第2話 ―事故物件― ⑬
数日後、クレストヒル新館にて――
「ああ、なるほど。素人目じゃ絶対に分からねぇだろうなあ」
そう声を上げた老人の名は、ジンベー。
日元島で、長いあいだ大工の棟梁を務めていたのだという。
彼は懐から二枚の紙を取り出すと、一枚には「天」、もう一枚には「地」を意味する文字を書きつけた。
そして、「天」の紙を柱の根元近くに、「地」の紙を柱の天井に近い方に、それぞれぺたりぺたりと貼り付けたのである。
するとどうしたことか、柱が一瞬ぶるりと震え、
「ああ、らくになった、らくになった」と安堵の声を漏らしたではないか。
「これでしばらくは大丈夫でございましょう。ただ、一時しのぎでございますから、早めに “正しい向き” に直すことをお勧めいたしますよ」
ジンベー翁は人懐っこい笑顔を浮かべ、ユースケに向き直った。
「それにしてもユースケ先生、まだ若ぇのによく見分けなすったね」
「いやあ、見分けたというより、そんな話を聞いたことがあったんです」
珍しく褒められたユースケは、顔を真っ赤にしながら――
「えへへ、えへへ、ええとですね、僕たちの故郷には『兇宅』って概念があります。これは、何か『良くないモノ』が憑りついた家のことで、住む人に不幸をもたらすと言われているんですよ。たとえば――」
ユースケが語ったのは、こんな話だった。
昔々あるところに、住む者が次々と謎の病で死んでしまう館があった。
ある時、そんな噂を聞きつけた勇敢な武人が、弓を片手にその館を訪れた。
彼は真相を明らかにするため、館で一夜を明かしてみると言う。
はたして深夜、巨大な人影が現れて武人に襲い掛かったので、武人が矢を射かけると、巨人は煙のように消えてしまった。
翌朝、家の周りを探してみると、歳を経た柳の樹に、武人の放った矢が深々と刺さっているのを見つけた。
こいつが元凶に違いない――そう悟った武人は、柳を切り倒す。
すると、それを境に、館が怪異に悩まされることはなくなった。
「――このように、『良くないモノ』の多くは樹木の妖怪なんですね。まあ、僕たちの故郷では家屋のほとんどが木造でしたから、そのせいだとは思いますけど。
さて、そんな妖怪のひとつに『逆柱』というのがいます。こいつは、木を建物の柱にする際、その木が生えていた向きと上下『逆』、つまり根元を天井側にして立ててしまうことで現れるとされています」
「……あっ、そうか。だから『あたまがいたい』なんですね!」
アイラスの指摘に、ユースケは嬉しそうに目を輝かせた。
「そうそう、そのとおり! 逆さ吊りにされている無理な体勢だから『あたまがいたい』って訴えていたわけなんです」
次第に、ユースケの声に熱がこもってくる。
「で、『逆柱』の家では、地震でもないのに揺れたり、火の気がない所から火災が起きたりと言った話が伝えられています。ちなみにこの火災というのは、高速振動による摩擦熱が原因だと僕は睨んでいますが、どうでしょう! それから、樹木系の妖怪はなぜか犬の姿をしていることが多くて、たとえば雷は五行説では木に属するんですがいわゆる雷獣と呼ばれるものもまた犬の様な姿を取ると言われていましてそこが火災と結びついた可能性も――」
「ステイステイステイ! ユウちゃん、会話は千本ノックじゃなくてキャッチボールだって、いつも言ってるでしょうがッ!」
ユースケが「オタトーク」に突入したのを察知したナツメが、慌てて話を遮る。
まだまだ話し足りないといった様子のユースケに、イノサンが声をかけた。
「私にもようやく理解できましたよ。 だから、この柱が搬入された段階では、【魔道的な検知】にも【神聖教会の結界】にも反応しなかったのですね」
「そのとおりです。その時点では単なる木材であって、【悪意のある魔道】が仕掛けられていたわけでも、【邪悪な存在】であったわけでもありません。家が完成した時点で初めて、この木は妖怪となったわけですから」
イノサンは、恐る恐る『逆柱』に触れてみる。
現在の落ち着いた状態では、普通の木材とまったく区別がつかない。
「含有する魔力量の多寡でチェックすれば検出はできたでしょうが……いや、そうすると【防火】や【防音】の魔道が付与された高級建材にも反応してしまいます。とても現実的な対応とは言えませんね。ユースケさんはどう思われますか?」
「結局、ジンベーさんみたいなベテランの判断に頼るしかないのかなあ」
「ですが、それではまた今回のような事件が起きないとも限りません。いやいや、
実に悩ましい――」
そんな二人のやり取りを横目に、ナツメがジンベーに話しかけた。




