほどの笑みは消えていた。

『ここで特集の途中ですが、速報が入りましたのでお伝えします。画面でもお伝えしておりますが、沖縄県宮古島市の下地島空港に、台湾軍とみられる戦闘機一機と航空自衛隊の戦闘機二機が緊急着陸した模様です。詳細がわかりましたら、改めてお伝え致します』

 真剣な表情のアナウンサーは手に持ったペーパーを読み終えると、顔の筋肉を緩めて「では」と特集に戻った。

「明日の朝一で党の部会を開きます。安全保障調査会、国防部会、外交部会の関係合同部会の予定で、後ほど連絡を入れます」

「合衆国政府は、次期総裁候補としての小山先生に強い期待を抱いております」

 ランスの言葉を遮る。こうして、多くの総理候補がCIA東京支局に懐柔されてきたことはよく知っている。戦後日本の政党政治自体が、CIAの資金提供の産物である。

「君とは長い付き合いだが、くれぐれも勘違いしないでほしい。私はアメリカの国益のために動くのではない。日米の国益が一致しているから、君と協力していることは念押ししておく」

「それでこそ小山先生です。祖国を簡単に裏切るような人間は、合衆国政府としてもむしろ信用できません。インド太平洋地域における日米の脅威は中国であり、我々の戦略目標は普遍的価値を守ること。そして、二ヶ月後に迫る台湾侵攻を阻止しなければなりません」

 いつもランスの言っていた「台湾侵攻の抑止(・・)」が、「台湾侵攻の阻止(・・)」という表現に変わったのを聞き逃さなかった。米国は確度の高い情報を掴んだとみて間違いないだろう。

「合衆国政府は貴国の『自由で開かれたインド太平洋』戦略に賛同して、太平洋軍の名称をインド太平洋軍に改めました。しかし現実問題として、中東やロシアの問題を前にして戦力のアジアシフトは全く進んでいません。インド太平洋軍が人民解放軍に数的劣勢に立たされているのに関わらずです。米国のプレゼンスが揺らぎ、台湾有事は現実のものとして差し迫っています。そして、米国は日本の協力なし、具体的には在日米軍基地の利用なしに台湾有事を阻止することは不可能です。日本政府に危機感を与えるとともに、日米台の連携メカニズムを早期に構築させるための事態を作為する。それが、今回のオペレーションの目的です」

「重々承知しているよ」

 共和党の重鎮であるトーマス・ゲイラー上院軍事委員会委員長の提言をベースに、最終的にベネット大統領と台湾の周総統が秘密裏に了承した作戦と事前に聞いていた。民主党の大統領が共和党重鎮の提言を飲むとは異例も異例だが、政権がレームダック化する中で、台湾有事を何としてでも阻止したいという米国政府の意図が読み取れた。であるから、小山はランスの協力要請を受け入れたのである。

 台湾侵攻に先立って、中国は圧倒的優位にある戦域ミサイル戦力を駆使して日米の基地を機能不全に陥れる可能性があった。海上・地上作戦を実行するにも制空権は確保していなければならない。そのためには、米空軍の進める戦略であるACE(迅速な戦力展開)実施が必要だった。航空機を民間空港を含む各地に分散させて、被害を極限するのである。そしてそれは台湾空軍とて同じである。台湾にも航空戦力を国外を含む各地に分散・退避させたいという思惑がある。

加えて、日本と台湾の連携も早期に確立する必要があった。中国の侵攻を阻止・撃退するという目標を共有し、防空識別圏を接していながらも、『一つの中国』の問題から日台間には防衛当局間の連携メカニズムが存在していない。一分間で二十キロを移動し、空対空ミサイルの射程が百キロを超える戦闘機にとって、台湾本島も先島諸島も距離的に同一戦域に他ならない。連携のない現状で有事になれば、日台間で無駄な要撃や相撃ちのリスク、中国軍に対するオーバーキルといった非効率な戦闘が予想された。他方で米国は、日本政府と同じく中国唯一の合法的政府を中華人民共和国であると承認こそしているが、中国と台湾双方の主張に理解を示している。『台湾関係法』や『台湾旅行法』に基づいて、政府高官の往来や武器輸出、さらには秘密裏の共同訓練や軍事情報の共有を行なっている。

 そうした問題を日本政府に認識させるために、台湾軍機に与那国島領空を侵犯させて、民間空港の下地島空港に着陸させたのである。台湾有事のデモンストレーションとも言えた。

