11.エコー
9月4日 6時
東京都千代田区永田町 内閣総理大臣官邸
地下の危機管理センター内の対策本部会議室は、騒々しかった。前日の3日、海上保安庁から情報集約センターへの通報を受けて関係省庁の局長級で構成される緊急参集チーム及び通称「事態室」(内閣官房副長官補(事態対処・危機管理担当)付)のメンバーが召集され、4日未明には官邸連絡室が内閣危機管理監をトップとする官邸連絡室へと改組された。タクシー、或いは自転車で駆けつけた職員達の顔には、一様に隠しきれない疲労が色濃く滲んでいた。
内閣危機管理監の勝田は、円卓の議長席で眠たい目を擦った。欠伸を噛み殺すように、ミネラルウォータを口に含んだ。手元の個別ディスプレイに視線を落とす。そこには、海上保安庁から専用回線(中央防災無線網や新府省間ネットワークとは異なる省庁と危機管理センター間専用のもの)で伝送されてくるMQ-9Bの赤外線カメラの映像が映し出されている。白黒の映像だが、海面のさざ波や甲板の人員まではっきり見て取れた。
タイミングが最悪だと、勝田は思った。総裁選の真っ只中、あえてこの時期を狙ったのだろうがーー
尖閣を施政権下に置く日本としては波風を立てないのが正解だが、領有権を主張する中国としては波風を立てたい。当然、波風を立てる方が容易であって、その批判は総裁選において芝浦総理にも向く。現職でない総裁候補は強硬対応を主張して、支持を集めることができる。
勝田は頭を抱えた。厳正な対応と、エスカレーションの回避という一見矛盾するような二つの命題を成立させるという、針の穴を通すコントロールが求められている。
勝田は咳払いして、口を開く。
「本日未明、中国の漁船団が日中中間線を越えて尖閣諸島方面に向かっていることを、海上保安庁の無人機が確認した」
円卓の面々を見渡して続ける。
「接続水域への到達は本日正午頃と見積もられている。総理指示は二点。尖閣諸島が日本の施政権下にあることを明確にするため、不法行為へは国際法及び国内法に基づいた厳正な対応を取ること、そして海警との衝突といった事態のエスカレーションは回避すること、だ。まず、現況と目下の対応について各省庁より報告してもらいたい」
「では、海上保安庁からお願いします」
官邸対策室副室長を務める横須賀官房副長官補(事態対処・危機管理担当)に指名された海上保安監が挙手して、卓上マイクのスイッチに手をかけた。
「現在、無操縦者航空機により中国漁船団百十六隻の動向をリアルタイムで監視しています。正面モニターと、皆様の端末に配信している映像がそれです。本庁では、長官を本部長とした対策本部を設置、尖閣諸島周辺には第十一管区次長を指揮官とする十隻の巡視船隊を配置し、万全を期しています。なお、うち一隻には特別警備隊が乗船しております。さらに特殊警備隊及び巡視船複数隻を急派中です。中国海警側については、先週より尖閣周辺に展開している四隻に加え、海警船四隻が漁船団を守るようにして航行中です。以上です」
「次に警察庁、お願いします」
高島警備局長が短く「はい」と声を上げて、卓上マイクのフレキシブルアームを口元に寄せた。
「警察庁では、漁民等が尖閣諸島に上陸するといった万が一の不測の事態に備え、海保の巡視船に沖縄県警の国境離島警備隊を便乗派遣させました。状況によっては、魚釣島等に人員を事前に配置することも可能です。引き続き、海上保安庁と連携を密にしながら対応に当たってまいります」
昨日、警備局長から都道府県警警備部に警備強化の指示があったという話は、勝田の耳に入っていた。警察庁警備局長といった警備公安畑のキャリアを歩んで警視総監、内閣危機管理監へとなった勝田は、おおよそ察しがついていた。米国から事前に情報共有があったのだろう。
続けて、法務省刑事局長と出入国在留管理庁審議官からは応援の入国警備官及び入国審査官を石垣島へ派遣する準備を進めていること、外務省アジア大洋州局長からは中国へ外交ルートを通じて懸念を伝えること、防衛省防衛政策局長からは警戒監視の強化及び人員輸送といった省庁間協力に備えていると、矢継ぎ早に報告がなされた。
11時30分
東シナ海 尖閣諸島西方の日中中間線付近上空
那覇航空基地に所在する海上自衛隊第5航空群第52飛行隊のP-3C哨戒機は、定時の警戒監視に就いていた。宮古海峡を抜けて、尖閣諸島、日中中間線沿いの21基の石油掘削施設を巡りながら、洋上の艦船を識別する十時間超えの任務だ。
中国軍が台湾周辺で行っている演習の監視と情報収集にも複数のP-3Cが割かれ、第5航空群では訓練等に支障が出ていた。そのため、鹿屋の第1航空群からP-1が応援に駆けつけていた。それほどまでに、東シナ海の緊張は高まっていた。
『TACCO、3。レーダーコンタクト、目標多数』
レーダーや逆探装置等を担当するSS-3の報告が、インターコムのノイズを割って流れた。
「了解。大きさ知らせ」
戦術航空士の弘前祐美は、戦術航空士席でディスプレイに視線を固定したまま、AN/AIC-22(V)交話機のヘッドセットに応じた。
『スモールが多数。ミドルが・・・・・・四』
「了解。これで間違いなさそうですね」
弘前はヘッドセットのリップマイクに言った。
戦術航空士は航空対潜水艦戦作戦センターと連携を密にしながら、哨戒パターンやソノブイ敷設プランの設定などを行う役職であり、これら対潜戦ともなれば操縦士よりも指揮優先権を持つ。いわばP-3Cの頭脳である。
