15.上陸
16時20分
東京都千代田区永田町 内閣総理大臣官邸
ドン!
地下深く、喧騒を閉じ込めた重厚な防音扉が、勢いよく押し開かれる音が響いた。
芝浦は危機管理センターに専用エレベーターで降りるなり、対策事務室に隣接する対策本部会議室の扉を突き破るようにして飛び込んだ。一瞬で視線が集中し、各省庁から集まっていた官僚らは弾かれたように立ち上がり、一様に背筋を正した。
「どうなってる!?」
普段の穏やかな口調はどこにもない。
芝浦が円卓中央のエグゼクティブチェアに深く腰を下ろすと、止まっていた時間が再び動き出した。内閣官房、法務省、外務省、国土交通省、防衛省、警察庁、海上保安庁等と、省庁ごとに色分けされたビブスをワイシャツの上から纏った者たちが、ノートPCを叩き、報告を飛ばし合う。
芝浦は自らの心臓が肋骨を叩く音を、感じていた。久しぶりに走ったせいか、目眩までする。
部屋の隅で横須賀官房副長官補と立ち話をしていた豊島官房長官は、静かに芝浦総理の隣の席に座った。
三階分の高さはあろう正面の壁に設置されたモニターを、芝浦は見上げた。地上波放送全チャンネルが分割で映し出され、中央には大きく海保のヘリテレの映像が流れていた。
荒々しく削られた灰色の隆起珊瑚礁と、寄せ波が残していった無数の流木やゴミが海岸に沿って散らばっていた。急な山肌を覆うシャリンバイやアダンの深緑から、切り立った礫岩が顔を覗かせている。そこには白い灯台が聳え立ち、周囲には人影が見える。ヘリテレはその灯台に寄っていく。鉄骨には、大きな青天白日満地紅旗が括り付けられ、周囲の人物も青天白日満地紅旗を誇らしげに掲げている。彼らの歓喜する声が聞こえてくるようだった。
「魚釣島に八名が上陸している状況です」
勝田危機管理監が、萎縮する官僚らに代わって答えた。
「そんなことは、映像を見ればわかります」
芝浦は苛立ちを隠す様子もない。
峰山海上保安監が卓上マイクのスイッチに手を伸ばした。
「周辺では巡視船が漁船の規制や海警への対応に当たっておりましたが・・・・・・・ その、どうやって上陸したのかがわかりません」
「わからない?」
芝浦の視線が峰山海上保安監を射抜いた。
「はい。ボートの類も確認されておらず、上陸するところを目撃した保安官がおりません。気がついたら、台湾旗が掲げられていた状況でして。そもそも、周辺で台湾籍の船舶は確認されていません」
芝浦は深く息を吐き、背もたれに身体を預けた。指先で机を一定間隔で叩く音が、静まり返った室内に響く。
豊島官房長官が椅子のキャスターを滑らせて、芝浦の側に身を寄せた。
「総理。間もなく桜木大臣も到着しますので、国家安全保障会議を」
「わかりました。警察力で対応する方向で行きましょう」
これは『不法入国』という犯罪であって、『侵略』ではないーー
「承知しました。マスコミへの発表は?」
二人の視線は正面モニターへと映った。地上波は各局とも、通常放送を続けている。
「まずは説明する材料が欲しいです。NSCの後に官房長官か、必要なら私が会見を」
「ですが、生配信を抜け出しているので、すぐにマスコミは嗅ぎつけるかと」
わかっていると右手を縦に振りながら、芝浦は立ち上がった。
危機管理センター内の会議室へと移った芝浦は、長机の頂点から左右に並ぶ面々を見渡す。
豊島官房長官、千両副総理兼外務大臣、桜木防衛大臣の四大臣に加えて、海上保安庁を所管する城野国土交通大臣、警察行政を所管する針尾国家公安委員長が厳しい表情で座る。それより下座には、勝田内閣危機管理監、岐阜国家安全保障局長、小牧内閣情報官、中津内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)、白山内閣官房副長官、横須賀官房副長官補、豊平統合幕僚長、峰山海上保安監が陪席している。
