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5.文官統制

8月11日 9時 

長崎県佐世保市平瀬町 海上自衛隊佐世保基地・平瀬地区


 日の出から三時間以上が経ち、空は茜色から抜けるような青へと移り変わっていた。朝の刺すような日差しを浴びて、海面がキラキラと眩しく輝いている。既に気温は三十度に迫り、まとわり付く湿気が気温以上の暑さを感じさせる。

 倉敷岸壁には、早朝に入港した海上自衛隊のおおすみ型輸送艦〈しもきた〉が停泊していた。

 乗艦した第42即応機動連隊増強普通科中隊の車両と人員は、出港の時を待っていた。ファンネルが燻んだ煙を上げているが、出港する気配はない。一仕事を終えた隊員達には、どこか落ち着きのない雰囲気が漂っていた。

「出港の見通しがまだ立たないそうだ」

 艦内の会議室に設けられた中隊本部の指揮所で、串本が告げた。

 それを聞いた運用訓練幹部の立神一尉は不満の表情を浮かべながらも、それを口にすることはなかった。上級部隊に振り回されることは珍しくない。

「了解しました。では出港までの間、体力錬成でもさせましょうか?」

 綿密な計画を練る立神一尉らしい提案だった。

「いや。車両整備が終われば、各人休養を取らせてくれ。今後何があるか、いつまで続くかもわからない」

 串本は首を横に振った。

「それに、運幹も今のうちに休んでおいて。休むのも仕事だ」

 中隊長の右腕でもある立神一尉は、訓練計画の作成や各種調整に追われて、丸一日半、休む間もなかった。眼鏡の奥の目は、僅かに充血していた。串本の言葉に、立神一尉は僅かに肩の力を抜いたようだった。

「ありがとうございます。船内の通信組織の構成が終わったようなので、それだけ確認しておきます」

「了解。無理しないように」

 串本が短く言うと、立神一尉は中隊本部通信手を引き連れて本部管理中隊通信小隊のもとへ向かった。



熊本県熊本市 陸上自衛隊北熊本駐屯地

第42即応機動連隊指揮所


「増強普通科中隊は戦闘搭載及び車両整備を終えています。あとは出港を待つのみです」

 第3科長が報告した。その声は落ち着いているが、手元に積まれた書類の山が彼の忙しさを物語っていた。

「出港の見通しはまだ立たないのか?」

 第3科長の方を向いた多田の質問に答えたのは、大沼副連隊長だった。

「師団によると、当面未定とのことです。3連隊は苫小牧港から海自の〈おおすみ〉で直接石垣へ、15連隊は与那国に大型船が入港できないため、経由地の沖縄本島でPFIの〈はくおう〉から中型フェリーに乗り換えるようなのですが・・・・・・」

 大沼副連隊長が一瞬、言葉を区切った。

「港湾労組が受け入れ拒否を港運協会に通知しており、入港の見通しが立たない状況のようです。宮古島は組合員がいないため直接影響はないのですが、沖縄県も岸壁使用許可を盾に、全島での訓練の自粛を沖縄防衛局に要請しているようです。与那国へのMCV空輸も、県が申請書を審査中と事実上の保留にしています。そのため、市ヶ谷が足並みを揃えて一律で待機と判断をした形のようです」

 自衛隊が港湾等を優先利用できる〈武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律〉が制定されているが、それには武力攻撃事態か存立危機事態の認定が必要だった。今は表向き『平時』なのだ。

「スピードを重視したのが裏目に出たか」

 多田は肘を机につくと、顎に手をやった。

「無理もないですよ。ただでさえ急な展開な上に、内局のする仕事です」

 防衛省には、自衛官が大半を占める統合幕僚監部と、俗に『背広組』と呼ばれる防衛官僚を中心に構成される内部部局ーー通称『内局』がある。

 陸上配備型イージスシステム「イージス・アショア」の秋田県への配備計画では、調査ミスや地元説明会での居眠りなど、『背広組』の不祥事が相次いだ。

 多田は冷め切ったコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。

「ちょっと離れるから、頼む」

 多田は大沼副連隊長にそう伝えて、指揮所を出た。廊下の隅で迷彩作業服の胸ポケットからスマートフォンを取り出して、連絡先から『竹松義人』を呼び出した。数回の呼び出し音の後、くぐもった声が応答した。