『オールクルー、機長。これより高度を520フィートまで落とし、目視による確認を行う』
右翼外側の第四エンジンを停止させたロイターの状態で、高度520フィート(約150メートル)、速度215ノット(時速約400キロ)に落とし、有視界飛行方式に移行する。マイナスGのかかる機内を満たすのは、ターボプロップエンジン特有の耳を刺すような高周波のタービン音と、身体に打ちつける低周波ビートのプロペラ音だった。
『TACCO、機長。前方に漁船多数視認。報告のあった中国漁船団と思われる』
弘前はコンソールを鮮やかに操作しながら「了解」と応えた。
ソマリア沖の海賊対処行動から帰国して三か月。あのジブチの灼熱でバッサリと切ったショートヘアも、今は肩に届くまで伸びた。海賊対処派遣行動航空隊用のサンドベージュの航空服から、通常の濃緑色の航空服にも違和感が消えてきた。
弘前は左手のバブルウィンドウに顔を寄せた。T-56-IHI-14ターボプロップエンジンのプロペラ越しに、紺碧の海面が迫る。そこは、数える気にすらならないほどの大小さまざまな船に埋め尽くされていた。規則も秩序もないようでいて、しかし一つの意思を持った巨大な生き物のように同じ方向を向いている。視界の端から端まで広がる青や白の漁船は、ここが自分たちの海だと言わんばかりだった。
『現在地、北緯25度44分、東経122度46分。日中中間線の内側、接続水域までおよそ21マイル』
ここは日中中間線の東側、つまり日本の排他的経済水域にあたる。EEZは、漁業活動や資源採掘といった経済活動については沿岸国に独占的な権利を認めている。しかし、尖閣諸島周辺を含む北緯27度以南については、日中漁業協定が日中双方の漁業活動を認めている。この膨大な数の漁船も、領海で操業しない限りは合法なのだ。
「機長。これより船舶識別及び撮影を実施する。漁船団左翼側のWPSから行きます。右旋回して、目標の後方より進入。右弦側通過する」
漁船団の頭上を正面から通り越したP-3Cは、大きく翼を傾けて、180度の右旋回を描いた。漁船団の進行方向に合わせて、後方から追い越すコースを取る。
弘前が覗くバブルウィンドウの右前方に、海警船が見えてきた。白い船体の前方に赤と青のストライプ、前甲板には76mm速射砲、船橋には低いマスト、その後方にオレンジ色の搭載艇、後部は広いヘリ甲板。船橋がかなり前方に位置しており、前のめりな印象を受けるシルエットをしている。
「まもなくアビームする。アビーム・スタンバイ、マーク・アビーム」
操縦士(機長)席の真後ろで、武器員が一眼レフカメラを構え、連写でシャッターを切った。対潜戦では機体後方でソノブイや魚雷の装填等をするORDだが、警戒監視の際はコックピットで撮影を任されている。
『艦番号は1401、1401』
コックピット中央でFUJINON製の防振双眼鏡を除く機上整備員の報告を受け、弘前は周辺国の軍艦や公船の網羅されたリストをめくった。艦番号1401を探す。
「中国海警1401は、ジャオライ級チョンミン、チョンミンと確認」
『そのまま前方の艦船、アビームする』
「了解。まもなくアビーム。アビーム・スタンバイ、マーク・アビーム」
『艦番号は1301、1301』
「ジャオユー級ショウスーです。機関砲ついてますね」
弘前は眉を顰めた。手元に広げられたリストでは、海警1301は機関砲未搭載となっていた。
新たに搭載したのだろうかーー
海上保安庁の巡視船は全隻機関砲を搭載しているが、中国海警は非武装船も多い。これらを前面に出すことでエスカレーションを避けているとの分析もあったが、海警船の武装化は着実に進んでいた。
中国は尖閣周辺でのエスカレーション・ラダーを上げようとしているのだろうかーー
海警1301全甲板の30mm機関砲の砲身が、澄んだ陽光をキラリと跳ね返したように見えた。
「TACCO、ORD。機関砲撮れてる?」
『バッチリです』
その後、P-3Cは旋回して漁船団右翼側の海警1305と1102、船団の全景、いくつかの漁船を撮影した。
『TACCO、3。レーダー、スモール・コンタ・・・・・・ 』
「どうしたの?」
声の淀んだSS-3に、弘前が尋ねた。
『一瞬、レーダーにスモールが・・・・・・ すみません、見間違いかもしれません』
弘前はAN/APS-137のレーダースコープを凝視した。ぼやっとした海面クラッタが霞のように広がっている。その中に、漁船と海警船がはっきりとしたブロブとして映っていた。それ以外の反射エコーは見当たらない。
見間違いか? ロストか?
弘前が疑念を咀嚼する間もなく、再びSS-3の声がヘッドセットに響く。
『レーダー波探知。285度』
主翼下のHLR-109逆探装置が反応した。
「中国軍機?」
『そのようです。PRFは低い。捜索系ですね』
『機長、了解。一旦、離れようか。離れます』
『機長、NAV/COMM。基地には報告済みです。なお、空自スクランブルの情報』
通路を挟んで弘前の隣に座る航法・通信士が、那覇基地からF-15が緊急発進していることを伝えた。
この空域では決して珍しいことではないが、機内には静かな緊張感が走った。そして、弘前は消えたエコーのことが頭にこびりついて離れなかった。




