第2話 ―事故物件― ④
バンクス=グループは、旧大陸北部で不動産業を中心に富を築いた財閥である。
一族の長にしてイノサンの父、アラリク=バンクスは齢六十。
今なお健在であり、その辣腕は衰えを見せないが、遅くともあと十年のうちには引退し、後継者にその座を譲るであろうとの噂であった。
そんな折、バンクス=グループの首脳陣は大きな決断を下した。
すなわち、遥か海を越えた「新大陸」への支店設立である。
背景には、近年における新大陸の急激な発展があった。その勢いに支えられ、
現地の地価は今なお高騰を続けており、投機的取引もまた大盛況である。不動産業界の雄たるバンクス=グループにとって、この好機を見逃す理由はなかった。
こうした戦略的な事情から、グループ内では、「新大陸支店長」のポストは非常に重要なものであると見なされている。
端的に言えば、その座に就く者こそが、アラリクの後継者レースで一歩抜きん出ることになるからだ。
当初、そのポストにはイノサンの叔父――つまりはアラリクの弟か、あるいはイノサンの三人の兄のいずれかが選ばれると思われていた。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、支店長に指名されたのはイノサンであった。
就任に際し、アラリクは息子に一言だけ念を押した。
「とにかく堅実に、これまでどおりに事に当たれ」
その瞬間、すべての疑問が腑に落ちた。
「今回の任務は事業拡大、つまりは攻めの姿勢に見えます。しかし最優先すべきは、新大陸に堅牢な橋頭堡を構築すること。つまりは足場を作り、それを守り抜くことにあるわけです」
そう言って、イノサンは力なく笑う。
「叔父も兄たちも、皆、私より優秀な人間です。けれど、それ故に冒険を好み、より大きな利を得ようとする。一方で私は、良く言えば慎重、悪く言えば消極的。そんな性分を父に見込まれたのでしょう」
§ § §
イノサンは新大陸支店に着任すると、まずは情報の精査に取りかかった。
新大陸連邦政府――通称「龍国」の首都・新東京は、大陸の西岸中央に位置する。
大雑把に言えば、そこから離れれば離れるほど、現時点での地価は安くなる。
だが、何らかのきっかけで、僻地の地価が上がる可能性もゼロではない。
実際、新東京の真東――「新大陸の背骨」と呼ばれる山脈の麓で金が見つかったとの噂が流れ、その周辺の地価が暴騰しているという。
「金が見つかったとあれば、人が集まり、商機も生まれる。大変に魅力的な話です。けれど私は、土地の取得を見送りました。何より治安が悪すぎたからです」
イノサンはそんな地元の事情まで踏まえ、慎重に判断を積み上げていった。
そのうち、彼の視線は「新東京周辺」と「国道0号沿線」へと向けられる。
当面はこの二つの地域を軸に、取引を進めることにした。
「すでに開発が進んでいるので大きな儲けは望めません。しかし、税金がきちんと投入されてるので、確実な収益が見込めます」
まずは堅実な手法で人脈を築き、この国特有の風土を理解する――
「我々バンクス=グループは、世間から『千のうち三つしか真がないから千三屋だ』などと揶揄されることもあります。しかし、こうした地道なやり方が本分なのです。でなければ、ここまで事業を広げることはできなかったでしょう」
§ § §
そうして数年が経った頃――
地元の信頼を得たイノサンは、顔役からひそやかに相談を持ちかけられた。
「何とも始末に困る物件があってね。タダでいいから引き取ってはくれないか?」
物件の名は「クレストヒル館」。
この館こそが、後にイノサンを苦しめる元凶となるのであった。