「すまんな、忙しいのに」

『ちょっと一息つきたかったところだから、構わないよ。そっちこそ、忙しいんじゃないのか?』

 竹松情報官の声は軽快だったが、隠しきれない疲れが滲んでいた。

「いや、足止め食らっててな。むしろ落ち着いたくらいだ」

 電話の向こうで、竹松情報官が笑った。

『お前がわざわざかけてくるなんて。どうせ、その件だろ』

「ご名答」

 電話口の向こうで、スマートフォンのマイクを押さえながら場所を変えるような雑音が響く。多田はくるりと向きを変え、壁に背中をついて待った。

『すまん、すまん。お前、次期事務次官の話聞いたことあるか?』

「俺はそう言ったことには疎いし、背広組のことに興味はないよ。それと何の関係がある?」

『まぁ、とりあえず聞けよ。洲本事務次官の後任で名前が上がっているのが、松茂防衛政策局長と紀伊官房長の二人。松茂局長は総理からの信任も厚く、知っての通り制服組への理解もある』

 多田は知らないと思いながらも、黙って耳を傾けた。

『何より前政権肝入りの防衛力強化を主導した張本人で、総理が官房副長官の時に出向して秘書官も勤めてたんだ。それに対して紀伊官房長は、そのなんて言うかな。古い体質の防衛官僚そのものでね。松茂局長が制服組と一緒になって防衛力強化を進めたのも、総理に可愛がられてるのも、面白くないらしい。財務省との予算折衝や、国会対策をするのは背広組なのにって、よく愚痴を溢してる』

『制服組を抑えるのが背広組の仕事だと思ってるタイプか」

 多田にも、その程度の理解と心当たりはあった。

「そういうこと。運用企画局が廃止されて、ずいぶん良くはなったけど、完全に溝がなくなったわけじゃない。最近、アメリカが日本に防衛費の大幅増額を水面下で求めてるらしいんだが、その動きを紀伊官房長が妨害してる。台湾有事の危機を煽ってるのも、制服組が自分たちの権限を強めたいからだって邪推してる。今の対中姿勢にも、ハッキリ言えば今回の『機動展開訓練』にも否定的なんだ」

 2015年に防衛省設置法第十二条が、内局が防衛大臣の各幕僚長への指示を補佐する形から、内局は政策的見地から・各幕僚長は軍事的見地から防衛大臣を補佐するという対等な形に改められた。この法改正によって『背広組』が『制服組』を統制するという『文官統制』は表向きなくなったが、対立が完全に消えたわけではなかった。

「その政治に俺らが巻き込まれてるってことか。何だ、お前もすっかり市ヶ谷に染まったんだな」

 多田は鼻で笑った。

『多田、それは敵さんも一緒だからな。一枚岩の組織なんてないんだから。そこを戦略的に利用することだってできる』

「さすが情報官殿」

『おい、多田。冗談を言えるような状況じゃないんだ』

 茶化した多田に、竹松情報官の低い声が釘を刺した。竹松情報官の立場故に、同期相手でも多くを語れないことは理解している。

「わかってるよ。そんなことくらい、わかってる。どうせ、やるとなったら、やるしかないんだ」

 自分に言い聞かせるように言って、スマートフォンから耳を離した。重い空気を残したまま、廊下に電話の切断音が響いた。

 深呼吸で肺の空気を入れ替え、両腕を高く上げて背伸びをすると、多田は指揮所へと戻った。

 指揮所の正面の端に置かれたテレビモニターは、朝の情報番組を映していた。モニターの縁には〈情報収集中〉と印字されたテプラが剥がれかけ、両端がカールしていた。世間の目を気にし続けてきた自衛隊らしい風習だった。

