13.領海
14時55分
東シナ海 尖閣諸島西方の領海線付近
第十一管区海上保安本部くにがみ型巡視船<なぐら> PL-82
「海警1401は約80度、速力約15ノットで航行中。本船との船間距離160メートル。該船の現在地は、魚釣島から274度、14マイル。日本の接続水域内である。該船の奥には、多数の中国漁船が確認できる」
右舷デッキに立つ航海士補が、声を吹き込みながら採証用のビデオカメラを回している。配属されてまだ半年にも満たない十九歳の男の声は、僅かに震えを帯びていた。レンズ越しに映る海警1401の甲板にいる乗員は、こちらを睨むように立っている。目視でもその表情がわかりそうにすら感じる距離だった。
「該船は砲らしきものを搭載している。カバーはかけられていない」
航海士補は手ブレを必死に抑え込み、前甲板のH/PJ-26型単管76ミリ速射砲をズームインした。鋭く光る銀色の砲身と白い角形の砲塔が画面一杯に迫ってくる。自らの左手に見えるJM61-RFS20mm多銃身機銃が心許なく感じた。
「僅かに広がる! 若干離れてます」
主任航海士が報告した。船間距離が徐々に開き始めている。
「了解。5度、面舵のところ」
航海長が指示し、操舵担当の航海士が復唱した。ワッチから船間距離がコールされる。
「160・・・・・・150・・・・・・」
「よし140まで寄せて」
船長の知念雅史は、双眼鏡を下ろして言った。
海警船に張り付き、時には進路規制を行う海保巡視船の操船技術は極めて高かった。
「領海線! 入った! 領海侵入、領海侵入」
電子海図から顔を上げた航海長が叫んだ。
「該船は1457、領海に入域した。これより、警告を実施します」
航海士補は、ビデオカメラを船橋内へと向けた。
「無線で警告実施」
知念は振り返って、通信士に告げた。通信士がVHF無線機の受話器を手に取る。
「中国海警船隊、中国海警船隊。こちらは日本国海上保安庁巡視船PL-82である。日本の領海内における無害でない通航は認められない。速やかな退去を要請する」
数秒の沈黙後、たどたどしい日本語が返ってきた。
『日本巡視船PL-82、こちらは中国海警船隊である。釣魚島及び付属の島々は古来から中国の固有領土である。その島の12海里は中国の領海である。貴船は中国の領海に侵入した。直ちに退去してください』
知念が眉を顰めた。
ほとんど間を置くことなく、通信士がPTTスイッチを押した。
「中国海警船隊。尖閣諸島は日本の領土であり、貴船の主張は受け入れられない。日本の領海からの退去を要請する」
通信士の語気が若干強まった。
「ビデオ、しっかり撮っておいてくれよ」
知念に航海士補が深く頷いた。
「現在、本船は日本語及び中国語で無線による警告を実施しています」
<なぐら>と海警の間で、暫く無線の応酬が続いた。必ず、日本側が最後に「尖閣諸島は日本の領土である」と主張する慣わしとなっていた。反論せずに交信を終えれば、中国側の主張を受け入れたことになりかねない。
<領海から直ちに退去せよ 在日本领海内ーー>
船体の停船命令等表示装置には、緑色の電光で同様の文言が日本語と中国語で流れている。
「海警1401の電光掲示板です。該船は中国の領海内であると、繰り返し主張しています」
航海士補は赤色の文字が流れる船橋上部の電光掲示板にズームインした。
<我国领海,要求你船立即离开>
第九管区海上保安本部いわみ型巡視船<さど>PL-76
新潟に本部を置く第九管区海上保安本部から尖閣諸島警備に応援で派遣されていた警備実施等強化巡視船<さど>の多目的室には、金属の匂いと緊張した息遣いが混ざり合っていた。狭い室内の蛍光灯の下、特別警備隊規制班の隊員らが装備を整えている。
ネイビーブルーの警備出動服に、HAMANI製の軽量防弾ヘルメットと防弾防刃衣で身を包み、腰のタクティカルベルトから吊るしたレッグホルスターにはS&W M5906を収納している。左肩には、ポセイドンと<9>をあしらい、赤地に黄色で<特警隊>と刺繍された盾型ワッペンが輝いていた。
特別警備隊は俗に「海の機動隊」とも呼ばれる警備部隊であり、海上や港湾におけるテロやデモに対応すべく、全国十一の管区に十二隻ある警備実施等強化巡視船に編成されている。
巡視船<さど>の首席航海士と特別警備隊隊長付を兼務する美浜陽介は、黒のバラクバラの上からACHの顎紐のバックルをカチリと止めた。バラクラバの目元に差し込むようにして、シューティンググラスをかける。ベルトキットの三段式警棒や手錠、背面の携帯無線機が脱落していないことを触って確かめた。
「公務執行妨害や入管法違反が確認された場合、強行接舷により移乗する。当面はGBにより、進路規制を実施する」
二コ規制班を率いる美浜の声は、室内にはっきりと響き渡った。
海上自衛隊たいげい型潜水艦<はくげい>SS-514
「んっ?」
忍野水測員長は思わず声を漏らした。ずらしていた左耳のイヤーパッドを戻して、両耳に意識を研ぎ澄ませた。海中のノイズが立体的に蘇るが、相変わらず五月蝿い漁船団のディーゼルエンジンとスクリューの音だけだった。
「どうしました?」
奄美はソーナー区画のカーテンを開けた。ディスプレイの灯りに照らされて浮かび上がる忍野水測員長の横顔が、わずかに強張っているのがわかった。
「いや、魚雷発射管の開口音が聞こえたような・・・・・・」
忍野水測員長はディスプレイのB-T表示のスケールを拡大すると、指で辿った。画面は相変わらずオレンジ色のノイズで埋め尽くされ、無数の細い垂直線が降り注ぐように重なり合っている。
「・・・・・・気のせいか」
忍野水測員長は首を傾げた。
「打たれたわけじゃ、ないよな」
奄美は自分で言いながら、すぐさま否定した。この騒音の中では音が干渉し合って、誘導魚雷が目標のスクリュー音を拾えるはずはない。
「探信音や航走音は聴知できません」
忍野水測員長の隣に座る若いソーナー員が、ディスプレイから視線を離さずに言った。
必ずしも、潜水艦映画のように即座に敵魚雷を探知して、警報が鳴るわけではない。水測状況によっては、魚雷が命中するまで気が付かないことも十分にあり得る。ノンフィクションの潜水艦戦は"地味"なのだ。
「念のため、バッフルチェックを」
奄美は小柴哨戒長に命じた。