各大臣から形式的な現状の報告が終わると、芝浦は咳払いして口を開く。
「私としては、警察力で対応してもらいたいと思っています」
針尾国家公安委員長が即座に頷き、手元の資料を一瞥した。
「現在、巡視船に沖縄県警の国境離島警備隊が乗船しています。総理のご指示があれば、海保の協力のもとで魚釣島に上陸し、検挙することは可能です」
「しかし、総理」
桜木防衛大臣が軽く手を挙げた。呼吸を整えてから続ける。
「上陸している勢力が本当に台湾の活動家なのか、これを確認する必要はありませんか?」
針尾国家公安委員長が即座に反応する。眉を寄せて、口を挟む。
「台湾の旗を掲げているのだから、台湾なのだろう。それに、尖閣の領有権は台湾も主張している」
その声には、苛立ちが混ざっていた。
尖閣諸島の領有権は、1970年に台湾が主張し始めて、これに追随した形である。2012年には、台湾の立法院が尖閣諸島の領有を決議している。中国のロジックは「尖閣諸島は台湾に付属する島であり、その台湾は中国の一部であるのだから、尖閣諸島は中国のもの」なのである。
桜木防衛大臣は動じることなく、淡々と返す。
「活動家であるなら上陸方法が不可解ですし、企図も」
「何が言いたいんです? 結論から言いなさい」
当選回数が自分より少ない桜木防衛大臣を見下すような強い口調だった。
芝浦は内心で溜息をつく。
「桜木大臣、説明を聞かせてください」
豊島官房長官が、宥めるような穏やかな口調で話を振った。
桜木防衛大臣は感謝の意を込めて深く頷ずくと、説明を始めた。
「上陸勢力が中国軍の特殊部隊である可能性があるのではないでしょうか? 特殊部隊なら水中スクーターや潜水装備などを使って、隠密に上陸してもおかしくないでしょう。海保が発見できなかったことも説明できます。これは活動家の政治的パフォーマンスではなく、活動家に偽装した特殊部隊が国家の意図を持って上陸しているということになります」
「国家的意図と言いますと」
芝浦は尋ねた。
桜木防衛大臣は芝浦に視線を固定し、言葉を続ける。
「あくまで推測ですが、日本と台湾の分断、或いは尖閣諸島で領土紛争を起こすこと、でしょうか? 総理、対処方針を決める前に、自衛隊を派遣して情報収集にあたらせることをご検討ください」
沈黙の中、芝浦の脳内に映像が流れた。
もし上陸した警察が射殺されたら? もし警察が先に発包する事態になったら? 自衛隊を動かして、中国軍がそれに呼応したら?
首筋を冷たい汗が伝う。
「本当に中国が尖閣で領土紛争を起こそうとしているとしているのなら、自衛隊を派遣しては思う壺ではないですか。矛盾してますよ」
その提案に、針尾国家公安委員長が食ってかかった。
「総理。桜木大臣の案は危険です。日本が先に軍事行動に出たと、中国に口実を与えることになります。やはり警察力による対応、あくまで日本国内における行政権の行使とすべきです。国境離島警備隊の能力は高く、準備も万端です」
「針尾先生、お言葉ですが国境離島警備隊に隠密上陸の技術はあるんですか?」
豊島官房長官が二人を宥める。
「桜木大臣、針尾大臣の仰ることは、どちらももっともです。念のため確認しておきますが、日本政府の立場では、尖閣諸島に領土問題は存在していないことになっています。波風を立てることは、日本の国益になりません」
「総理。それらの問題をクリアする方法があります。魚釣島に隠密に上陸し、情報収集を行い、万が一のことが起こっても、戦闘を起こさないことが可能な部隊を派遣するのです」