〈芝浦総理は昨日の夕方、総理官邸に新座幹事長を呼んで、中国の軍事演習の影響で高騰する原油価格への対応策を保自党として早急に取りまとめ、週明けにも報告するよう指示しました。原油価格対策は、今年の秋までに行われる衆議院選挙の一つの争点となることが予想されます。これを受けて、新座幹事長は明日から予定されていたフィリピンへの訪問を急遽取りやめると、官邸で記者団の質問に答えました。また、来月予定される総裁選挙について、新座幹事長が芝浦総理に出馬の意向を伝えたともされています〉

 総理大臣官邸のエントランスホールで記者らの質問に答えている新座幹事長と、エントランスホールを歩く芝浦総理の姿がスローモーションで挿入された。

〈芝浦総理に近いある与党議員からは『芝浦総理は八月頭から対策を幹事長に指示しているが、スピード感がないので痺れを切らした』『総裁選を前に、芝浦総理のイメージダウンを狙った"芝浦おろし"だ』との声が聞かれます。対して、新座派の議員からは『新座幹事長の外遊と、そこでの総裁選出馬表明を潰した形だ』との声や『総理は政局ばかりで国民の方を向いていない。芝浦総理の顔で選挙は戦えない』との痛烈な批判も上がっています。また、若手議員からは『選挙前の貴重な時間であるお盆を潰されては困る』といった不満も聞かれます。今後、総裁選と衆議院選挙に向けた駆け引きが加速すると見られます。そして、野党はーー〉

 映像は、野党第一党である民主未来党の赤坂代表が党本部で記者会見する様子に切り替わった。

〈政府・与党の対応が遅い。原油高で国民が生活に困っているのに、お盆で地元詣があるから、外遊に行くから、総裁選があるから、そんな国民不在で政局に明け暮れる保自党に政権を担う資格はない、そう言わざるを得ません。民主未来党としては、野党各党と足並みを揃えて補正予算編成のための早期の臨時国会の召集を求めると共に、次期衆院選での政権交代実現のための経済対策パッケージを取りまとめます〉

 市松模様のバックパネルの前で、赤坂代表が力強く話していた。再び、映像が切り替わる。

〈ENNと毎朝テレビが臨時で実施した世論調査によりますと、芝浦内閣の支持率が二十九・八パーセントと、初めて三割を切ったことがわかりました。芝浦内閣の支持率は二十九・八パーセントと先月から八・四ポイント下回り、支持しないと答えた人が過半数を超え五十一・一パーセントに上りました。また、保自党の支持率も三十七・五パーセントと大幅に下落し、芝浦政権発足後初めて四割を下回りました。そうした中、政権への更なるダメージでしょうか。昨日、浜松外務大臣が自身の政治資金パーティーと女性問題を理由に辞任しました。事実上の更迭で、後任には財務大臣の千両康夫氏が内定し、今日の昼にも皇居で認証式が行われる見通しです。芝浦総理は千両氏について、元総理としての外交経験の豊富さから、緊迫する国際情勢に対応できる即戦力として起用したと説明しています。ただ、千両氏は現在副総理と財務大臣を兼務しており、外務大臣としての職務に専念できるのか、不安の声もあります〉

 多田は、席を外している間に副官が注いだであろう熱いコーヒーを啜ると、静かに言った。

「副連隊長は、今日が何の日かわかるか?」

「11日・・・・・・ いえ」

「8月10日、日本がポツダム宣言受諾を国外に伝え、11日の朝刊でそれが報じられ、アメリカは歓喜に沸いたんだ。ただ、日本国内でその事実は伏せられ、特攻が続き、ソ連は南樺太に侵攻し、各地で戦死者が出た。そんな日だ。たった八十年くらい前の話だ」

別の原稿作成と重なっており、投稿が遅くなりましたことお詫び申し上げます。

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