10.亡命
16時
東京都福生市 米空軍横田基地
三千メートル級の滑走路を核とし広大な敷地は、六つの自治体に跨り、そこには在日米軍司令部をはじめ、在日米空軍、在日米宇宙軍、第5空軍の司令部、第374空輸航空団、第21特殊作戦飛行隊、米沿岸警備隊極東支部、さらには航空自衛隊航空総隊司令部やその隷下部隊、そして休戦中の朝鮮戦争の国連軍後方司令部がひしめき合っている。四千人を超える軍人家族が生活するためのスーパーマーケット、ファストフード店、病院、教会、学校、図書館、郵便局、映画館といった米国様式の建物が整然と並び、星条旗がはためく光景は、ここが日本国内であることを忘れさせるほどだった。
警察庁警備局長の高島は、そんな街並みを横目に眺めながら、公用車の後部座席で、苦々しい思いを噛み締めていた。やがて、先導する米空軍第374憲兵中隊のパトカーは、無機質な小さな建物の前で停まった。降車した高島は、周囲を見渡した。
建物の影から、離陸したRC-135Wリベットジョイントが飛び出した。四発の深く力強い低周波のエンジン音が降り注ぐ。
高島は、屈強な空軍憲兵二人に警護されているのか、監視されているのか、両脇を固められながらその建物へと足を踏み入れた。
「高島局長、ご足労いただきありがとうございます」
エントランスで待ち構えていたスーツ姿のアジア系アメリカ人が、完璧な日本語で、しかしどこか血の通わない笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。
「米国大使館のヤンです」
高島は直感した。ヤンが、CIA東京支局の警察庁担当リエゾンの上位者であると。
高島は表情を緩めることなく、社交辞令の会釈だけを返した。向けられた右手には気がつかないフリを決め込み、握手は拒んだ。
そのまま言葉を交わすことなくヤンに導かれた先は、見慣れた造りの小部屋だった。監視カメラのモニターやノートPCの置かれたデスク、壁に嵌め込まれたマジックミラー。その向こう側の取調室には、亡命したと報告のあった陳が平穏な表情でパイプ椅子に座っていた。
「ご承知の通り、彼は米国への亡命を正式に希望しています」
高島が尋ねる前に、ヤンは解説を始めた。
「台湾有事が現実味を帯びれば、彼らが米国に逃がしている個人資産は凍結されます。そもそも、中国の諜報員が抱く愛国心など、所詮は保身のためのメッキに過ぎませんからね。金が理由で、西側への亡命を希望する共産党員や諜報員は、あなたが想像するよりも多いんですよ。陳もその一人です」
ヤンは、マジックミラー越しの陳を一瞥し、軽く肩をすくめた。
「命を狙う台湾の諜報員と、本国から疑われていた彼を無事に亡命させるため、あなた方を利用したことはお詫びしましょう。しかし高島局長、そうして得られた情報は共有したいと考えています。対価や詫びではなく、日米友好の証として、です」
高島は生唾を飲んだ。プライドが、情報という現実的な欲求に塗り潰されていく。仮に陳のスパイ活動を摘発できていたとしても、尋問する機会は与えられずに帰国するだけで、これほどまで核心に触れる機会など訪れなかったはずだ。
「外務省には・・・・・・?」
だが、口をついて出たのは役人としての防衛本能だった。
「今のところ、連絡していませんし、する予定もありません。そもそも公表するかどうか、決めるのは大統領です」
「そうですか」
「つまり、これはサードパーティルールが適応されるトップシークレットです」
ヤンの言葉の意味を、高島は瞬時に理解した。またしても、米国の駒として利用されるのだ。第三者には警察の他部署はもちろんのこと、内閣総理大臣も含まれる。
「・・・・・・了承した」
断ることなどできるはずがなかった。米国のもたらすインテリジェンスが、我が国の治安維持に多大なる恩恵をもたらしてきたことは否定しようがない。自尊心よりも、これらが途絶える損失の方が遥かに大きい。
ヤンが、またしても温もりのない笑みを作った。
「近いうちに、日本国内で大規模な破壊工作、及び尖閣での現状変更が行われる可能性があります。目的は日本の対米・対台湾感情を悪化させることと、日本国内に厭戦機運を醸成することです。日本を台湾有事に介入を躊躇させるためです。中国が台湾侵攻に失敗する条件は、在日米軍基地を利用した米軍の介入です。つまり、在日米軍基地を含む日本国内での破壊工作は、日本のみならず合衆国にとっても深刻な問題です。私の言っている意味、お分かりですよね?」
警察庁へと戻った高島は、即座に全国の公安及び外事に中国関連や重要防護施設に関する調査、警備に警備実施強化を指示した。