「この際だから、はっきりしてもらいたい。日米が台湾有事に介入するとの明確な意思表示をすれば、中国の抑止が可能とアメリカは認識しているのか?」

「はい。孫主席とて、日米と事を構える覚悟はないはずです。我々が介入すれば日米の損害も相当なものになりますが、中国はそれ以上の傷を間違いなく負います。どんなに良くても共倒れです。それはあまりにもリスクが大きすぎる。中国が企図するのは、台湾有事への日米の不介入。その一点だと考えています。台湾を巻き込んだ今回のオペレーションも、日米が台湾有事に介入するという意思表示、戦略コミュニケーションです。孫主席には、日米が台湾有事に間違いなく介入すると認識してもらわなければなりません」

 口にはしていないが、この男の自信に満ちた発言には根拠となるインテリジェンスがあるのだろう。米国のインテリジェンスは凄まじい。同盟国の一政治家に過ぎない自分に開示される米国のインテリジェンスすらそうなのだから、米大統領が触れる情報は相当なものなのだろう。

「そのために、私は先島諸島への陸自の事前配置と民間空港の利用を与党の立場で進めると」

「えぇ。ご理解が早くて助かります」

 ランスは顔面の筋肉を釣り上げて笑顔を作っているが、その瞳の奥は笑っていなかった。

「ところで、先生は総裁選に出馬されるのですか?」

「いや、今のところ考えていない。芝浦総理が続投するならそれで構わない」

 ランスがもっと詳しくと言いたげな視線を送ってくる。

「党内の保守派や派閥内からは推したいという声はもらっているが、私はいま政調会長だ。もちろん、芝浦総理の政策や方針の全てに賛同しているといえば、嘘になる。ただ、政策面で正しければ芝浦内閣を支え、間違っていれば内閣の尻を叩くよう党内で政策まとめるのが私の仕事だ。前回の総裁選で芝浦総理に敗れたが、決選投票では新座さんでなく、彼に票を乗せた。そのおかげで、いま政調会長の地位にある。野党に政権運営能力はないのだから、保自党を左傾化しないようにするのが国益に適っている。それに台湾有事の危機が迫る中、トップが変わるのは外交上も良くない。この国はトップが変わり過ぎてきた。芝浦総理総裁のもと、挙党体制でこの危機を乗り切るのが、今の私の責務だと思っている」

 メディア向き、表向きの答えのようだが本心だった。総理総裁になるのは政策実現の一手段であって、目的ではない。国益を第一に考えてのことだ。

「今度の総裁選は貧乏くじということですか?」

「そういう見方もあるにはあるな」

 軽く受け流した。

「ですが、新座幹事長は出馬の意向を固めていると聞いています」

 党総裁が総理大臣に指名されるのだから、党内をまとめる事実上のトップは幹事長の新座の役目であり、党の金庫番でもある。その新座幹事長は総理になるのが目標の男だ。なった後のビジョンがあるようには思えない。自分とは相容れない。

「あぁ。フィリピンからの帰国後に表明するらしいと風の噂で聞いた」

 ランスが「どうなのですか?」と薄気味悪い笑みを浮かべた。

「あいつだけは、新座だけは総理にしてはいけない。それが本音だ」

「前回決選に進んだ新座幹事長なら、総裁選に勝つ可能性があるのではないですか?」

 三年前の総裁選挙には五名が立候補したが、右派の小山、中道の芝浦、左派の新座という三強構図だった。投票日の前日、新座総理の誕生は阻止するとの共通認識のもと、小山陣営と芝浦陣営は決選に進んだ方に陣営の票を乗せるという合意を結んた。そして第一回投票は一位が新座、二位が芝浦、三位が小山となったが、合意通りの二位三位連合によって芝浦が決選投票を制した。小山が政権への影響力を持つことで、保自党を支える岩盤保守層を繋ぎ止めることも期待された。その論功行賞が政調会長のポストだったのだが、党ナンバー2のポストである幹事長に新座が就くこととなった。安定した党運営と次期衆院選のためには、第一回投票でトップだった新座の力を無視できないということだったが、保守派では不満のマグマが溜まっていた。新座幹事長は政調会の合意を蔑ろにして党運営を行い、政策的に対立する小山を押さえつけてきた。その不満のマグマは煮えたぎり、いつ噴火してもおかしくない状態だった。

「芝浦内閣で台湾有事に備えるのが望ましいということには同意します。外交上も好ましく、各省庁の混乱も少ない。ですが、その前に任期満了で衆議院選挙になる可能性も充分あり得ます。そうなった時にいまの顔で勝てますか? 新座幹事長が顔になって勝てますか? それこそ政権交代でもしたら、日本は台湾有事に対処できなくなるのではないですか?」

「何が言いたい?」

 全てをわかっているかのような口調に腹が立った。

「先生ご自身が一番理解されてるのではないですか?」

「・・・・・・」

 気がつくとテレビのワイドショーは総裁選特集になっていた。スタジオの政治ジャーナリストが指すフリップパネルに並ぶ候補者の写真には、小山の顔もあった。

「合衆国政府はあなたが総理総裁になるのを望んでいます」

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