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エンドステート ーシミュレーション台湾有事ー  作者: 益子侑也
第三章 グレーゾーン

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19/23

1.総裁選

9月3日 8時

東京都千代田区永田町 内閣総理大臣公邸


 どんよりとした空の下でも、夏の名残がしぶとく居座る永田町の空気は、まだ湿り気を帯びていた。銀杏並木はまだ色づく兆しもなく、葉の間を抜ける風は生ぬるかった。アスファルトの上では、陽炎がわずかに揺らめいていた。

「芝浦辞めろ! 芝浦退陣!」

「税金返せ! 中抜き許すな!」

「中国への侵略戦争絶対反対!」

 官邸前の交差点を挟んだ国会記者会館側の歩道には、デモ隊が溢れていた。その列は茱萸坂まで伸び、機動隊の規制も虚しく車道にはみ出るほどだった。林立するプラカードが揺れ、拡声器を通した割れた声が、熱と怒気を帯びて空気を振るわせている。

「私は今、首相官邸の前にいます。ご覧のように連日、官邸や国会の周辺では芝浦首相の退陣を求める大規模なデモが行われています」

 テレビカメラの前で、女性リポーターがマイクを片手に、デモ隊の喧騒に負けじと声を張り上げる。

「本日より行われる保自党総裁選には、現職の芝浦首相のほか、幹事長の新座氏と政調会長の小山氏が立候補を表明しており、三つ巴となるものと思われます。政権幹部の中からは、三役である幹事長と政調会長が立候補することに対して『事実上のクーデターだ』といった批判の声が上がっています。一方で党内からは『衆院選を前に支持率の低下が続く状況では芝浦下ろしもやむを得ない』『芝浦首相の顔で選挙は戦えない』といった意見も聞かれます。保自党総裁選はこの後、10時に党本部で立候補届が行われ、午後には候補者による演説会が行われる予定となっています。開票日は二週間後の9月17日です。以上、官邸前から、お伝えしました」

 公邸執務室には、白山官房副長官、小牧内閣情報官、芝浦陣営の選対本部長を務める双葉幹事長代行が詰めていた。

「最新の内閣支持率は、23パーセントと政権発足後最低です」

 小牧情報官が無表情のまま、A4の用紙をテーブルに置いた。折れ線グラフは弱々しく折れ下がっていた。

「台湾周辺の情勢悪化に伴う原油高対策も不発です。ガソリン価格が高止まりに加え、ガソリン補助に関するデマがSNSで急速に拡散されていることが原因かと思われます」

 予備費を活用したガソリン1リットルあたり30円の補助金が石油会社に中抜きされており、その石油会社が芝浦の政治資金管理団体に献金としてキックバックされているというデマだった。中には、米国の台湾半導体利権陰謀論と結びつけて、米国の大手エネルギー企業が日本の石油利権を牛耳っている、補助金を中抜きしている石油会社は米国のグローバル企業の子会社、米国のCME社が芝浦のパーティー券を大量購入している、といったデマまであった。

「今週続いているデモの火種も、このデマのようです」

 四人の視線が、自然と東の窓へと向かった。厚い防音ガラス越しに、木々と塀の向こうから押し寄せるデモ隊の騒めきが、かすかに震動となって伝わる。

 芝浦は、静かに息を吐いた。

 目を閉じると、外の群衆の声が胸の奥にまで入り込んでくる。SNSを見ない方がいいと船越秘書官に勧められたが、こうして悪口は耳に届く。

「ENNの党員調査も新座17パーセント、小山16パーセント、芝浦13パーセントで最下位です。先月の調査よりも全員が10ポイント近く暴落し、未定が大幅に増えています。党員の関心があまり高くないようです。国会議員の動向も、ほぼ横並びで、まだ半数が未定です」

 双葉幹事長代行が説明しながら、星取票を広げた。

「総裁選中もデマや誹謗中傷が懸念されますね。党員票の動向、延いては議員票に影響を与えかねません。小牧情報官、デマの出所はどこですか? 中国ですか?」

 白山官房副長官が尋ねた。

「生成AIや、ネットメディアに装ったサイト、中露系のメディアを巧みに活用しながら、botと思しき大量アカウントが拡散させています。そのエンゲージメントの波で、SNSのアルゴリズムが反応して、一般ユーザーにも広く拡散されました。極めて人工的で、非常に不自然なトレンド形成です。特定することは難しいものの、これらbotの発信元の多くが、中国発と分析されています。しかも、かなり組織的な動きと推測できます」

「やっぱり中国か。中国は新座政権を誕生させたいのか」

 白山官房副長官が皮肉を含んだ笑みを浮かべて、吐き捨てた。

 小牧情報官は、穏やかな声で応じる。

「お言葉ですが、副長官。中国の狙いは分断そのものにあります。誰が総裁になろうとも、分断を広げることができれば構わないのです。むしろ中国は日本の世論を新中国的にするのではなく、日本人の反中感情を煽り、その矛先を政権に向けてようとしています」

「この点は三陣営でもしっかり共有し、選管にも対応を求めましょう。新座、小山陣営には私から話しておきます。 ――総理、よろしいですね?」

「――」

 芝浦は気が遠くなるような感覚に苛まれた。視界がぼやけ、遠くで誰かの声が水の底から響くように聞こえた。

「総理? 総理、大丈夫ですか?」

 双葉幹事長代行が顔を覗き込むようにして、呼びかけてきた。

「あぁ、すまない。よろしく頼む」

 はっとして芝浦は声を絞り出したが、どこか他人の声のように聞こえた。

 三人が心配そうな顔で、目を見合わせた。

「今日の日程ですが、10時に私と白山先生とで立候補届を選管に提出します。その後、参院会館B1の会議室で選対出陣式、13時に党本部八階ホールで立候補者の所信演説会となります。夕方17時には、ENNの生中継討論会があります」

 双葉幹事長代行の言葉を聞きながらも、芝浦の意識は外へと再び引き寄せられていった。

『税金返せ! 芝浦辞めろ! 補助金中抜き!』

 何度も何度も、頭蓋骨の内側で反響する。

 この国を背負うということは、理解されないまま攻め続けられることなのかーー

 迫る台湾有事、原油・物価高対策、総裁選、衆院解散ーー 頭がパンクしそうだった。

「総理、大丈夫ですか?」

「・・・・・・なんか、疲れが溜まってるようだ。出馬しない方が良かったんじゃないか」

 つい漏れ出た本音に、双葉幹事長代行が勢いよく立ち上がった。

「総理! 我々の前以外では、絶対にそんなこと仰らないでください! そんなことでは勝てませんよ!」

 誰も私の孤独と激務を理解してはくれないのかーー

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